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ティーサロンで奏でられていた穏やかなピアノの音色は、いつしか奏者が変わり、バイオリンの音へと変化していた。
震え響く弦の音は、軽やかだったピアノの伴奏と比べて少し重厚な印象だ。
そんな音の中、ソフィアに妖精を見ることの出来る能力『祝福の瞳』があることを知ったエリオットは、それはそれは嬉しそうに青い瞳を細めた。
「やっぱりね。――――ねぇ、ソフィアさん?」
エリオットは、どうしてかソフィアの名前をまるで恋人に愛を囁くかのような甘く柔らかな名前で呼んだ。
「っ」
その声に、ソフィアはぞわりと鳥肌を立ててしまう。
だってまだ会って三回目の男性だ。
それも挨拶くらいしかしたことがない人に、こんなに甘ったるい囁き方で名前を呼ばれ方をされるなんて。
思わずのけぞって、座ってる椅子ごと後ろへ引いてしまう。
そんなソフィアの仕草に、エリオットは益々柔らかく瞳を細めた。
(なんで、笑うの?)
明らかに、ソフィアの態度は相手への拒絶を示しているのに。
―――彼が何を考えているのか、まったくわからない。
余裕のある微笑みがどうしても気持ち悪いと思っってしまう。
「あのね? ソフィアさん。妖精ってね、普通の人には見えないし、声も聴こえないんだ」
「は、はぁ。そうです……ね?」
「だからこそ、妖精と親しくなれば、富と権力を得やすいんだよ。知ってた?」
「えっと、し、知らないです。どうして権力と妖精が関係あるんでしょう」
彼はソフィアが椅子を引いた以上の距離、自らの椅子を近づけてきた。
床から、椅子を引きずるギィッという低い音がわずかに鳴る。
向かい合わせになっていたはずなのに、円状のテーブルを回るように近づけてきたから、今では隣同士の位置になってしまっていた。
そんな不自然に近い距離で、エリオットは得意げに、自らの口元に指を当てるような仕草をしつつ説明をしてくる。
「例えばさ、妖精と対話が出来れば、彼らに頼んでこっそりとどこかに侵入してもらっての情報収集なんかも出来るんだ。他にも妖精を介しての誰にも見られない秘密の手紙のやり取りなんかも出来るよね。あとは見えるもの同士での結束力も結構強いみたいなんだ」
「情報収集って、そんなことが!?」
ソフィアは驚きながら、自分の知っている妖精達を思い浮かべた。
こっそりの情報収集なんて、自分の周りにいる下級妖精達には荷が重すぎる気がする。
そもそも頼んだことを十秒後には忘れてそうだ。
(いや、手紙なら一度だけ貰ったことがあるけれど。でもたまたま覚えてて、奇跡的に届けられたんじゃないかしら)
上級妖精のリリーならともかく、その他大勢の下級妖精たちにはやはり難しいだろう。
ソフィアの微妙な表情を読んだのか、ルーカスはそれについての話を続けていった。
「あぁ、もちろん妖精に何かをして貰うのはとても難しいことだよ。妖精は気ままで気分やだと本にも書いてあった。余程彼らが望むものを代わりに差し出すか、心を通わせるかしないと願い何て聞いてくれないらしいね」
「なる…ほど」
(余程彼らが望む者を差し出す……妖精が、好きなもの?)
