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フィリップ伯爵邸で応急手当てを受けたソフィアは、第三王子マークスの指示のもと、そのまま王城に運ばれることになった。
もちろんルーカスも一緒だ。
―――そうして時間が経ち、夜の帳もすっかり落ちた。
今、ソフィアは見たことのないほど豪華な部屋の中にいる。
外から眺めたことしかない、この国の王城の中の、それも中心部にある最上階の一室だ。
(まさか自分が、ここに宿泊する時が来るなんて本気でビックリだわ)
……王城に運ばれたソフィアは、まず王族の専属医でもあるという王城医務室長のおじいちゃん先生に手当てを受けた。
傷は綺麗に縫って貰えた。
他の傷も、丁寧に治療してくれた。
汚れた服も、とても可愛くて着心地の良いワンピースへと着替えさせてもらっている。
きっと貴族のお嬢様なのだろう侍女達から、恭しく扱われもいる。
王子の客という立場から、本当にいたれりつくせりだ。
「今日はもう休むように言われたけれど、寝付けないのよね」
そんな接待も落ち着いた夜中に、ソフィアはぼんやりと、ベッドに眠ったままのルーカスを眺めている。
どうにも寝付けなくて、自分に与えられた部屋の隣にあるルーカスの部屋に忍び込んだのだ。
半分だけ開けたカーテンから覗く空には、月がてっぺんまで昇っている。
リリーは、マークス王子と色々話して来るそうで今はここには居ない。
ずっとルーカスの側にいて、一番今回の騒動について知ってるのは彼女だから、話すこともたくさんあるようだ。
眠るルーカスと二人きりの部屋の中。
ランプの光が揺れるのみの薄暗い空間で、ソフィアは治療の途中で意識を失ってしまったと聞いたルーカスが、目を覚ますのを待っている。
もう心配ないと医者に教えて貰ったけれど。
目を開けてくれないと、やっぱり不安はぬぐえない。
「寝顔は本当に、天使よねぇ」
手持ち無沙汰から、思わずツンッと、子どもならではの少しの柔らかさを残したほっぺを突っついてしまう。
でも、いつもなら返ってくるだろう文句は無い。
ルーカスは、眠り続けたままだ。ソフィアは思わずため息を吐く。
「……可愛い顔を観察しているより、あの憎まれ口の方を聞きたいと思う日が来るなんて」
話すたびに生意気で意地悪な彼に、苛立っていたはずなのに。
どうして今、こんなに寂しく思うのだろう。
目を開けてくれないことを、怖く感じるのだろう。
「……」
ソフィアはゆっくりと、ルーカスから自分の右腕にまかれた包帯に視線を映した。
この腕の傷は、どうしても薄っすらと残るだろうとは言われた。
それでもファンデーションなどをはたけば、隠れるくらいだそうだ。
それだけ縫う医者の腕が良いと言うことなのだろう。
「傷、私は別に構わないけど……姉様や母様が気にしそう。怒りがルーカス様に向かわないと良いんだけど」
「多少は仕方ないだろうな」
「へっ⁉」
独り言のつもりで呟いていたのに、返事があったことにびっくりしてソフィアは振り返る。
そこには、大柄な褐色の肌の男が立っていた。
彼はずっと忙しく立ち回っていて、話す機会が持てずにいた。
「あ! あの!」
ソフィアは慌てて立ちあがり、頭を下げる。
「本当に有難うございました! 今回も、前回も助けていただいて」
「いや、別に」
あまり口数の多い人では無いようで、表情もあまり変わらないまま彼は淡々と話す。
それでも嫌な気持ちがしないのは、何度も助けて貰って、手を差し伸べてくれる側の人なのだと知ってしまっているから。
ソフィアは口元に笑みを浮かべながら話す。
「ジンさん、でしたよね。マークス様がそうおっしゃってました。マークス様の護衛の騎士様ですか?」
「違う。妖精だ」
「はい? 妖精?」
「そう。マークスが気にいって側にいてついてるだけの、妖精」
この人は、生真面目な顔をして何を言っているんだろう。
「えぇ……妖精なんですか? 妖精ってこう……小さくて手のひらサイズの可愛い生き物…なはず?」
彼はとても大柄だし、背中に羽も生えていない。
どこからどうみても人間の、大人の男のひと。
「冗談ではなく? 本当に?」
「あぁ」
知っている妖精たちと違い過ぎることに戸惑っていると、突然―――本当に突然、ジンが目の前から消えた。
その一瞬後に、手のひらサイズのジンが現れた。
しかも背中に羽が生えている。
