70.底
真夜中の湖。風も無く、時折魚が跳ねる音以外、恐ろしいほど静まり返っている。
水面に写る3つの月の中心に、一隻の手漕ぎ船が漂っていた。
「…………」
少女は空を見上げていた。頬に全て覆う様にはっきりと残った涙の跡は、さっきまで泣いていた事を物語っている。
「お……か……さん」
涙は枯れ、代わりに言葉が溢れた。
この場所に来てどれくらい経ったのだろうか、ここに来た記憶も曖昧だ。
少女は周りを見渡す。舟の周りに見えるのは水面に写る月の他に、死んだ魚が浮いていた。この場所は数日前から、魚が変死するというその中心だった。
「…………」
無言のまま少女は不安定な船の上で立ち上がる。そしてそのまま糸が切れた人形の様にその身が崩れると、ドボンとした音とともに水の波紋が広がった。
…
……
ピッ……ピッ……ピッ……。
薄暗く、壁に囲まれた殺風景な部屋の真ん中で、少女はうつ伏せに倒れている。
定期的流れている電子音が、気を失っている訪問客を起こした。
「……う……ん」
少女はのそりと身を起こし、顔に手をやった。顔に濡れた髪が張り付いていおり、体も濡れている、少女が湖に身を投げてから、そう時間は経っていない様だ。
「……?」
濡れた体をぶるりと震わせて、少女は周囲を見回す。自身がどこにいるのかと情報を集めるが、周りには壁しかない。
うっすらと月の光を反射しているその壁を見て、ふとその光の元を、上を見上げると少女は目を見開いた。
「……魚?」
少女の目に写ったのは、泳ぐ魚の下腹だった。そしてその先にはうっすらと3つの月も見える。
天井は僅かに波打っていて、それは水の壁だった。
この場所が湖底である事だけが分かった。
「……ふふっ」
少女は静かに笑った、自嘲の笑いだ。
母を失い、そうとも知らずに悪事を強制させられた。何もかもが嫌になって自身の死を選んだのに、生き残ってしまった結果が彼女の笑いを零した。
ピッ……ピッ……ピッ……。
「……?」
周りには壁しかない、それなのに聞き慣れない音が部屋の中で反響していた。少女はふらっと立ち上がり、音のする方、音が聞こえる壁に近づく。すると。
シュカッ。
「っ?!」
目の前の壁が割れる。
そしてその割れた壁の先には、細い道が続いていた。
「…………」
ピッ──ピッ──ピッ──。
謎の音はその道の先から聞こえる、さっきよりハッキリと聞こえた。
少女はその音に誘われる様、フラフラと足を進める。
…
シュカッ。
「ひっ!?」
道の先はまた壁だった、しかし彼女が近づくと、先程と同じ様に壁が割れ、その先にある物が彼女の瞳に映る。
「へ、蛇?」
それは巨大な蛇の頭だった。
壁の先は大きな空間になっており、天井はここに来た時と同じく波打っている。
その蛇は、天井に繋がった透明なガラスの様な物の中で縦に浮いている。
蛇の瞳が彼女の姿を写す。胴体は地下深くまで伸びており、その先は遠すぎて見えない。
ピッ──ピッ──ピッ──。
縦に長い部屋、部屋というには大きすぎる空間の中を、先程からしている音が反響し、より大きく響いている。
「はっ、はっ……」
彼女は腰を抜かし、その場に座り込んでしまっていた。
ピッ──ピッ──ピッ──。
ほんの2.3分。定期的流れる音のお陰か、それとも目の前の巨大な蛇がまったく動く気配がないからなのか。少女は正気を取り戻し、音が鳴っている板の存在に気付く。
ボンヤリと光るその板には何やら書かれている様だ。
「……鍵…召喚確認……待機……1814時間経過……」
少女はその板に近づき、表示されている文字を読む。
その板は不思議な形をしていた。大きさは少女の身の丈の倍ほどあり、表示されている文字が光っている。そして胸の高さ程の場所に、穴が開いていた。
「……登録……要30000……マナ……人格形成……要……20000……解除……要25……再度すり、いぷ……」
音ともに経過の文字の横の数字が変わっているのは分かるが、表示されている文字が所々しか彼女は読めなかった。
それでも読める文字はあるので、分かるところだけ拾い目を滑らせる。
そしてあるところで目が止まった。
「自壊まで2354……」
ピッ、ピッ、と音ともに変化している数字は2つ。経過の数字は増え、自壊の数字は減っていた。
少女は巨大な蛇の顔を見上げる。
「あなたは、ここで何も知らずに死んでしまうの?」
蛇は何も喋らない。目は見開いているが、まったく動かない様子から、意識があるのかどうかも分からなかった。
「マナってお母さんが言っていた、魔力の別の呼び方……」
少女は板に空いた穴を見つめる。
読める文字を拾っただけだが、要はこの穴に腕を入れ、魔力流し込めばいいらしい。
それで自壊が止まるのかどうかは分からないが、何もしなければこの蛇は暫くすると死んでしまう事だけは分かった。
そして板に浮かんでいる1番下に表示されている、とある文字を見つめる。
注:鍵……死……
手順なのか、それとも鍵というのが必要なのか分からないが、死ぬ危険性がある。
死という文字が少女の瞳に写る。
「ふふっ」
先刻まで自ら死を選んだのに、なぜ今更惜しいと思うのか。少女は自分をそう笑うと、その穴に迷わず手を差し込んだ。
「かはっ!?」
その瞬間、少女はその場に崩れ落ち、気を失う。
板に表示されていた数字の動きは止まり、煩いくらいに鳴っていた電子音も消えていた。
そして代わりに新しい文字が浮かび上がる。
『──25マナ供給サレマシタ、解除マデノ5分以内ニ主従登録ヲ行ッテ下サイ』
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