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妖精専属菓子職人  作者: おきょう
続編

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8



「めうしあ、めうしあ、どこぉ?」


 夜の暗闇の中、舌っ足らずな声が名前を呼んでいる。


「めうしあ、めうしあぁ」


 正しい発音がまだ出来ないほど幼い主の繰り返しの声に、侍女のメルシアは目を覚まし、急いでベッドから身体を起こした。

 控えの間から顔を出すと、声の主であるターニャ王女がベッドの上でふにゃりと表情をくずす。

 青い瞳には、もうすでに涙が浮かんでいる。

 

「めうしあ……」


 小さな手が、一生懸命にこちらへ伸ばそうとされている。


「めうしあー」

「はい、ターニャ様。メルシアはここにおりますよ。どうされましたか。怖い夢でも見てしまいましたか?」

「んんん」


 かがみ込んで顔をのぞき込み、背中をなでるとすり寄ってくる暖かな体。

 周りのピリピリとした空気を察するのか、近頃夜泣きをする頻度が増えている。


「大丈夫ですよ」

「んう」


 繰り返し何度も背中をなでていると、落ち着いてきたらしい。

 シーツをめくって、そっと体を横たわらせるとすんなりと眠りに落ちた。

 むにゃむにゃと動く口元に小さく笑いをこぼした侍女のメルシアは、しかしシーツを掛けながら灰色の瞳を揺らす。



 目の前で眠る小さな姫君が――――愛おしくないはずがない。



 メルシアは元々、ターニャの母親である王妃の侍女であった。

 王妃のお腹が大きくなっていく課程を見ていて、誕生の瞬間にも立ち会った。

 産声を聞いた時は、思わず泣いてしまったくらい感動した。


 侍女の中で一番最初に抱かせてもらった。

 生後半年を迎える頃、王妃付きから王女付きへと異動になった。

 初めて笑った時、初めて立ち上がった時、初めて言葉を話した時、全部を鮮明に覚えている。

 ターニャ王女の成長の全てに寄り添い、ずっと見守ってきた。

 可愛らしい主が、本当に大切だと思っている。


 彼女を大切に思う、そんな自分を周りも知っているからこそ、誰にも怪しまれずに今も一番近しい侍女として傍にいさせてもらえている。


「……でも、私は貴方を選べないのです」


 メルシアには大切な主人であるターニャ王女とは別の、大切な人がいる。

 天秤に掛けた上で、そちらを取ることにした。

 


 主を、裏切ることに決めた。



 ――ポトリ。

 ターニャの頬に落としてしまった一粒の涙に気づいて、メルシアはハッと我に返って頭を起こす。


「申し訳ありません」


 目元を拭いながら漏らした嗚咽交じりの謝罪は、既に夢の中にいるターニャの耳に届きはしなかった。



** * *





「え、ターニャ王女、ルーカス様の伯爵位お披露目パーティに出席されるんですか?」


 その日、ルーカスの家へお茶をしに来たソフィアは、聞いた事実に驚きの声を上げた。


「あぁ。と言っても遅くまで起きられる歳でもないし、最初の二、三時間だけだがな」

「……外出されて、大丈夫なんですか」


 ソフィアがターニャと会ったのは、この一か月間で三回。

 そのうちの一回はルーカスも一緒に行って、今後も会う機会が多くなるだろうからとターニャ王女への嫌がらせの内容は彼も聞いていた。

 そしてつい先日まで、彼女を護るために傍に寄る人間に制限を掛けてもいたはずだ。

 方針が変わったのだろうかと首を捻るソフィアに、ルーカスが今日のおやつのフルーツタルトにのったグレープフルーツにフォークを刺しつつ教えてくれる。


「今のところ王女本人に危害は加えられていないからな」


 ちなみにソフィアの手製のタルトは大きなホールではなく、手のひらサイズの丸い形の一人分ずつで作るタルトだ。

 フルーツをたくさん盛れば盛るほどに切り分けずらくなる。

 だから食べる直前まで綺麗な形を保てるようにこの形にしてみた。

 表面にシロップを塗って艶々にした。

 フルーツが宝石みたいでとっても気に入っている。

 ソフィアもフォークでそれを切り分けつつ、ルーカスの話に頷いた。


「なるほど。なにより何ヶ月どころか何年続くかも分からない嫌がらせの為に一切外部との接触を断つというのも出来ないですもんね。王女様という立場上、いつまでも表に出ない方が不自然ですし」


