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ソフィアとターニャの攫われた場所は東の国境付近で、かつて隣国と微妙な関係だった頃に見張り台兼砦としてつくられた建物らしい。
そこから馬車に揺られて家に帰るまでに、十日程。
馬で急げば四日くらいの距離らしいのだが。
ただソフィアもターニャもぐったり疲れていたので途中の町の宿で数日宿泊して休み、医者の診察をうけ、さらに幼いターニャに負担をかけないためにとゆったりとした行程で帰ってきたのでそれだけかかった。
結局、家の門をくぐれたときには、すでに誘拐されてから一ヶ月もの時がたっていた。
当然、家族には物凄く心配されていたわけで。
少しやつれてしまった両親と使用人たちに大泣きされながら迎えられた。
ソフィアも両親に抱きしめられながら少し泣いた。
――――家に帰ってから三日後。
事情聴取のために城を訪れていたソフィアは、その後に通された場所ですこし落ち着かない心地で椅子に座っている。
(マークス様と改まって二人っきりって、少し緊張するわ)
そろそろと視線を正面に向けると、目の前に座っているのは赤毛の王子様マークスだ。
今はジンもルーカスもリリーもいない。
まったくの二人きりの状態で彼と対面するのはあまりないこと。
しかも重厚な木製家具と応接室セットの置かれた応接室で、部屋からして物々しい雰囲気だった。
(なに? 大切な話があるって連れてこられたけれど、なんなの?)
四大精霊のシルフなんてややこしいものを城に住まわせるようになった説教だろうか。
(でもシルフに連れて行かれるよりかは、こっちに来てもらう方がまだいいし。私の家になんて住まわせられないし……うーん、いっそのことルーカス様の家に押し付けるべきだったかしら)
うっかりルーカスにとっては迷惑でしかないだろう事を考えてしまう。
当のシルフはといえば、城の一等良い部屋で一級品のふかふかベッドを与えられたお昼寝ばかりな生活をしているらしい。
今日も城へついてまずお菓子を届けに行ったけれど、ベッドでゴロゴロしながらもりもり食べていた。
とても幸せそうな自堕落生活だ。
文句を言えるものは誰もいない。
妖精や精霊を知らない人からすれば、どこぞの王族の姫君が滞在しているふうに思われているのだろう。
そんなぐうたらな精霊の姿を思い返しながらも、そわそわしながらマークスの様子をうかがうソフィア。
相手はゆったりとした感じで、侍女が用意したお茶とソフィアが持ってきたお菓子をのんびりと楽しんでいる。
「うん。このタルト、とろとろで卵の味が濃くていいな」
サクサクのタルト生地に入っているのは、かなり柔らかめに作った卵生地。
エッグタルトだ。
つまみやすい一口サイズのもので、マークスはすでに二つ目に手を伸ばしていた。
「有難うございます」
誉められればもちろん嬉しい。
笑顔をみせたソフィアの前、マークスは咀嚼したタルトを飲み込んでからやっと要件を話しだした。
「さてソフィア。頼みたいことがあるのだが」
「頼みごとですか」
どうやら説教での呼び出しではないらしい。
「なんでしょうか」
シルフの事で迷惑をかけているし、よほどでない限り引き受けたい。
でも自分に出来るのなんてお菓子づくりくらいだ。
きっとなにかお菓子をリクエストされるのだろうと予想していた。
でもそれはまったく違う内容で……。
「ターニャの――第一王女付きの専属侍女になってくれないだろうか」
「…………………は?」
たっぷりの間を開けたあと、間抜けな声を漏らしてしまった。
「専属の侍女が一人かけてしまったからな。新しい者を入れる必要がある。そこでソフィアが適任ではと父に打診したら許諾されてな。ターニャは大喜びだし。あとはソフィアの返事だけで……」
「待ってください!」
「なんだ?」
「いくらターニャ王女と知り合いだからって、普通に考えて私を侍女にだなんておかしいです。だって私は――」
ソフィアは、語尾をつい飲みこんだ。
浮かんだ言葉は自分が平民でなんの突出したところもない娘だからおかしいという、自らをとても卑下したものだったから。
口に出しにくかったのだ。
王女付きの侍女とは、この国での女性の職として一番上位にあるもの。
誰もが喉から手が出るほどに欲する憧れの立場で、なれる資格があるのは上位貴族のお嬢様たちのみ。
