妖精との後日譚 10
結局お互いの引きどころ無く。
その日ルーカスは喧嘩したまま、ソフィアと別れたのだった。
――――翌日、ルーカスは城でマークスと対面していた。
現在、フィリップ伯爵家の領地管理はマークスの配下の者に助けられて行っている。
どれだけ頭が良くても十歳の少年が滞りなく管理を行えるほど、伯爵家の当主の仕事は簡単でないからだ。
しかし任せきりという訳ではなく、ルーカスも度々領地へ赴いての視察をしたり。
送られてきた税収や領内の報告書類を確認したり。
領民からの嘆願書や領地改革の計画等に意見を述べたりと、領主として今の自分が出来ることをしていた。
十歳児としては、かなり忙しい方と言えるだろう。
そんなフィリップ伯爵領内の報告の為に、今日は後見人のマークスに会いに来ている。
大きなテーブルの上に書類をたくさん広げて、対面している状況だ。
そこでいたって真面目な会話を交わしていたのだが、しかし一時間ほどして、マークスがルーカスの顔をまじまじと眺めながらおもむろに口を開いたのだ。
「ルーカス。今日は何やら特に機嫌が悪いな」
「え……? そう……でしょうか」
その指摘にルーカスは少し瞼を伏せ、視線をそらしてしまう。
(確かに昨日の喧嘩を引きずって、今日は少しイライラしている自覚はあるが……)
気分を顔にも態度にも出していなかったはずだ。
なのに、どうしてばれてしまうのだろう。
しかしそれを指摘されたからといっても、素直に肯定もしにくかった。
(――何もかも知られるのは、なんだか嫌だ)
ルーカスは自分のことを何もかもあっぴろげに言えるような性格では無い。
しかも今回のけんかの原因は目の前のマークスなのだ。
なおさら言い辛かった。
「別に、何もありませんよ」
「ふうん? なんとなく空気がピリピリしている気がしたが。私の気のせいだったか?」
「気のせいですね」
「ソフィアと喧嘩したのよ」
誤魔化したのに、現れたリリーがあっさりとばらしてくれた。
ついさっきまで何処かへ飛んで行っていなくなっていたはずなのに、どうしてこのタイミングで戻ってくるのか。
「リリー! そんな事は言わなくていいっ」
「あら、だって喧嘩の原因はこの王子様なのでしょう? 秘密にする必要ないじゃない」
「私が原因なのか」
「いえ違いま…」
「そうよ。貴方とソフィアが仲良くしたことに、ルーカスが焼きもちを妬いたの。それで言い合いになったのよ」
「リリー!」
「ふふっ」
悪戯めいた笑いをこぼすリリーに、ルーカスは顔を赤らめて眉を吊り上げる。
ひらりひらりと掴みどころなく部屋を飛ぶ彼女は、睨んでも怒ってもまったく気にしない。
手を伸ばして捕まえて止めようとしても、あっさりと逃げられてしまった。
「んん? ソフィアと仲良く?」
首を傾げていたマークスは、数秒して先日のことに思い当ったらしい。
「あれか。下級妖精が消滅したというやつ。私はただ聞かれたことに答えただけなんだが、喧嘩の原因になったのか……」
呆れたふうに細められたマークスの視線が、ルーカスにチクチクと刺さる。
とてもふざけた喧嘩の理由だとわかっている。だからこそ知られたくなかった。
気まずくて視線をそらし続けていると、耳に小さなため息が届いた。
「とりあえず、いったん休憩にするか」
「え。いえ……必要ありません。このまま最後まで終わらせてしまいましょう」
「そんなに急ぐな。原因は私なんだろう? しかもその様子だとまだ仲直りしていないだろう。落ち着いて解決策を話そうじゃないか」
「……」
まるで子供をなだめるように言うマークスに、ルーカスは唇を突き出してしまう。
(子供扱いだ!)
