妖精との後日譚 2
(ジン、さっきまでマークス様のそばを飛んでいたはずなのに)
お菓子を届けると約束していたジンがいないことに首を傾げていると、マークスが笑顔で上を指さした。
「あっちだ。見てみろ」
「え? 上ですか?」
「上に何が?」
マークスの指さした上を、ソフィアはルーカスと一緒に見上げてみる。
「あ」
すると、褐色の肌をした男性型の妖精のジンが、ハート形のアイジングクッキーを抱えつつ夢中で齧りついていたのだ。
「居たな」
「はい。ずいぶん高いところを飛んでますねぇ……」
ソフィアとルーカスは、ぽかんと意外なところにいた、手のひらサイズのジンを見上げる。
「寡黙で表情もあまり動かないジンの容姿で、可愛くピンク色にデコレーションしたハートのクッキーを抱えている図は、何だかかみ合わないですよね」
「……言うなよ」
ルーカスが肘で脇腹を突っついて、咎めてきた。
このかみ合わなさが可愛くもあるのだととソフィアは思うのだけど、失礼なことらしいので、そこまでは口には出さないことにする。
「しかし、どうしてジンは浮いているんだ? テーブルの上に落ち着いていた方が、菓子も取りやすいし、食べやすくないだろうか?」
「ですよね。私もそう思うんですけど……」
首を傾げるソフィアとルーカスに、マークスが説明をしてくれる。
なぜか重々しい口調で……しかし喉の奥で笑いを押さえているのが分かる調子でだ。
「ソフィア、ルーカス……実は、ジンはな……嬉しいことがあると、何故か羽を制御できなくなって……浮くんだ」
「――――ほ、ほぉ」
「気持ちが落ち着くまで、地上に降りられなくなる。あれだな、犬が嬉しいことがあると無意識に尻尾を降ってしまう習性みたいなものだ」
「……なるほど。だからあんな所に」
ジンはきちんとした大人な雰囲気を持っている。
嬉しさのあまりに羽の制御が出来なくなるなんて、可愛い弱点があるなんて思わなかった。
「ふふっ……でも、そんなに喜んでくれているなら良かったです。作ったかいがありました」
「あぁソフィアのお菓子は、やはり妖精にとってとても美味なものらしい」
今度はなんだか噛みしめるよう聞こえたマークスの声に、ソフィアは頭上から正面の席へと視線を戻した。
(あ)
そこには、ぷかぷかと浮くジンを眺めつつ、はにかみを浮かべるマークスの表情があった。
どうやらジンが喜んで、羽を制御できない程にお菓子に夢中になっていることが、マークスは嬉しいらしい。
自分の国の王子様がこんなに妖精好きだなんて、少し前までソフィアは知らなかった。
(王子様たちを相手に何を作ればって緊張して、とりあえず目一杯豪華なものにしてみようと思って、たくさん作って来たけど。この分だと余らせることも無さそうで良かったわ)
ほっと息を吐いたソフィアは、お茶を飲みながらなんとなしに辺りに視線を向けた。
目に映るのは、庭園の色鮮やかな花々。
たくさん咲いている花々のどれを探しても、一つの枯葉もついていなくて、驚く程に手入れが行き届いている。
さらにテーブルを飾る食器や、花を生けている花瓶には、使いやすいのに美しい装飾が凝らされている。
小さく彫られた刻印は、きっと名の知れた職人の作品である証なのだろう。
テーブルクロスやナプキンもしなやかで触り心地が良いし、声が聞こえないほどの距離を保ちつつも控えている護衛や侍女の人たちも、すごく品がある。
穏やかで暖かく、そして華やかで優雅で、素敵な場所だ。
ここがこの国の王城で、目の前に王子様までいる、夢のようなところ。
(おまけに隣には、ものっ凄い美少年な伯爵様までいるしね)
空から注ぐ太陽の光にキラキラと輝く金髪の、まるで天使のような彼をぼんやりと見ていると、視線に気付かれたらしく此方へ首を傾げてきた。
「どうした、ソフィア。間抜けな顔になってるぞ」
もうソフィアを冷たく突き放すことは無いけれど、ちょっと生意気な口は変わらない。どうやら急に態度を変えるのは気まずいらしい。
「その……ルーカス様」
「ん」
「伯爵位授与、おめでとうございます。きちんとお祝いを言って無かったなぁと、今顔を見てたら思いいたりました」
そう、彼は若干十歳にして伯爵様になった。
しかもマークスと言う、第三王子様の後見人付きだ。
「あぁ……これからが大変だがな」
「お勉強、たくさんしないといけないみたいですしね」
「そうだな。まぁ、少なくともソフィアよりは上手くやれると思う」
「それって私が勉強出来ないお馬鹿だとでも!? もー! ルーカス様って……っ!?」
ソフィアは頬を膨らませて、文句を言い返そうとした。
だけど、目の前のルーカスの様子に言葉を詰まらせてしまう。
「っ……」
「ソフィア?」
(あーもう! 言葉使いはあまり変わらないのに、表情が違い過ぎて、困る……)
……こちらへ向けられる、とろけるように甘い眼差しに、ソフィアは歯噛みした。
「うー……ルーカス様の、ばかっ」
「はぁ?」
眉を寄せるルーカスに、ソフィアはもうどう返したらよいのか分からない。
ほんとうに困ってしまうくらいに、ルーカスはとてつもなく優しい表情を浮かべるようになってしまった。
今も、意地悪なことを言っていたのに、顔は優しく微笑んでいるのだ。反則だと思う。
(今まで、すっごい不愛想だったくせに……!)
ルーカスは、何故かソフィアの事が好きらしい。
告白されてから、急にこんな顔をするようになってしまった。
恥ずかしくて、居心地が悪くて仕方かない。
どうしようも無くなったソフィアは、慌てて首を妖精たちの方へと回した。
「あ! キー! クリームに体ごと突っ込まないで! せめて人間の分切って分けてからにしてくれないと、食べられないじゃない!」
「いやーん」
「あぁもう、ベッタベタじゃないの!」
叱って、ケーキの山からキーを引っこ抜く。
……こんなふうにして誤魔化すしか、いまのソフィアには出来なかった。
ソフィアは、恋心を向けてくるルーカスを相手にどう反応すれば良いのか、戸惑っているのだ。
ルーカスが想いを伝えてくれた日からずっとずっと――ソフィアは戸惑い、困り、それでもどうしても離れられずにいる。
大切な人であることには、違いないから。
口調は少し生意気だけれど、悪い子じゃないともう知ってしまっているから。
(ルーカス様は友達よ! 大事な友達!! だって五歳も年下の子供なんだもの。恋になるわけがないわ!)
年と、身分と、気持ち。……受け入れられない、たくさんの理由がある。
だからソフィアは必死で誤魔化し、一生懸命にキーのクリームをナプキンで拭う。
そんな自分を、ルーカスと、そして正面にいるマークスがどんな顔で見ているかなんて、絶対に知りたくはないと思うのだった。




