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「こんにちは、ルーカス様」
「あぁ」
翌日、ソフィアは三日に一度のお菓子を持ってフィリップ伯爵家にやって来ていた。
ルーカスはもうすっかり元気になっている。
いつもどおり不機嫌そうな顔で、ソフィアを迎えてくれた。
そんな彼の部屋に入るなり、ソフィアは得意げに胸を張って見せた。
「ふっふーん」
「何だ、気持ち悪い笑い方をして」
「えっとですね、まず…リリーはいますか?」
ソフィアが部屋の中をぐるりと見回すと、キラリと視界に銀の髪が翻る。
「ここよ。どうしたの?」
視界に現れたリリーに「ちょっと待っててね」と断ってから、とりあえずお菓子の入ったピクニックバスケットをテーブルの上に置いた。
今日のお菓子はカップケーキだ。可愛く飾れたので崩したくなくて、丁寧に運んできた。
それを置いたあと、もう一つ別にもっていた紙袋から目的の物を取り出した。
「今日はお菓子と、これを持って来たの!」
「あら、これは……リボン?」
ソフィアは頷いた。
昨日買った生地をリボン状に細く切って、ほつれないように端を折り縫った。
それをただのリボン結びじゃなく、輪っか部分が三重になるように作った、変わり結びにしたリボン飾りだ。
リボン飾りの結び目の中央にはパールビーズを飾り、裏側には金具ピンを付けている。
「この間のストールを留めるストールピンとして使ったらどうかなって思って、作ってみたのよ」
「そうね。質感も色も合いそうだわ」
「でしょ。光沢がきれいだし、薄くて柔らかな素材だから重さも気にならないかなって」
さっそく、リリーは部屋の隅の小箱からストールを持ってきて、羽織ると中央をピンで留めた。
想像していた通り、上品な光沢のある白いストールに、赤いリボンは良く映える。
「問題なく使えそう?」
「えぇ、有り難う」
「どういたしまして。―――で、もう一つ」
ソフィアはちらりと傍に立つルーカスを見て、袋からもう一つのものを取り出す。
「ルーカス様はこれです」
「は? 何で俺まで。って、おい!」
「よいっしょ」
ソフィアは少しかがんで、ルーカスの首の後ろへと手を回す。
「何をする! どけ!」
半ば抱きしめられる形になったルーカスから、大きく抗議の声が上がったけれど、最近は彼の悪態にも慣れてしまったソフィアにはあまり効かない。
だってもう、口だけだと気付いている。
彼が直接ソフィアに何か身体的な危害を加えて来たことは、一度もないのだ。
ルーカスの言葉は本当にただの意地っ張りな憎まれ口だと分かってしまった。
分かってしまったら、もうソフィアは年上の余裕も相まって結構強引に絡んでいく。
「もう‼ 暴れないで! 少しだけですから我慢してください! えーっと、襟の裏に通して前にっまわして…」
「……?」
ソフィアが持っているのは、リリーに贈ったものと同じ生地で出来たスカーフだ。
これも長方形に切ってほつれ留めをするだけだから、リリーの分と合わせてもそんなに時間はかからなかった。
首の後ろの襟裏から通して前まで渡し、首元で緩く結ぶ。
更に形をきちんと整えて、一歩離れてみてからうんうんと満足げに頷いた。
「やっぱり、ルーカス様の淡い綺麗な金髪に、絶対に似合うと思ったんです。似合って良かった」
「……」
「ルーカス様? あれ? 何呆然としてるんですか」
ソフィアが首を傾げると、ルーカスはうつむいて顔を隠すようなしぐさをしてしまった。
それから小さな…本当に小さな蚊の鳴くような声で彼は囁く。
「……なんでもない」
僅かに震えているように聞こえた声の弱さに、ソフィアは慌てた。
体調が悪くても偉そうな態度を崩さなかったのに。
よっぽど、気にいらなかったのだろうか。
「あの素敵な生地を見つけてしまって。でも私の髪色じゃ似合わないからルーカス様にどうかなって思ったんてすけど」
