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手作りの赤いスカーフを贈った三日後。
ソフィアは再び、フィリップ伯爵家を訪れていた。
手に持っているのは、いつも通りお菓子の入ったピクニックバスケットだ。
「今日はドーナッツにしてみました。たまに食べたくてどうしようも無くなるんですよね」
ふんわりしっとり、優しい甘さのドーナッツ。
香ばしく焼けた生地にまぶしたのは、砂糖とシナモンを混ぜたシナモンシュガー。
こうして手に持っているだけでも、ほんのりシナモンの良い匂いが漂ってくる。
「さっき作ったばかりで、揚げたてを持って来たので、まだほんのり温かいんです。さっそく今、食べませんか?」
いつもは前日に作るけれど、ドーナッツは絶対に揚げたてホヤホヤが美味しいと思ってる。
この出来立ての美味しさを、ぜひともすぐに味わって欲しい。
だから食べようと勧めると、窓辺のカウチソファから立ち上がってこちらへ来たルーカスは頷いた。
「そうだな。――――茶を淹れようか」
彼の首元に、赤いスカーフが飾られていたことにソフィアは気が付いた。
気に入ってくれたのだろうか。そうだったら嬉しい。
「はい。じゃあお茶を……あれ? もうティーセットがある?」
メイドの出すものが危険だと分かって以降。
ソフィアはお菓子を用意してもらうのを断り、ルーカスの家のキッチンを借りる許可をもらっていた。
裏の井戸で汲んだ水を自分で沸かし、それをルーカスの部屋に運んで、部屋にあるティーセットで茶を淹れていたのだ。
だから今日も、そうしようと思っていた。
なのにソフィアが部屋に入った時には、すでに湯の入っているのだろうケトルと、ティーセットがワゴンテーブルの横に用意されていた。
「どうして?」
ワゴンを見下ろしつつ首をひねっていると、ルーカスがそこへ近づきティーポットの蓋を外して、お湯を注ぎ始めた。
「あれ? もしかして、ルーカス様が淹れるんですか?」
「あぁ。ちょうど飲みたい気分で用意をしたところだったんだ。お前の分も淹れてやる」
「そうですか。でも、私がしますよ?」
「いらない」
「……じゃあ、お願いします」
「お前はそこへ座ってろ」
「はい。有り難うございます」
ソフィアは促されるまま、部屋の中央にある四人掛けのテーブルに腰かける。
ダークグリーン色のテーブルクロスがかけられたこのテーブルが、いつもお茶をしている場所だ。
でもルーカスにお茶を淹れて貰ったことは、一度もなかった。
(なんか、親切だなぁ)
ほんの少しの違和感を持った――けれど、でも本当に自分用のお茶を淹れる『ついで』なのだろうと納得することにする。
ルーカスは丁寧かつ慣れた手つきでお茶を用意し初めた。
なんだか全部を任せるのも申し訳ない。
ソフィアの方は、お菓子を用意しておくことにする。
これまた今日は何故か準備良く、お皿もテーブルに用意されていたのだ。
今回作って来たのはドーナッツなので、お皿に盛るだけ。
さっそくソフィアはバスケットに入れていた紙袋の口を開いて、紙ナプキンを手に持ち、それで挟みつつドーナッツを取り出していく。
「少し小ぶりのサイズにしたので、二つくらいいけますかね?」
「たぶんな」
二つの皿に二つずつ。ドーナッツを載せて、自分の席と正面のルーカスの席に置いた。
ソフィアは次いで、ワゴンの上の端部分に腰かけ、ルーカスが茶を淹れるのを眺めているリリーを振り返る。
「リリーは? 今、食べる?」
「いただくわ。五等分くらいにしてくれるかしら」
「分かったわ」
フォークやスプーン、ナイフが入ったカラトリーボックスもテーブルに用意されていた。
リリーの希望通りナイフで五等分に切って、ルーカスの席の隣に置く。
(フォークより、紙ナプキンで挟んで手づかみにしちゃった方が食べやすいよね)
そう考えて、それぞれの席に紙ナプキンを数枚ずつ添える。
リリーの皿の横に置く紙は、四等分に切っておいた。
手で裂いたので綺麗には切れなかったけれど。
そこまで出来たところでタイミング良く、ルーカスの淹れてくれた紅茶も準備が整ったようだ。
「ほら」
ソフィアの皿の横に、ソーサーの上にのった湯気の立つカップが差し出された。
「有難うございます」
「砂糖は?」
「あ、結構甘めのお菓子なので、ストレートティーにしときます」
「そうか」
「……?」
(さ、砂糖まで聞いてくれるとか。な、なんか今日は、変? というか、意地悪な台詞が無いなぁ)
こんな態度、珍しすぎる。
流石に驚いて、ついジッと凝視し顔色をうかがってしまう。
けれどどれだけ見ても、別に不機嫌そうでも上機嫌そうでもなかった。
ごくごく普通。平然とした様子で、ルーカスは自分の分のカップを手に席に腰掛けた。
(んー? まぁ、それだけ仲良くなれたってことかしらね)
お茶を淹れてくれるくらいに距離になれたのだと、ここは喜ぶところなのかもしれない。
とりえあえず、気を取り直してソフィアは目の前で自分を誘惑し続けるドーナッツを食べることにする。
「家を出る前に揚げたてホカホカの食べましたけど、素晴らしい出来だったんですよ」
「あら、家でも食べてきたのに、また二つも食べるの?」
切り分けたドーナッツの載った皿の前に腰を落としたリリーが、驚いたふうな声を上げた。
「さすがに太るわよ?」
「一口だけ、味見しただけよ! ここでルーカス様とリリーと一緒に楽しみたかったから、残りは妖精にあげたの」
「まぁそうなの。だったら平気かしら? 人間はすぐに体型が変わるのだから、いくら好きでも甘いものの食べ過ぎはいけないわよ」
「え、人間はって……もしかして妖精って体型変わらないの?」
「食べた物が贅肉にいくことはないわねぇ」
「う、うらやまし過ぎるんですけど」
「ふふっ。ソフィアはいつもお菓子ばかりに見えるから、本当に気をつけなさいよ? 年頃の女の子なのだから健康だけでなく美にも気を遣わないと」
「うぅ……」
美意識のたいへん高い妖精の忠告に、痛いところを指されてしまった。
リリーがなまじ美しい容姿だから、反論も出来ない。
そして食べたものが肉にならないなんて本気で羨ましい。
しかしそれでも、今のソフィアに、このドーナッツの誘惑を我慢することは不可能だ。
「ま、ちゃんと運動するから大丈夫大丈夫! きっと! たぶん!」
曖昧に笑ってごまかしつつ、紙で挟んで大きく口を開けて豪快にかぶり付く。
「んんー! あまーい!」
「うん……良いわね。上出来だわ」
「シナモン強めだけど大丈夫だった?」
「問題ないわ」
紙ナプキンを巻いたドーナッツの欠片を抱え食べるリリーと二人で、笑顔で美味しい美味しいと言い合いながら、一つ目を食べた。
ルーカスも美味しそうに食べているし、何の文句も出て来ないし。
なんだか今日は、楽しいお茶会になりそうな気がした。




