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ソフィアの想像していた『王女様』はお淑やかで物静かで、かつ凛とした格好いい人という感じだった。
しかし目の前にいる彼女は、想像していた王女様とはあまりに違う。
ひたすらに元気で明るく、マークスやジンまでも振り回すのだ。
あまりの勢いに、最初はびっくりして固まってしまった。
でもしばらくすると無邪気にジンになついて肩車で歓声をあげる彼女に、じわじわと親しみのようなものが湧いてくる。
明るい笑顔で、緊張がほぐれていくのだ。
(……周りを照らす、太陽みたいな方だわ)
想像とは違ったけれど、とっても魅力的な王女様だ。
(本当に好きなのね)
ジンにじゃれつくターニャは本当に楽しそうで、大好き! と全身で表現している。
微笑ましく眺めながら少し待っていたけれど、でもジンに夢中になっていて、ソフィアの存在にまだ気づいてさえもらえてないような気がしてきた。
このままではずっと放置されることになりそうで、ソフィアは一歩前へ出て、自分から声をかけてみることにしする
幼い子供を怯えさせないよう、ゆったりとした口調で。
「ターニャ王女殿下。こんにちは」
「っ……?」
やっとこちらに気付いてくれた。
ジンの肩の上から、大きな丸い瞳がこちらを向いてくる。
ソフィアは目を合わせて、にっこりと笑ってみせた。
「私はソフィアと申します。良かったら私とも遊んでくれませんか?」
「あしょぶ? あしょぶの?」
「はい、ぜひ! 鬼ごっこでも、かくれんぼでも、お絵かきでも! なんでも出来ますよ」
「わぁ」
ターニャの顔がパッと輝いた。
ジンに肩車をされながら、手を大きく上げてはしゃぐ。
「おえかき! おえかきがいいわ!」
「お絵かき、好きなんですか?」
「すきー!」
感情豊かな彼女に、ソフィアのほうも口元が緩んでくる。
では早速お絵描きを……と思ったけれど、それをマークスが止めた。
「まずはお茶だ。ジンがお菓子を食べたくてうずうずしている」
「は! そうでした! ごめんなさいジン!」
さっきあんなにそわそわしていたのに。
慌ててジンを見ると、今も彼はターニャを乗せながらも視線はテーブルの上の、未だ開けられていないピクニックバスケットを見ていた。
(これ以上に我慢をさせるのはかわいそうすぎるわ……!)
そんなわけでお茶をしてからお絵かきをしようとターニャに言い聞かせ、一緒にテーブルを囲むことになった。
お茶を淹れてくれる侍女の脇で、ソフィアは今日作ってきたお菓子――ベイクドチーズケーキを人数分皿に盛っていく。
用意して来た苺のソースをかけ、さらに城で用意してくれたカットフルーツ、ミントの葉を乗せると、ちょっとお洒落な一皿の完成だ。
皆の前にそれぞれ置きながら、そういえばとソフィアは首をかしげながら口を開いた。
「マークス様、私とターニャ様を会わせたかったのってどうしてです?」
わざわざ呼び出して会わせるなんて、どんな理由があるのだろう。
お絵かき遊びなんて提案して良かったのだろうかと、今更心配になってきた。
眉を下げるソフィアに、フォークでチーズケーキを切り分けつつマークスが答えをくれる。
「気が合いそうだから一度会わせてみようかと思っただけなんだ。お茶が終わったら遊んでやってくれ」
「もちろん遊ぶのはかまいませんが……気が合いそう……? え? 三歳の女の子と、気が合いそう……?」
本気でそう思われているのか。
じっとマークスに疑惑の視線を送ると、そっと顔を反らされた。
次にジンに視線を向けると、同じように顔を反らされた。
ソフィアは二人を睨みつける。
「あのう? 説明してくださいません?」
「えーと。ま、まぁあれだ。兄妹は男ばかりだし、学友もまだ見繕えてない段階でな。遊び相手をしてやれる者が侍女か乳母と、いつも同じになってしまって。だから仲良く出来そうなソフィアと知り合えればいいなと!」
「ほーう」
色々と誤魔化されている気はする。
けれど、さすがに王子であるマークスにこれ以上の文句を言う勇気はないので、とりあえずは納得してみせておくことにした。
一緒にチーズケーキを食べながら話をしてみると、王族の傍に仕える立場の人は祝福の瞳が有るにしろ無いにしろ、妖精の存在は知っているらしい。
(だからターニャ王女がジンのことを『妖精さん』と呼んでいても、傍についている侍女が驚かないのね)
