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妖精専属菓子職人  作者: おきょう
閑話

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妖精との後日譚 9

 


 ルーカスが勉強している教科書を、ソフィアはぱらぱらっと見せて貰ったことがある。

 それはとても文字が小さくて、政治的な専門用語が多くて、外国語まで交ざっていたりして、もう一ページ目から投げ出したくなるようなものだった。

 ソフィアだって別に勉強が出来ないという訳ではないのに、まったく分からなかった。

 かなりの難易度なのだと思う。


(少なくとも普通の十歳児の少年にさせる勉強内容でないわよね。あれをルーカス様の教育に使うなんて……マークス様、かなりスパルタね……)


 一度見ただけの教科書を思い浮かべるだけで頭痛がしてきた。

 思わず眉間を押さえたソフィアだったが、メイドがお茶とお菓子を運んで来たことで気を取り直した。


 出されたのは、クッキーと、カットフルーツの盛り合わせだ。

 

「パティシエール・ミーヴェのものか」


 丸いクッキーを一枚手に取ったルーカスから、小さな声が漏れた。

 薄茶色のクッキーの表面には、花輪の中央にMの字が浮かんでいる。

 大通りに本店がある有名な菓子店のマークで、何代も続く老舗店なのでルーカスも一目でわかったらしい。

 ルーカスは市販のお菓子が出たことに、不思議そうに首を傾げている。


 いつだってルーカスとお茶をする機会があるときに添えられたのはソフィアの手作りだったから、意外に思っているのだろう。


「今日はお菓子作りしなかったんです。すみません」

「別に構わない。な」


 な、とルーカスが言ったのはリリーへだ。

 ずっと彼の傍に付いていたリリーは、クッキーを一枚手渡されてテーブルの上に腰を下ろす。


「えぇ。問題ないわ」


 彼女は上品にクッキーを頬張り始めた。



「しかし本当に珍しいな……どこか悪いのか?」

「いいえ。元気ですよ」


 身体には悪いところはない。

 お菓子を作る気分でないだけ。


「ただ、なんとなく作る気がしないだけです」

「そうか」


 ルーカスはそれ以上追及せずに、摘まんだクッキーを口に放り入れる。

 貴族の令嬢でも幼い子供でも、こぼす心配なく食べられる一口サイズの小ぶりなクッキーは、もちろんルーカスの口にも一口で収まった。

 サクサクと、噛みしめる音がかすかに聞こえる。

 しっかりと味わっているようで、何だか呑み込むまでの時間がひどく長く感じた。

 ソフィアはどうしてか、ルーカスがクッキー一枚食べる様子をじっと伺ってしまう。


(……私、何で緊張してるの)


 そういえば、自分以外の人が作ったお菓子をルーカスが食べるところを見るのは初めてかもしれないと気が付いた。


「……ソフィアの作ったものの方が美味しい」

「そんなはずないです。有名なお店のクッキーに敵うはずないじゃないですか」

「絶対、ソフィアのものの方が美味しい」


 断固としてルーカスは譲らない。

 ソフィアのクッキーは本のレシピを読んで作っただけの素人の趣味。

 そりゃあお菓子作り初心者と比べれば、数をこなしているぶん少しは自信があるけれど。

 それでも有名店のものよりも美味しいなんて有り得ない。


 ルーカスの言葉はお世辞だ。

 そうだと分かっているのに……ほっとした。


(ルーカス様が、他の人のお菓子を気に入らなくて良かった……って…何でこんなこと考えてるんだろ)


 良く分からないけれど、それでももしルーカスがこの店のクッキーを褒めていたら、ソフィアは落ち込んでいた気がする。

 自分のお菓子が、ルーカスの中で一番であって欲しかったのだ。

 ルーカスがとんとテーブルを指で叩いて音を鳴らしたことで、ソフィアは意識を彼の方へと戻す。

 少し苛立っているような、怒っているような顔だ。


「それで、何があった」

「――え?」

「なんでもないって顔じゃない」

「っ……」


 真剣な青い目で見据えられて、ソフィアは唇をきゅっと引いた。

 彼のこういところがズルいと思う。

 見た目はとにかく可愛い幼い男の子で、そのいつもは生意気ばかり言う唇からたまに零れる言葉はとても大人びていて。

 あまりに落ち着いているものだから、時々自分よりずっと年上の、頼もしい異性と向かい合っているような気になってしまう。


 十歳の子供に、甘えそうになる。


(でもそれは、何だか嫌だ)


 ソフィアには彼より五歳も年上なのだと言う矜持があった。

 ルーカスよりずっと大人なのだと自分で自分をそう思っている。

 

