妖精との後日譚 11
「ねぇ、ルーカス」
「……うん」
「ねえ」
「……………」
「ねぇってば! 私が呼んでいるのだから、本でなくこっちを見なさいな!」
リリーに大きな声で叱られて、ルーカスは読んでいた本からゆっくりと顔を上げた。
今、ルーカスがいるのはフィリップ伯爵家の蔵書室だ。
少し埃っぽく薄暗い、天井まで届く本棚がいくつも並べられたその部屋で、本棚の前に立ち本を広げている。
「どうしたんだ、リリー」
夢中になるあまりに返事をおろそかにしていた自覚はあった。
なので、ルーカスは今度ははっきりとリリーに顔を向けた。
すると目線の高さを飛ぶ彼女は、なにやら眉を寄せて腰に手を当てている。どうやら怒っているらしい。
「ソフィアと仲直りしに行くのではなかったの? 謝りに行くのではないの? 城を出てすぐにソフィアの家に行くのかと思ったのに、どうして帰ってのんびり読書なんてしているのよ!」
リリーにそう叱られて、ルーカスは青い瞳を瞬いた。
だってルーカスは、真剣に考えてここに帰ってきたのだ。
ただのんびり読書をしているつもりなんてなかった。
ソフィアに謝りに行くために、その前に必要な事だからこそ、今本を読んでいるのだ。
「これはな、謝り方を勉強してるんだ」
「……はぁ?」
とても真面目に言ったのに、リリーは目を眇めてくる。
「思うに、今回の仲違いは僕の対人関係の能力不足が原因だ」
「え、えぇ」
「今度は間違えられない。だから調べてる」
「……えっと、この間、気まずくなった時にソフィアの家に謝りに行ったでしょう? あんな感じでいいと思うのだけど」
「あの時とでは関係が違う。『友達』との喧嘩には、何が有効なのだろうかと……」
それに、前回はお互いに気まずくなって距離が開きはしたが、『喧嘩』ではなかった。
兄のエリオットに関わって、危険な目にあって欲しくないという理由もあってのことだった。
しかし今回は完全に、自分の子供っぽい焼きもちでソフィアを怒らせたのだ。
しかも彼女が落ち込んでいるところに追い打ちのように我儘を言って困らせもした。
だがらこそ、なおさらきちんとした謝罪が必要だろう。
『友達』との喧嘩の仲直り方法を、ルーカスは知らない。したことがない。
だからその為の知識を、今急いで頭に入れている最中なのだが。
こちらは真剣にやっていることなのに、リリーは口をあんぐりと開けて呆けている
「なにか、おかしいか?」
「……ほんっと、人付きあいの経験値不足って、こういうところにでるのねぇ。そんなの本で学ぶもの?」
「知識を得るのに本は有効たぞ?」
「はぁ、もういいわ。付き合ってあげるわ。どんな本を探しているの?」
「すまない。なら、友情物の話が書いてある小説を探してくれるか」
「友情もの……そんなのここで見たことないけれど」
今ルーカスが手に取っている本は、心理学の本だ。
部屋には経済学や歴史本、外国語ばかりで、熱い友情物の本はほとんどないから、飛んで上の段など回って見つけて貰えればありがたいと思った。
しばらく部屋の書棚の上の方を飛んで周っていたリリーは、首を振る。
どうやら背表紙の題名を読んだだけでそれらしいとわかるものはなかったらしい。
「中身をひとつずつ確認していくか」
「それより、本屋に行って店員にお勧めの友情物の本を出して貰った方が早いんじゃないかしら」
「その手があったか」
さっそく本屋に出掛けようと、持っていた本を閉じた時。
ボトッと、目の前に何かが落ちてきた。
首を傾げながら見下ろすと、本の上にうつぶせになって落ちている妖精がいた。
「……あら?」
「これは……中級妖精か?」
ルーカスはリリーと一緒に、本の表紙の上に落ちてきた妖精を見下ろす。
ソフィアとよく一緒に居る、マスコット人形のようにコロコロ丸々した下級妖精よりも、いくらか人間味の強まった外見の中級妖精。
人間でいう二・三歳程度の頭身に羽を生やしたその中級妖精は、ゆっくりとした動作で起き上がる。
「いたたたた。ちゃくちしっぱいだぜ」