ただ公の場にだすような歳になる前に、呼び方を変えさせなくてはいけないとのことだ。
ちなみにターニャに祝福の瞳はなく、ジンが人間の姿になっていなければ見ることはできないようで、それがとてもとても悔しいらしいと頬を膨らませて聞かせてくれた。
そしてマークスとターニャは、とても仲がいい兄妹らしい。
いまもターニャの汚れた口元を、マークスが自らナプキンでぬぐってあげている。
「そうだ、ターニャ。お茶が終わったらソフィアにアトリエを案内するといい。絵描きの道具もたくさんあるだろう」
「はいにーしゃま!」
「アトリエですか?」
兄妹の会話に、ソフィアは首を傾げた。
「絵が好きなターニャに、父上が与えた城の外れにある小さな建物だ」
「た、建物を子供に与えるとは凄いですね」
「いや……実はかなり豪快な描き方をするんだ。結構な価値のある家具や調度品に絵の具を飛ばされるのはこれ以上は困るということでの、やむなくの措置だ」
「確かに子供って絵の具飛ばしちゃいますもんね。でもそれで建物を……」
ソフィアだって子供のころに絵を書いていいと絵の具を与えて貰ったときは、スケッチブックをはみ出して床に描いてしまったり、色々な所に跳ねさせたりしてオーリーに叱られたものだ。
しかしそれでアトリエとなる建物を与えてしまうところが、やはり王族なのだろう。
「あそこは凄いぞ。きっと気に入る」
にっこりと意味ありげに口端を上げたマークスの台詞の意味がよくくみ取れなくて、ソフィアは首を傾げつつも頷いたのだった。
* * * *
お茶を楽しんだあと、マークスとジンは仕事で少し抜けると言う事で、ソフィアは侍女とターニャと三人でアトリエに向かうことになった。
ちなみに途中で寄って来た下級妖精たちに一つあげた以外の、あまったチーズケーキは全てジンに進呈した。
ものすごく喜んでいて、褐色の肌でも頬のあたりが色づいているのが分かった。
「こちらです、段差がごさいますので足元にお気を付けください」
ターニャと手をつないだ侍女に促されつつ、城のいくつもある出口の一つから出て、小道を歩いていく。
左右に木々の植えられた並木道を抜けて付いたのは、城の敷地内の東の端だ。
そこにひっそりとたたずむ建物が、ターニャのアトリエとのこと。
(王城にあるにしては質素だけれど、赤い屋根とかドアノブが花型になってたりとか、デザインが凄く可愛いわ)
レンガ造りの壁に赤い三角屋根というこじんまりとしているけれど可愛らしい建物だ。
比較的新しく見えるので、おそらくターニャの為に作られたのだと思う。
鍵もターニャが持っていたようで、背のびして、小さな手で一生懸命鍵穴にさして回している。
「うん、っしょ。はいどーぞ!」
「お邪魔します。――わぁ……!」
中に入ると、そこはまさに『アトリエ』だった。
四方八方にキャンパスが積み重なり、壁には書きかけの大きなキャンパスが立てかけられている。
武骨な木製の作業机の上にはスケッチブックや画材がたくさん乗っていて、たった今ここで絵を描いていたという感じだ。
絵を描くための場所ということで、普通の邸宅にあるような家具はない。
あちらこちらに絵の具が飛び散っているし、ところどころはもう壁に直接絵を描いていたりもしている。
壁から床から天井から、目に映るすべてが色彩豊かな、今まで見たことのない世界になっていた。
「わ、しかも絵もすごい」
無造作に積み重なり乱雑に置かれた絵画に、ソフィアは思わず目を見張る。
見たままの景色や人物を切り取った繊細で精密な絵もあったり、何が題材なのかはわからないけれど鮮やかな色彩と迫力に圧倒される何かを感じるのもあったり。
画風は様々だが、その全てがとにかく『上手い』のだ。
心にぐっと刺さる色彩と、迫力がある。
あまりの光景にソフィアはしばらく玄関扉を一歩入った場所から、動けなくなった。
一面に広がる色彩の凄さに圧倒されてしまったのだ。
「こ、これを、ターニャ様が全部描いたんですか!?」
「そうなの」
「三歳児にしてなんという才能……」
こういうのを、天性の才というのだろう。
ことごとく想像から外れた、常識はずれの王女様だ。
凄いなぁと呑気に部屋を見させてもらっていたが、しかしソフィアはハッと気が付いてしまった。
(私、こんなに上手い子とお絵かき遊びするの!?)
別に競うようなものでないとは分かるけれど。
それでも三歳児と並んで描いて絶対に勝てないというのは、結構なさけなくないだろうか。