 でも何もなかったと誤魔化すのはもう難しいようだから。

 声が弱くならないように、まったく気にしていないと言うふうに口元は笑みを作ったまま言葉を紡ぐ。


「えっと、実はアオとアカが寿命を迎えてしまったようでして」

「っ……!」


 目を見開くルーカスに、ソフィアはつとめて平然な顔を作った。


「それでこの間、タイミングよくうちに来たジンに促されて、マークス様にお話を聞きに行ったんですよ」

「マークス様に?」

「はい。寿命についてとか、中級妖精に上がることは奇跡に近いほど難しい事だとか教えて貰いました。妖精について、私何も知らなかったなって。色々考えて、ちょっとお菓子作りを休んでいるところなんです」

「……――――どうして、マークス様なんだ」

「はい? 何がですか?」

「それくらいの事、僕だって知ってた。僕だって教えられた!」


 突然大きな声で怒りだしたルーカスに、ソフィアはエメラルドグリーンの瞳を瞬いた。

 彼は一体何を怒っているのか、良く分からない。


「あのルーカス様? 落ち着いてください?」

「落ち着いている!」

「いや全然落ち着いてないでしょう」

「僕はただ聞いているだけだっ。どうしてソフィアは僕じゃなくてマークス様のところに行ったんだ。どうして僕のところじゃないんだ! 困ることがあったなら僕のところに来れば良いのにっ」


 ソフィアは首を傾げながら、ただ素直に口にだす。

 

「それは、マークスさまの方が頼りになりそうだったから?」

「っ!」


 キッと睨みつけるようになったルーカスの顔を見て、失言だったと気が付いた。

 思わず自分の口を手で塞ぐけれど、もちろんもう遅い。

 

(な、なんなの?)


 口を押えながらも、ソフィアの胸の奥から苛立ちが湧きだしてくる。


 マークスの方が、ルーカスの倍は生きている。

 知識も経験も豊富で、大人だ。

 頼りがいがあって、そしてジンにも促されたから、ソフィアは相談しに城へと行った。


(あの場面で、『ルーカス様に相談するからマークス様は結構です』なんて、ジンに断る流れになるはずないじゃない)


 自分が悪いことをしたなんて思わない。

 どうしてルーカスに責められるのか分からない。

 

(私、絶対悪くない!)


 みるみる間に、ソフィアの頬が膨らんでいく。

 ソフィアは理不尽なことを言われた時、大人しく呑み込める性格では決してないから。

 ツンと顎を上げて胸を反らして、見下す感じで反撃してやる。


「なんで怒られるのか、意味わかんないんですけど?」

「……は?」

「私悪くないし! 言いがかりやめてください。迷惑です」

「迷惑だと?」


 ソフィアの反論に、ルーカスの眉が吊り上がっていく。


「僕の言うことが迷惑だって言うのか?」

「そうですよ。ルーカス様、勝手すぎるんです。なんでも自分の思う通りに行くなんて思わないで下さいよね」

「思って無い!」

「嘘! だったら私が誰を頼ろうと、誰に相談しようと口出しするはずないです! そういうの鬱陶しいです!」

「う、う、う、うっ、うっと……!?」


 ほとんど人付き合いをしないで育ったルーカスは、口喧嘩というものに不慣れなのだろう。

 ソフィアの喧嘩腰の台詞に上手く対処できずに、口をはくはくと震わせ言葉を失うばかりだった。喧嘩には、勢いと経験が必須なのだ。


(これは。負ける気がしない……!)


 優位に立っていると察したソフィアは、ちょっと調子に乗り出した。更に胸をそらして言い放つ。


「だいたい私の方がお姉さんなんですからね! 人生経験踏んでるんですから! ルーカス様、年下のくせに生意気なんです!」

「ね、年齢を出すのなんて卑怯だぞ! どうにもならない事じゃないか!」

「ふんっ、事実じゃないですか。年功者は立てるものですよ!」


 だんだんと相手を言い負かすことこそが目的になっていく。

 しばらくするともう、元の喧嘩の理由から話の内容はずいぶん遠ざかっていた。


「最初みたいに、ソフィアお姉さんって呼んでくれていいんですよ!?」

「呼ぶわけないだろう!」

「じゃあお姉様でもいいです!」

「ふざけるな!」

「本気です!」


 そうやってルーカスと大声で言い合っていると、なんだか溜まっていたものが吐き出ていくようで。

 数日間一人で鬱々していたソフィアの中にあった暗い気持ちは、徐々に薄らいでいっていた。

 今、口喧嘩でちょっと優位に立っている。ルーカスに勝っている。

 そのことが何だか嬉しくて、ソフィアは目の前で目を白黒させている生意気な年下の少年に顎をツンとあげ、更に「ふふん」と得意げに鼻を鳴らすのだった。

 


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