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ソフィアの作るお菓子がどうしたと言うのだろう。
持ってきたのは味も見た目も一般的な、バターパウンドケーキだ。
変わったところは、何もないはずなのに。
彼らの会話に首を傾げながらも、ソフィアは口を開く。
ケーキよりも、もっと気になることがあるのだ。
「あの。ルーカス様も、やっぱり妖精が見えるんですよね」
『妖精』というものが見えるのは、今のところルーカスしか心当たりがない。
突然視界に現れるようになった、このわけのわからない生き物について、何か知っているのだろうか。
知っているのなら、聞いてみたいと思ったのだ。
「当たり前だ。リリーと今話してるだろう」
「……いつからですか?」
「いつ? そうだな……四歳くらいか」
「そんなに早くから!? 何で!? 何がきっかけで見えるようになるものなんですか!?」
怪訝な顔をしたルーカスは、暫ししてから「あぁ……」と納得したように息を吐いた。
「おまえ、瞳について何も知らないのか」
「瞳?」
「妖精が見える瞳は、祝福を受けた瞳。――『祝福の瞳』と、妖精が見える者の中では言われてる」
「え!? 妖精が見える人って、私達の他にもいるんですか!?」
「上位貴族にはたまにな。平民ではほぼ存在しないくらい珍しい」
「へぇ。知らなかった」
「といっても、貴族の中でも一握りの人間だけだ。見えない者に説明するのは難しいから、知らない者がほとんどだ」
「なるほど」
とにかく、妖精を見える人が他にもいるということで、ソフィアはほっと息を吐いた。
「でも……『祝福の瞳』かぁ」
(祝福どころか、お菓子の強奪にばかりあってるんだけど)
今のところ、その名称に似合った祝福は何一つ受けてない。
「でも、どうして突然見えるようになるのですか? 私、一ヶ月くらい前に突然見えるようになったんです」
「瞳は、受け継がれるものなの」
ちょうどルーカスから新しいパウンドケーキの欠片を貰うために両手を伸ばしていたリリーが、教えてくれた。
ソフィアはほっぺにケーキの欠片をくっつけたリリーに視線を寄せる。
「受け継がれるってどういうこと?」
「前の宿主が死ねば、次の宿主へと力は受け継がれる。生前に親しくしていた、波長の合う人にね。ソフィアも最近、近しい人が亡くなったのではなくって?」
「ちかしい、ひと」
最近亡くなった近しい人なんて、一人しかいない。
それは間違いなく曾祖父のこと。
曽祖父の葬儀を終えた翌朝から、ソフィアの目に映る景色は 妖精が飛び交うファンタジックでにぎにぎしいものへと一変した。
「えっと……それは、つまり。私のひいお爺様が、今の私と同じように妖精を見ることが出来たということ? ひいお爺様が亡くなったから、私に力が移ったの?」
「あぁ、前の『祝福の瞳』の持ち主はひいお爺様なのね。そう。きっとソフィアはその人から、力を受け継いだのよ」
「そんな……。ひいお爺様に限ってまさか、妖精なんて非現実的なもの……」
「疑うの? それだけはっきり妖精を見られるのに」
「う、疑ってはないわ……もう……妖精の存在は疑えない」
むしろ自分の頭がおかしくなったわけではなかったのだと言う確証を貰えたことに心底安堵している。
曽祖父が妖精を見る事が出来たというのも、彼のまるで見て来たかのように上手に話す妖精の物語を思い出すと、納得も出来るような気がしてきた。
でも、色々と混乱してしまって、まだ考えがまとまらない。
(ひいお爺様、ただの少女趣味じゃなかったんだ。本当に妖精が見えていて、だから良く話して聞かせてくれてたんだ)
本当はここに居るんだよとまでは教えてくれなかった。
もし妖精が見えることを言ってくれていたとしても、きっと誰も信じなかっただろう。
けれど、それでも妖精の話を彼はいつも口にしていた。
ソフィアは曽祖父の妖精の話が大好きだった。
「……」
ソフィアはちらりと、大人しく座ってソフィアたちの話を聞いている年下の男の子を見た。
彼は四歳くらいで、この『祝福の瞳』というらしい力を受け継いだらしい。
その時からずっと何年も、この妖精の飛び交う景色を見て生きてきたのか。
目が合うと彼、ルーカスは青い瞳を細めて話を続け始めた。
「……で、だ。どうやらお前の力。意外なことに『祝福の瞳』だけでは無いらしい」
「どういうことでしょう?」
「見えるだけでなく。妖精の好む菓子を作ることの出来る、特別な手を持っているようだ」
「はぁ?」
何を言っているのだ、この人は。特別な、手?