ソフィアの菓子でもなければ、めったに人間に興味をしめさない妖精にしては珍しく、向こうからこちらを振り向き、話しかけてきた。
「よう!」
「あ、あぁ……」
思わず言葉を返すと、その妖精はニカッと歯をみせて笑う。
淡いクリーム髪に、新緑を思わせる緑色の瞳。少し釣り目がちな顔立ちとパンツスタイルという服装からして、性別は男になるのだろう。
(ん? この花飾り、見覚えがあるな)
ルーカスの手の中にいる中級妖精の腰部分に、花の形の装飾が飾られていた。
中央に白いビーズが縫い付けられている上、レース編みで作られたものらしい。
……まったく飾り気のない恰好の下級妖精達と比べて、中級妖精達は個々様々な装飾品をつけるようになる。髪型も、服装もそれぞれがまったく違うものとなる。
だからこの妖精が何を付けていても不思議ではないのだが。
彼の付けている花飾りは、ルーカスの知っているものにそっくりだった。
(あの下級妖精たちは頭につけていたが。この中級妖精は腰のベルト飾りにしているのか)
見下ろしていると、本の上に載っていた両手を前へ出して大きく空中へとジャンプした。
「とうっ! っ、あぁぁぁ!」
ジャンプして、ほんの少しだけ浮いたと思った妖精だったが、しかしすぐにペチャっと床へ落ちてしまった。
慌ててしゃがみ込んで手の平に救い上げたルーカスは、首を傾げる。
「どうした、とべないのか」
「そーなんだよ。まいったまいった」
「怪我でもしているのか?」
「ちがーう。この体に、なれてないだけ!」
「この子、進化したてね。それも数分も経ってない……だから今の体で飛ぶのにまだ慣れて無いのね」
「進化だと?」
リリーがしてくれた説明に、ルーカスは目を大きく見開いた。
数えきれないほどたくさんいる下級妖精の中で、中級妖精へと進化できるのは本当にごくわずか。しかも進化したてでまだ中級妖精の体に慣れていないほどの間に会うなんて珍しすぎる事だ。
驚くルーカスの手の平で、その中級妖精がゆっくりと立ち上がり、こちらを見上げる。
「ルーカス。こいこい」
「来い? どこへ」
「ソフィアも呼ぶからな。な?」
「ソフィアだと?」
妖精からソフィアの名が出たことに首を傾げた瞬間。
――――ビカッ! と、大きく強い光が放たれた。
「なっ!?」
薄暗い蔵書室すべてを飲み込むほどの光。
眩しさにとても目を開けていられなくて、ルーカスは思わず目を瞑る。
しかし閉じてもまだ瞼の向こう側が白く点滅していて、思わず妖精と本を放り出し、腕で顔を覆った。
――――しばらくして、白い点滅がなくなった頃。
ふいに、何かがルーカスの淡い金髪を揺らした。
「風?」
室内なのに、髪を揺らす風が吹いているなんて。
不思議に思ながら、ルーカスはゆっくりと覆っていた腕を下ろした。
そして視界に飛び込んで来た光景に、絶句した。
「ここは、どこだ……。僕は家にいたはずなんだが」
一面に広がる花畑の中央に、ルーカスはぽつんと立たされていたのだった。
* * * *
眩い光の点滅の後、フィリップ伯爵家の蔵書室にはリリーが一匹だけ取り残されていた。
床に落ちた本の上に腰かけ、周りを見回して溜息を吐く。
「連れて行かれてしまったわ。私はもう完全な大人だから、あそこには入れないのよね」
人間の子供がたまに引き込まれる――こことは違う場所には、人間はもちろん妖精の大人も入ることはできない。
子供が何者からも守られたあそこへいざなわれる事を、人は神隠しと呼ぶこともあるらしい。
「さっきのあの中級妖精、ソフィアも呼ぶって言ってたわね。子供とは言うには微妙だけれどまぁ、ぎりぎり入れる年頃かしらね」
リリーは窓を見上げる。浮かび始めたのは満月。
そしてこの暖かな季節もあいまって、おそらく今晩が、幼い妖精達にとっての特別な夜なのだろう。
「まさか、ルーカスとソフィアが惹き入れられるとは、思わなかったわ」
ふわりと身体を浮かせたリリーは、もうここに用はないと、小さく開けられていた扉の隙間から出ていくのだった。