「っはぁ? ……お前の髪色も金髪だろう。僕とそう変わらない」
「いや、金髪って言ってもギリギリ金髪に分類されるようなものですし。綺麗な赤ってなんか合わない気が」
ソフィアの金髪は、かなりオレンジや茶色に近い色。
むしろ、はちみつ色や琥珀色とか言われることが多い。
対してルーカスの金髪は本当に混じりけの無い明るい金髪だ。赤が映えるのは、どう考えてもこっちだろう。
「すごく綺麗な色で、羨ましいです」
「……。別に、僕はお前の髪色も嫌いじゃない」
「そ……そうですか」
なんだか突然褒められた。
「有難うございます」
「ふん」
とても不機嫌そうで、ぶっきらぼうな顔だけれど、たぶん照れ隠しだ。
(最近、ちょっと気を許して貰え始めてるのかしら)
何度も無理矢理の看病を続けているうちに。
こんなふうに、ごくたまに少しだけ、ソフィアのことを褒めてくれるようになったのだ。
もの凄く言いずらそうに、ためらいながらだけど。
それでも、今まで明らかに距離を取っていた彼から一歩近づいてくれたことが、ソフィアは嬉しかった。
* * * *
いつも通りお菓子を置いて、しばらくのお喋りをして帰って行ったソフィアを見送ったあと。
リリーと二人きりになった部屋で、ルーカスは大きな椅子に三角座りで腰かけていた。
手は、無意識に首元をいじってしまう。
摘まんで引いてみると、視界に赤い布が映る。
鮮やかな赤は、どうしても目がいってしまう。
何だか心がむず痒くて、ルーカスはつい、ぽつりと呟きを落とした。
「……初めてだったんだ」
「贈り物が?」
背もたれの上に乗っているリリーの優しい声に、こくりと小さく頷いた。
―――ルーカスの記憶にある限り、誰かからの贈り物というのは、人生で初めてだった。
(びっくりした。あいつは、予想外のことばかりする)
伏せっていた間、彼女は何の見返りも礼も求めず、看病をして、食事を持ってきていた。
さらに今日は、こんな手作りの物まで贈ってきた。
ソフィアが与えてくれるものは、今までルーカスが持っていなかった温かなものばかりだ。
対して、ルーカスから渡しているのは菓子の代金。
なんて味気がないものだろう。
ルーカスはぐっと眉を寄せる。
「どれだけ、お人よしなんだか」
何度断っても、何度怒っても。
危険だと分かっているのにルーカスと関わるのをやめない娘。
もう関わるなと言っているのに、未だにしつこく通い続けているが―――でも。
ルーカスは、部屋の棚に置かれたカップケーキの乗った皿に目を移す。
カラフルに飾られたカップケーキは 、この飾り気の無い部屋でひどく違和感がある。
「リリー、あの娘の菓子、無くなっても構わないか」
「……ルーカス」
リリーが、くすりと笑ったのが聞こえた。
ドレスを翻らせて飛び上がると、ルーカスの目の前に浮遊する。
ルーカスの目と目を合わせて、彼女はとても大人びた笑みを浮かべた。
「大切なのね」
「そこまででもない」
「あらそう? 本気で、ソフィアを危ないことに巻き込みたくなくなったのでしょう」
「違う……」
口ではそう言いながらも、ルーカスの手はずっと首元のスカーフをいじっている。
むずがゆい。派手で、好みじゃない。なのに、外せないもの。
「そうじゃない。別に、大切じゃないけど…………」
でももう……この家の事情に、関わらせたくないと思った。
今までなら、別にどうなっても良い存在だったから、このおかしな家に迎え入れたし、メイドの用意する茶を飲むことも菓子を食べることも止めなかった。
菓子は必要だったが、事情を話すくらいなら……と思って話さない方を選んでいたのだ。
でも、もう。
この家に、兄に、彼女を関わらせたくなくなった。
この家は歪で重くて暗くて、ソフィアが通うには似合わない。
「今度こそ本当に、終わりにしよう」
三日に一度やってくる、この家に不似合いな明るく穏やかな風を、もう迎え入れるべきではないだろう。




