妖精との後日譚 7
「マークス様。教えてください、妖精について。あの子たちは一体どういう存在なんですか」
前のめりになって聞くソフィアに、マークスは眉を下げた。
それからまるで落ち着かせようとしているみたいに、彼はゆっくりと言葉を綴る。
「どういう存在かというと、良く分からないな。そういう生き物だとしか言えない。ソフィアも、人間ってどういう存在なのかと尋ねられても、答えようが無いだろう?」
「あ……そうですね。……困る…だけです」
とても曖昧過ぎる質問をしてしまったと、ソフィアは肩を落とした。
そんな中、入室してきた侍女らしい女性が淹れてくれてたのはミルクティーだ。
「飲むといい。温まるぞ」
「はい。いただきます」
ソフィアはカップを手に取り傾ける。
(あ……)
喉からおなかの中へと、優しい甘さと暖かさが流れ入っていく。
自然と唇からほっと小さな吐息が漏れた。
手に持ったカップからは熱がじんわりと指先から伝わってきて、それに自分がずいぶん冷えていたことに気がつかされる。
さらにミルクティーと一緒に出されたのは、サンドイッチだ。
スモークサーモンとクリームチーズにベビーリーフが挟んであって、鮮やかな彩りが目を引いた。
(そういえば、朝食も食べずに出て来たんだった)
それを察して、軽食を出してくれたのだろうか。
正面の席ではマークスも食べているから、彼自身も朝食を食べないままに来てくれたらしい。
(マークス様って、親切すぎる気がするわ。このお茶とサンドイッチもそう。普通の紅茶じゃなく、ミルクたっぷりで優しい気持ちになるものを用意してくれるんだもの)
自分の手の中で揺れるミルクティーの水面を見下ろして、ソフィアは息を吐いた。
ソフィアとマークスは、ただ妖精が見える同士というだけ。
彼がしてくれることに、ソフィアが返せることは何もない。
なのに目を掛けてくれ過ぎではないかと思ってしまう。
困ったことが有れば助けるなんて、直接言って貰えるような立場の人間ではないのに。
初めにソフィアが出した助けて欲しいと言う手紙に心を打たれて答えてくれたとしたって、まさかその後もこんな風に近い距離でいてくれるなんて。
親切なのには――――何か、理由があるのだろうか。
――そんなことを考えていたソフィアの前で、マークスは摘まんでいたサンドイッチの最後の欠片を口の中に放り込んだ。
「じゃあ、温まったことだし始めるか。妖精についての話を」
顔を上げたソフィアに、彼は話を始める。
どうやら妖精についての知識を与えてくれるつもりらしい。
「まず下級妖精の寿命は、およそ一年だ」
「……短いですね」
「人間と比べればな。彼らは生まれてからの一年のうちに中級妖精に上がれなければ消滅する。人間で言う『死』とは少し違うようだ。どの妖精も『消滅』という表現を使うからな、だがとにかく、世界から存在が消えることは間違いない」
「そんな……」
ソフィアはカップを持った手に、きゅっと力を入れた。
そうしないと取り乱してしまいそうだったから。
(一年か……)
残ったシロとキーのことが頭に思い浮かんだ。
彼らには、あとどれくらいの猶予があるのだろう。
「マークスさま。シロとキーは、どうしたら中級妖精にあがれるのですか。中級になれば、寿命は延びるのですよね?」
「……ほぼ不可能に近い」
「え」
ひゅっと、喉から変な息が漏れた。
手に持っているミルクティーの水面にさざ波が浮かぶ。
「中級になるのは、人間の側で調べた限りではだが……下級妖精五千匹に対して一匹程度。しかも中級に上がるのに何か明確な条件があるわけでもない」
「だ、だったら! ジンやリリーはどうやって大きくなったんです!? マークス様はずっとそばにいたのだから知ってるのでは?」
マークスではなくテーブルの上のジンが、ソフィアの問いに答えた。
「俺とマークスが会った時には、もう俺はこの姿だった。三百年以上生きているからな」
「さんっ、三百年!? ジン、そんなに長生きだったんですか!?」
人の大きさになったときは二十代半ばくらいの見た目だから、年上だろうとは思っていた。
でもそうやって想像していた遥か上をいくくらいに、とんでもなく年上だった。
驚きに呆けるソフィアに、マークスが口を開く。まるでジンの簡素な説明を補うように。
「ひとつだけ、中級にあがる要素として分かっているのは、妖精は妖精以外の生き物と親しくすればするほど成長するということ。しかし『仲の良さ』や『親しさ』なんて、目では測れないものだ。どれくらい仲良くなれば中級にあがれるのか、それとも他に更なる何か条件が必要なのかは、現時点で解明されていない」
「下級妖精と親しく? ものすごく難しいですよねそれ」
だって下級妖精は単純で、言葉もたどたどしく、気ままに適当に行動している。コミュニケーションがとても取りにくい。
妖精たちはソフィアになついているのではなく、ソフィアのお菓子目当てで近くにいるだけだ。
親しい間柄になれている気がしない。
このままでは近い内に、…少なくとも一年と経たないうちにキーやシロともソフィアは別れなくてはならなくなる。
(たぶんお菓子を作るのをやめれば、妖精との関係は切れるのよね)
うっかりそんなことを思い浮かべてしまうくらい、ソフィアは妖精との距離感に不安感を募らせてしまった。
だって妖精に気持ちを傾けても、一年もしないで彼らは消えてしまうのだ。
別れるのがしんどいから、これ以上に関わらないようにしてみようかなんて。
そんな考えが浮かんでしまうのは、必然でもあった。
――そんな後ろ向きなソフィアの考えを、マークスはあっさりと読んでしまったらしい。
「ソフィア」
落ち着いた声につられて彼の顔を見てみると、青い目がソフィアを真っ直ぐに貫いてくる。
まるで妖精から逃げようとしているソフィアを責めるような目だ。
ソフィアは息をのんでから、唇を歪に引き結ぶ。
「ソフィア。いつかいなくなるのは親も友人も変わらない。だからといって距離を開け、新しい友人を作ることをやめてしまうのは、私は少し寂しいことのように思う」
「そうですね……」
やっぱり、ソフィアが妖精から距離を取ろうとしそうになっているのを彼は読んでいた。
視線を落とすと、テーブルの上にいるジンも同じような顔をしている。
「別れるのが怖いから仲良くしないなんて、駄目ですよね」
二人に頷き、言葉に出して答えはしても。
ソフィア顔は曇ったままだった。
だって永遠の別れは悲しくて寂しいこと。
これから何度も何度も何度も繰り返すのは、怖い事でしか無かった。