ソフィアは目を見開いてから、瞬き、暫ししてぽつりと声をこぼす。
「……本当に、妖精なんだ」
「あぁ。最上級妖精は人間くらいに大きくもなれるし、そうすると、人の目にも映るようになる」
――――最上級妖精。
また新たなタイプの妖精が出て来てしまった。
しかも今度は人間に姿を変えられるというほど、なんだか凄い能力まで持っているらしい。
そういえば、エリオットに飛び蹴りをくらわした時の身体能力も、人並み外れていたような気がする。あれも最上級妖精とやらならではの力なのだろうか。
驚きつつも、ソフィアはまじまじとさっきまで大柄な大人の男の人だったジンを観察した。
リリーは優雅でエレガントな雰囲気だが、こちらの妖精は無骨な戦士を思わせる感じだ。
なのに手のひらサイズで、羽まで生えている。
「……可愛い」
一応は大人の男性なのに、つい言葉にだしてしまった。
しかしジンは特に嫌がる素振りも見せないで、ソフィアの方へ距離を縮めてきた。
「……。ソフィアは良い匂いがするな」
首を傾げるソフィアに、ジンは手を伸ばして頬に触れてきた。
小さな小さな手のひらが、慰めるみたいに頬を撫でていく。
「甘い、菓子の匂いがする」
「……お菓子なんて、持ってませんよ?」
「でも、甘い。……食べたくなる」
「っ……」
姿は小さいのに、低い重音で耳の近くで囁かれて、うっかりドキッとしてしまった。
「作ってくれ」
「え? お菓子ですか?」
「あぁ。あの下級妖精が自慢してた。特別な菓子。この匂いは、その菓子のものだろう」
ジンの目は、下級妖精ほど露骨ではないけれど、キラキラと期待に輝いていた。
この甘ったるい声での懇願は、菓子が欲しいがためのものだと気が付いた。
だってこれは、ルーカスがリリーについて語るときと同じくらい甘い声だ。
彼はまだ一口も食べたことは無いはずなのに。どれだけソフィアのお菓子に魅せられてるのか。
「でも、お菓子そのものならともかく、私から甘い匂いって本当に?」
思わず自分の腕や髪を嗅いでみたけれど、どちらかというと今は薬臭くなってると思う。
転んだりしてついた擦り傷のせいで、全身に傷薬を塗りたくられているのだ。
「多分、俺にしか分からない」
「最上級妖精だから、とか?」
「そう。妖精の中でも色々と特別なんだ」
「へぇ……さすが王子様の妖精ですね……」
良く分からないけれど、彼にはソフィアの力を嗅ぎ分ける能力があるようだ。
最上級にまでいくと、本当に色々と特別なのだろう。
ジンは、人間サイズの時はとても大きくて威圧感のある人だったけれど、小さくなったら凄く可愛い。
姿形は変わらないのに、サイズが変化しただけで随分な違いだ。
下級妖精みたいな駄々を捏ねるようなお菓子の欲求の仕方もしない。
お菓子を作って欲しいと言う可愛いお願いくらい、聞いてあげたくなる。
「ジンさん……いえ、ジン様? お菓子、腕の傷が治ったらでも構わないですか? お城に届けますね。」
「もちろんだ! あと、呼び捨てで構わない」
ぱっと笑顔を見せたジンの様子に、ソフィアからも笑顔が漏れた。
こんなに自分の作るものを望んでくれる相手がいることが嬉しかったのだ。
「何が食べたいとか、希望はありますか?」
「何でも良い。ソフィアの作るものは、きっとなんでも美味い」
「な、なんだかもの凄い期待をして下さってるみたいですが、味については絶対王城の料理人さんの方が美味しいですからね。でも、頑張って作ります」
嬉しそうに頷いたジンは、ふわりと高く浮き上がって身をひるがえす。
「ではな。早く休め。ただでさえ今は身体が弱っているんだから、体調を崩すぞ。明日はマークスとの面談もあるのだろう」
「有り難うございます。おやすみなさい」
彼が去っていくのを見送ってから、ソフィアはふうと息を吐く。
そして静かになったランプが一つだけ着いた薄暗い空間で、またベッドサイドに座り直し、幼い顔立ちの少年を見下ろすのだった。
ジンに言われたことを聞いて、自分の部屋に戻って休むつもりは無かった。どうせ落ち着かなくて、眠れ無いから。
「ねぇ、ルーカス様。早く、起きてくださいよ……」
ルーカスが起きて、いつものように憎まれ口をたたいて。
みんな無事で良かったと言い合って。
そうなってやっと、この事件が終わったのだと実感が出来るような気がして。
ソフィアは彼が目を覚ますのを、ずっと待っている。