「以前まで、菓子が突然消えるようなことは無かったのか?」
「え? はい……窓辺に妖精寄せのおまじないとして置いておいたお菓子以外は、消えたことは無かったと思いますけど」
「お前の曽祖父に菓子を作る趣味は?」
「無いはずです」
「だったら菓子を作る能力は受け継がれたものではないということだ。――――タイミング的に、おそらく瞳の力が受け継がれ、見えるようになったことに引っ張られて、元々持っていたけれど発動していなかった自身の手の力が出て来たという感じだろうか。妖精は甘いものは好きだが、それでもつまみぐい程度しかしないものだ。家からクッキー一枚程度消えたとしても、気づくものは少ないだろう」
「なるほど……消えてたとしてもそれくらいなら確かに気にしなかったかも」
つまり普通は妖精が来たとしても、クッキー一枚が消える程度らしい。
窓辺に置いていたおまじないのお菓子類もそれくらいだ。
「だが力が目覚めてから作った菓子は違う。妖精にとって魅惑の菓子になる」
「あぁ……ほんとに作っただけ全部持って行こうとしますねぇ。駄目って言うとグズグズしながらも聞くんですけどね」
最初に妖精が群がっていたのは曽祖父が亡くなる前に作ったものだけれど。
それでもソフィアが作ったものというだけで力は宿り、妖精たちは引き寄せられたようだ。
「それにしても、どうしてルーカス様は私のお菓子についてこんなに詳しいのですか?」
家族と屋敷の使用人、後は近しい友達と、妖精にしかお菓子を渡したことなんてなかった。
一体どこでソフィアのお菓子を知って――それも力のある菓子だと分かったのか。
「あぁ、リリーは美しいからな。余所の妖精が貢物を持ってくることが間々あるんだ。だが、ここまで魅了されるものを持ってきたのは初めてだった」
「あー。つまり、うちにいた失恋したって泣いてた妖精の恋のお相手は、リリーだったってことですか。それはまた高嶺の花を狙ったなぁ……」
どうやら恋する相手への貢物としてソフィアの作ったお菓子は献上されていたらしい。
あのコロコロしたお馬鹿な妖精が、この頭の良い美女を射止められるとは思えないのだが。
(贈り物なら、言ってくれればせめてラッピングくらいしてあげたのになぁ。たぶん素のままで押しつけたんだよねぇ)
とにかく献上されたお菓子を食べたリリーが、作り手のソフィアの力に気づいて、ルーカスの名で呼び寄せたということか。
「なるほど、経緯はわかりました。――でも何で、私は呼び出されたのでしょうか」
力について知れたのは、本当に助かった。
他にも見える人がいることに安心もした。
でも、ルーカスがわざわざソフィアを呼び出した理由が分からない。
首を傾げたソフィアに、ルーカスはその疑問に答えをくれる。
「ソフィア。お前の作る菓子だけは素晴らしい」
「だけって……」
「リリーが人間の食べ物にこんなに喜んだのは初めてなんだ。頬を赤らめてはにかみながら、夢中で菓子を口にするリリーの愛らしさを引き出してくれる菓子! 本当に、菓子だけはいい。毎日でもリリーに与えてやりたい!」
「まただけって言った!」
不満げな顔をするソフィアの抗議はさらりと躱し、今日会ったばかりの少年は、おもむろに天使のように可愛い笑顔を作る。
(くっ……演技だって分かってるのに! 分かってるのに! 可愛いって卑怯!)
ルーカスはさらに合わせた手を頬の横に寄せて、小首をかしげるという可愛いポーズまでつけてきた。
その、キラキラな笑顔の可愛いポーズの天使君は、上目遣いで、やけに高い声でソフィアに言うのだ。
「だから、ソフィアおねえさんには、僕の妖精の、専属菓子職人になって欲しいんだ!」
「は?」
妖精の、専属菓子職人……?
ルーカスの訳の分からない申し出に、ソフィアはエメラルドグリーンの瞳を呆然と見開くのだった。