高貴な生まれの令嬢たちが結婚前の花嫁修業や、または王女様の『お友達』の延長として務めるような職業だ。
誘拐事件に加担していたメルシアの家は地位はあったために王女付きになったものの、その後に領地改革での事業失敗があり財政的に苦労していたらしいと聞いた。
なににせよ普通ならば平民の娘がなれるはずのない職に、どうして声がかかるのか。
そんな困惑のこもった視線に、マークスはあっさりと答えをくれた。
「誘拐された先で王女の命を身を挺して守り抜いた功績が大きいな。まだ準備に少しかかるが、すでに勲章の授与は決定しているんだ」
「くんしょう!?」
「それで侍女としてつくに文句をいわれない程の地位はえられるだろう。……何よりターニャの絶対的な信頼を得ている年頃の女性といえば、今はもうソフィアくらいだ。だから数ある候補の令嬢たちよりさきにまず君に打診している」
「っ……そんな信頼してもらえるようなこと、本当になにも。勲章をもらうようなことだってしてません」
ただ一緒に攫われたから、ずっと一緒にいただけ。
自分がいたからターニャが無事でいられたというわけではないのに。
「ターニャはそう思ってない。私たちも。大切な私の宝を……国の宝を、守ってくれた。攫われた先でもずっとそばにいてくれた。ずっと気を使ってくれた。子爵からかばい続けてくれたと、本人もとても感謝していた。大好きだと。新しく傍に付けるのならばソフィアがいいと」
「ターニャ王女が……?」
ソフィアに自覚がないにしても、たまたまその場に居合わせただけだとしても――――攫われた王族のそばにいて、その命を守り抜いたから。
王女の傍にいる人間としての資格、というか信頼を得た形なのだろう。
そんなたいそうなこと出来た気なんてしないのに、勲章まで授けてくれるつもりだという。
どう考えても身の丈に合わないものを渡されようとしている。
褒美があくまで名誉である勲章であって、分かりやすい爵位や土地や金銭ではないのは、ソフィアには本当に重すぎて扱えないものとして判断してくれてのことか。
「っ……」
ぎゅっと、膝の上に置いていた拳に力が入る。
大きすぎるご褒美だ―――でも、思ってしまった。
勲章をもらって、さらにこの国で女性が得る職として一番といってもいい程のところに行けたならば。
少なくとも、ルーカスと並んでいるときの「どうしてあんな平民の子と一緒にいるのか」というような他人からの奇異な目はなくなるのだろうと。
ルーカスの隣にいて、彼が恥ずかしいと思うような立場ではなくなるだろうと。
パーティーでのたくさんの視線を思い出すと、じくじくと胸が痛む。
少なくとも、今の自分は伯爵の地位を持つ人の友人として、第三者から見ればそぐわない存在だ。
(ルーカス様はまわりの意見なんて気にしてなさそうだけど……私は気になる)
周りの目なんてどうでもいいと思えるほどに心は強くないし鈍感でもない。
(……それに……)
ソフィアはしばらく一緒にすごしたターニャを思った。
楽しくて、優しくて、可愛い王女様。
なによりトーマス子爵が追って来た時「自分を置いて逃げるように」とさえ言ってくれた強い人。
無事に城に帰せて本当によかった。
(今後も、あの子の傍にいて見守っていくということに、不満なんて思い浮かばないわ)
ターニャが笑ってくれるように心を砕くこと、それが自分のやるべきことになるのは普通にいいなと思った。
ソフィアはあの小さな王女様を、好きになっている。
守っていきたいと素直に思う。そう思ってしまった時点で、もう答えは決まってしまっていた。
「……ルーカス様には、なんでそんな面倒な役引き受けたって叱られそうですが」
「一緒に叱られよう」
ソフィアがつい笑うと、マークスの口元にも笑みが浮かんだ。
ついで、ゆっくりと立ち上がると、椅子の横にでていって腰を落とし、スカートを摘まんで広げた。
深く頭をさげて告げる。
「第一王女ターニャ殿下直属の侍女の任、謹んでお請けいたします」
少し前までは、地位や権力を欲する人は強欲すぎてどこか自分とは相いれないタイプなのだと感じていた。
別に地位なんてなくても幸せに暮らせるのに、なんでそんなの欲しがるのだろうと。
でも小さくて可愛い王女様の傍にいられるのならばもちたいと思った。
そして何より、彼の隣に胸を張って並ぶのに必要ならば、欲しいとも思った。