ソフィアもマークスも、どうしてことあるごとに子供扱いしてくるのか。
事実ルーカスが子供だからそうなってしまうのだが、ルーカス自身は決して納得するわけにはいかない。
早く年上の彼女に届きたいのだ。子供でなんていたくない。
「面白がらないでください」
「何を言ってる。心配しているんだ。ソフィアはずいぶん気落ちしていたようだったからな」
「……え。落ち込んでた……?」
マークスのセリフに、ルーカスは茫然とした。
そして思い出した。
(そうだ……落ち込んで…いた)
ソフィアは妖精が消えてしまったことに、お菓子が作れなくなるほどに気落ちしていた。。
……あの場でルーカスがするべきことは、焼きもちを焼いて怒ってすねることではなかった。
妖精がいなくなって落ち込んでいるソフィアに寄り添い、励まし、優しくすることだった。
喧嘩に熱くなって、そういう『本来するべき行動』が完全に頭から抜け落ちてしまっていた。
「僕……」
ソフィアに、どんなふうに思われただろう。
今度こそ、面倒な子供だと呆れられて見放されてしまっただろうか。
ルーカスは悔しくて、奥歯を噛みしめる。
あれだけ一緒にいた存在が突然いなくなったのだ。落ち込まないはずが無い。
なのに自分はは、ただ拗ねて。
ソフィアの気持ちをおもんばからなかった。
「……どうしよう」
声が揺れて、俯いてしまう。膝の上で握った手のひらに汗がにじむ。
(どうしよう。どうすれば良い……?)
ソフィアはルーカスにとって大切な人。
なのに、正しい行動をとれなかった。
慰めて励ますべきところで、するべきことと正反対ことをしてしまった。
自分のしてしまったことは、取り返しがつくのだろうか。
……そこへ降って来たのは柔らかな声。
「いやいや、そこまで真っ青にならなくても。謝りに行けばいいだけだろう」
「え……」
「もの凄く簡単なことなのに、なぜすぐにそこに思い至らないのか―――お前は、勉学は申し分ないのにな。人との付き合い方はうちの末妹の方がよっぽど上手い」
「……謝りに」
そうだ。「ごめんなさい」と言いに行けば良いのだ。
ソフィアは謝罪をした相手を、頑として受け入れてくれないような人じゃない……たぶん。
――ルーカスはトラブルが起こったとき、どうしても固まってしまう。
頭の中でグルグル考えてばかりで、とっさに行動を起こせない。
ずっと一人だったから、他者との付き合い方にとても不慣れだ。
考えなしで思うままに動けるソフィアが、とてもまばゆく羨ましい。
それだけ自由にいられる場所で、彼女はのびのびと育ち生きてきたのだろう。
「い、行きます」
言いながら、ルーカスはもぞもぞと体を動かしだす。
執務が出来るような部屋は家具の全てが大人の出入りだけを想定して作られているので、子供のルーカスにはとても大きい。椅子に座ると足が届かないのが、とてももどかしい。
座席から滑り落ちるように床に足を付けた。
それから深々と、目の前の相手に頭を下げる。
「すみません、お話の続きは後日お願いできないでしょうか」
「構わない」
――――その同時刻。
「あ……これ」
ソフィアは自分の部屋で、また小さな花のコサージュを見つけ、拾い上げていた。
「黄色いビーズのコサージュ。……キーのだ…」
考えてみると、この子はソフィアと一番仲良しの妖精だった。
ルーカスの兄に襲われたとき、キーが来てくれなければどうなっていたかわからない。
妖精が見えるようになってから、ずっとそばにいてくれた子。
「もう、キーもいないんだ。シロも今日は姿を見ないし、もしかすると……」
妖精の姿が一匹もいない部屋に、ソフィアは一人で立っている。
少し前まではこれが当然だったのに、今はとても静かで寂しく感じた。
(キーも、シロもいない。ルーカス様とも喧嘩しちゃったし……姉様ももう家に帰る……。どんどん一人になっていくみたいで……なんだかもう……)
気持ちがぐちゃぐちゃになっていて、どうして良いのかわからない。
持ち主のいなくなったコサージュを見下ろすソフィアのエメラルドグリーンの瞳から大粒の涙がぽたりぽたりと落ちて、床にシミを作るのだった。