 子どもは成長し、行動範囲はどんどん広がっていく。

 立場も人の注目を受ける王女という地位にいる。

 隠していれば後ろめたいことがあるのかと不穏な噂を招くことになり、このまま閉じ込め続けるのは得策では無い。


 だから手始めに従兄弟であるルーカスの披露パーティーにごく短時間だけ顔を出させることにしたらしい。

 いつも傍にいる一番信頼している侍女も、護衛の騎士も配備させる。

 何より嫌がらせを受けているのは絵だけで、ターニャへの身体的危害が今まで一切ないからということが大きな理由の一つ。


 大人たちが話し合い、警備も十分に配置してのことならソフィアが意見をする所ではないのだろう。

 

「私は、パーティーに知っている人が増えるのは心強いです」


 貴族ばかりで知り合いなんて皆無な場に出るのは、やはり少し不安がある。

 友人という立場で出席させては貰うが、ソフィアは他の出席者全てより地位は下であり、大人しくしているべきだ。


「ルーカス様は主役で、多くの客人を招くから当日はとても忙しいでしょう? ずっと一緒にはいられないはずですし、だったら私はターニャ王女の傍にいていいでしょうか。お話相手をさせてもらえたら嬉しいです」

「そうだな。僕もソフィアを一人にする時間が減るのなら、その方が嬉しい」

「っ! そ、そうですか」

「あぁ」


(なんでいきなり、ふんわり笑顔が出て来るの!)


 つい十秒前までターニャのことでお互いに真剣な顔をしていたのに。

 突然に可愛い顔と発言をされると、どうしていいか分からなくて困るのだ。

 あまりの眩しさにソフィアは直視できなくて、視線を右往左往させてしまう。


 彼のどこも作っていない素のままの柔らかい笑顔は、本当に最強だと思う。

 しかもこの笑顔を向ける相手が人間では自分だけだと言う事が、むず痒くて仕方がないのだ。

 嬉しいともちろん思うけれど、でも恥ずかしいの方が大きすぎて、平静を保てない。


 動揺を誤魔化すためにティーカップを探して手を伸ばそうとしたソフィアは、視界に入った小さな生き物に気付いた。


「――それにしてもシロ、本当にここに居着いてるんですね」

「あぁ。奔放な性格のようで遊びに出ていることがかなり多いが、拠点はうちになっているらしい」

「リリーがいるからですよね。情熱的だなぁ」

「当のリリーはまったく眼中にはいっていないようだがな」

「まぁそれは……望み薄いでしょう」


 ソフィアとルーカスの視線の先では、タルトの大きな欠片を抱えてリリーの方へと飛んでいくシロがいる。

 欲張って大きすぎる欠片を選んだのか、重さでよろよろしていて今にも落っこちそうだ。

 それでもなんとかリリーのいる窓枠へとたどり着いた。

 

「こ、これ、たべるか?」


 そわそわドキドキ、期待に満ちた顔で聞いてみたシロ。

 しかしリリーは何も返すことなく、すでにルーカスから受け取っていたタルトを上品に食べ続ける。 

 何度か声を掛けても同じ反応に、ガーン! と効果音がつきそうなほどのショックを表情だけで見せたシロは、とぼとぼとこちらへ飛んで戻って来た。タルトを抱えたまま。

 ソフィアの膝の上に座って、それを凄く大きな口をあけて食べ始めた。

 頬につめ過ぎてハムスターみたいに膨らんでいる。


「喉、詰まるわよ」

「んん! ふんんん!」


 ソフィアの忠告なんてきかず、シロはバクバクタルトを口に詰めていく。やけ食いらしい。


「ルーカス様。シロが迷惑なら、連れて帰りましょうか」

「言って聞かせるなんて無理だろう」

「うーん……確かにすぐにまた舞い戻って来てしまいそう。でも、ここなら心配ないかと思って放っておきましたが、実際に見て見るとだいぶリリーの邪魔になっているような」

「リリーは本気で空気かコバエ程度にしか思っていない。そもそもあれがリリーに付きまとっているのは、ソフィアがこの家に通い始めるよりずっと前からだしな」

「うーん……」


(あ、虫かごに入れちゃうとか……)


 ふと思いついてしまったが、それは流石に可哀想かとすぐに自分で却下する。

 ソフィアに妖精の恋をどうにかするのはどうやら無理らしい。

 なにより恋愛なんて、本人たちがどうにかするもの。

 外野が勝手に動かない方がいいのだろう。



 


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