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誘拐してまで自分を欲しがる人ってだれだろう。
(うーん? まったく想像がつかない)
そういえば、以前マークスに妖精が好むお菓子を作れる『力』を欲しがる人は多いだろうといわれたことがある。
(でも私の力を知ってるのなんて、人間だとマークス様とルーカス様くらいなはずだし)
別に意識して隠してはいない。
そもそも妖精について話せる相手がこの二人だけなのだ。
ターニャに関しては存在は知っていても見えない子なので、力について詳しく話す機会もない。
本当に、いったい誰が自分の誘拐を命じたのだろう。
……そう考えている間に、牢屋の内に入り込んできたターニャ王女にぞっこんらしい変態男は、ソフィア達を壁際に追い詰めてしまった。
とにかくターニャを護らなけばと背後にかばいながら、目の前の男をにらみつける。
「いいねぇ。いい顔だねぇ。いじめがいがあるよぉ」
「つくづく嫌な趣味ね」
「いい褒め言葉だよ」
「ふんっ」
怖いけれど、屈してなんてやらない。
ツンと顎をそらしたソフィアだったが、男の肥えた指が伸びてきたことにビクリと肩がはねた。
狭い部屋の中、完全に角隅に追い詰められている状況。
ちょうど角のところにターニャを押しやり、ソフィアが前に立ちふさがって隠している形だ。
ターニャがいる以上、この場から避けることなど出来ない。
伸びてきた指を払おうとしたけれど、ムチを床に落とした男の片手でふさがれてしまう。
ソフィアの手首をつかんでいない方の手で、そっと頬を撫でられる。
「っ……!」
ピリッと、さっき切られた頬が痛んだ。
わざとそこを擦ったのだろう。
でも痛みよりずっと、恐怖感の方が急激に大きく膨れ上がる。
「いいねぇ。張っていた虚勢が崩れる瞬間。ほんとにたまらないよぉ」
「く、崩れてなんか……」
「ふふふふ。君を依頼主に渡す前に、ちょっとだけ遊んどこうかなぁ。大きな怪我させなきゃ別にいいよねぇ」
はぁはぁという、荒い息が鼻にかかる。
大きな図体から感じる圧迫感と体温に、じわりじわりと自分の大切な何かが汚され侵食されていく感覚がした。
--怖い。
「ふふふふふふ。いい顔だねぇ。女の子の怯えた顔は、ほんとうにいい。いいよぉ」
じっとりと汗ばんだ生温かな他人の手が、自分の肌にふれること。
撫でられていく感触に、掴まれた強い力に、吐きそうになる。
それだけでも堪らなかったのに。
「ひっ……」
ブラウス型ワンピースの首元のボタンに指が触れたのに気が付いて、一気に血の気が引いた。
ソフィアの小さく上がった引きつった息に、男はいっそう嬉しそうに口元を上げる。
顔を、近づけて来る。息が、より近くかかる。
(む、り)
幼いターニャがいて、なおさらしっかりしなければと思っていたのに。
気持ち悪くて、怖くて、嫌で、もうこれ以上は耐えられない。
(やだ。こわい、助けて)
ーーどうしてか頭に浮かんだのは、金色の髪の年下の少年。
きっと今も必死になって探してくれている人。
でも当然、今タイミング良く来てくれるわけがない。
ボタンが一つ、はずされた。
二つ目に手がかかり、ついに目の奥がじわりと熱くなって、嗚咽が漏れもれそうになった―――時。
「……トーマス子爵」
牢の向こうから掛けられたのは、おっとりとしたメルシアの声。
男が彼女の方を振り返ると同時に、指がソフィアから離れていく。
ほっと息がもれた。
でも掴まれた手首はまだそのままで、動けない。
(トーマス、子爵……?)
メルシアが呼んだ声のおかげで、やっと男の名前が分かった。
けれどやはり聞き覚えがないもの。
もともと知っている貴族の名前なんて片手程度だから当然なのだが。
「なんだ? せっかくいいところだったのに」
「申しわけありません。しかしお楽しみは、全ての準備が整ってからにすると先ほど伺っておりましたのですが、宜しいのでしょうか」
メルシアの言葉に首を傾げたトーマスは、しばし考える風に間を置いてから思い出したように「あぁ」と頷いた。
「そうだったそうだった! せっかく長年の夢が叶って王女を手に入れられたから楽しもうと思って、頑張ってるんだよねぇ」
トーマス子爵が、ぱっとソフィアを開放する。
そしてにこにこと笑顔で出口へと向かって行くと、外へでてきっちりと牢の鍵を閉めた。
「ぼくさぁ、うさぎさんと追いかけっこしたくてねぇ。今準備中なんだ。だから、ちょっとだけ待っててねぇ?」
言葉の意味がわからないが、その「追いかけっこ」のために今危害を加えるのをやめてくれたらしい。
にたにたとしたいやな笑みを浮かべながら、子爵はメルシアと共に牢の中のターニャとソフィアを満足げに眺めて去って行った。
――追いかけっこの準備ってなんだろう。
(メルシアさん、どういうつもりなのかしら)
さっき、彼女が声を掛けてくれなかったらソフィアはもっとひどい目にあっていただろう。
そしてターニャに関しても、絵を傷つけられて怯えて暮らしているなんて報告をトーマス子爵にしていたらしい。
お金の為に言う事を聞いているけれど、ターニャへ対する情は捨てきれていないと言う事だろうか。
二人が去っていき、しんと静かになった牢の中。
ソフィアはずっと自分の背後にかばっていたターニャを振り返って見下ろす。
「……ターニャ王女?」
腰を屈めて顔を覗き込むと、青い瞳には涙が一杯にたまっていた。
やはり怖かったのだろう。
涙はホロホロと頬を伝い、絶え間なく地に落ちていく。
ぎゅっと奥歯を噛みしめている様子からして、ずっと声を出さないように泣いていたのだろう。
「大丈夫ですよ。きっと、大丈夫です」
小さな体を抱き寄せつつ、ソフィアは何度もそう繰り返した。
腕の中に居る彼女と、自分に言い聞かせるために。
* * * *
――ソフィアとターニャが誘拐されて二週間。
その間、まだ手がかりを見つけられないルーカスは、事件の現状報告の為にマークスと一緒にソフィアの家に来ていた。
そして報告を終えた後、執務室でマークスと二人きりにしてもらっていた。
目の前にいるのは、ソフィアの家に居ついている妖精たちだ。
手のひらサイズの妖精達を前に、ソファから降りたルーカスは真剣な顔で床に手をつく。
「頼む! 協力してくれ……してください!!」
隣ではマークスが、ふわふわと周りを飛ぶ妖精たちにお菓子という名の賄賂を配布しているところだ。
しかしやはりソフィアのお菓子ではないので、彼らの反応はとても薄い。
「ひとさがしとか」
「めんどくさー」
「しんどいっす」
彼らはとてもやる気がなかった。
頭の上にとまってクッキーをかじる妖精の尻に敷かれても、ルーカスは頭をさげつづける。
人だけの捜索ではどうにもらならない今、もう妖精達に頼むしかないのだ。
特にキーには、大事なことをしてもらいたかった。