ぽんっと、頭の中に自分のお菓子に群がる妖精達がうかんだ。
ソフィアは彼らにとって魅惑の品となるお菓子をつくることが出来る。
お菓子で釣って何かしてもらうとかは考えたことはないが、しようと思えばできるような気がした。
(私ってもしかして、妖精が見える人の中でも結構出来る方なの? いや、お菓子と引き換えに頼めてもやっぱりあのお馬鹿な子たちが完遂できないような)
エリオットの話し方からして、彼は妖精が見えないようだ。
そしてソフィアの祝福の瞳についてまでは察しているらしいが、作ったお菓子の効果までは知らないようだった。
(それにしてもこの人、妖精が見えないにしては妖精のことを良く知ってるわね)
首を傾げるソフィアに、彼は話を続ける。
どうやらソフィアに聞いて欲しいことがたくさんあるらしい。
「そうやって妖精の力をより得た人は他の人より有利な立場に立てる。今の時代の貴族に妖精が見える人が多いのは、彼らがそうやって地位と権力、富を得てきた結果だよ」
「なるほど……」
「それでね」
とたんにエリオットは、口端を大きく上げた。
その笑顔の昏さに、ソフィアは改めてぞっとしてしまう。
笑顔に怖いと思うなんて、この人相手が初めてだ。
「私もお婆様から、受け継ぐはずだったんだ。その祝福の瞳を。そのつもりで妖精について勉強もしてきた。父方からは爵位を、母方からは瞳を、フィリップ家の長兄として引き継いで行くものなのだと思って生きてきた。――なのにどうしてか、私の母方の一族とは何の血のつながりもないルーカスが、瞳を受け継いでしまってね?」
「えっと」
「ただでさえ血筋的にも向こうが優勢なのに、――――いや、きっとあれの母親の血があったから、祝福の瞳があっちに行ったんだな。王妃も義母も、生まれが元々王族の血が濃い公爵家の家の人間だし。あぁ、自分の努力も無く得たものでどこまで楽するんだ。どこまで卑怯なんだろう。あいつは」
「そ、それは……でも、瞳は波長が合う人が受け継ぐことになると、聞きました」
「でもほとんどは、血縁者に受け継がれてるんだよ。血が近ければ、それだけ波長も合うらしいんだ。だから本当なら私が受け継ぐはずだったのに……恵まれた血筋の弟なんかが出来てしまったせいで……」
「そ、そうですか」
(波長って結局、何だろう?)
波長が合う相手に力が受け継がれると言われてるらしいが、波長と言うもの自体とてもあやふやな物だと思う。
趣味が合うとか、考え方が合うとかだろうか。
ソフィアはソフィアの曾祖父と、確かに話があった。
子どもの頃は妖精の話でとても盛りあがったし、成長してからも信じてはいなかったけれど一緒にたくさんの話はした。
でもソフィアよりは、もちろん曾祖父の実子や孫である祖父や父の方が親しかったはずなのだ。
基準がまったく分からない。
「あぁ……君の場合はさらにおかしいよね」
エリオットの声に、考えに沈んでいたソフィアははっと我に返る。
「おかしいとは?」
「だって君は、何の変哲もない、血筋も地位もない平民の娘じゃないか。そんな君が、どうして妖精の目を手に入れたのか。この私でさえ手に入れられないものなのに」
エリオットの青い瞳が、鋭利に細められる。
そうして彼は一層顰めた声でこうささやいた。
「君はどこの落とし種なんだい? 良かったら紹介してくれないかな」
「は……?」
「隠さなくても良いよ。ただの平民が、祝福の瞳なんてもてるはずがない。だったら父親か母親がどこかの有力貴族と言う事何なんだろう? 大丈夫、今は表に出られない身でも、私が協力して貴族社会に戻してあげるよ」
「…………」
「だからその人を、私に紹介してごらん?」
(この人……!)
祝福の瞳を持つ者はほとんどが貴族の中にいて、平民の中ではほぼ存在しないらしい。
なのにソフィアは祝福の瞳をもっている。
彼はソフィアが瞳を誰から受け継いだかを知らない。
だからソフィアは、きっとどこかの貴族の落とし種なのだと、エリオットに思われたらしい。
その『どこかの貴族』との繋がりを、エリオットは得ようとしている。
ソフィアの血筋を、自分がのし上がるための道具に使用しようとしている。
「落とし種」が居ると言う事を利用して脅しにかかるつもりなのか、甘い言葉を履いて懐柔しようとしているのかは分からない。
とにかく彼はソフィアから妖精にたずさわる貴族との繋がりを持とうとしている。
彼がソフィアを呼び出した目的は、これだったのか。
「って、それ、つまり私の父様か母様が不貞を働いたって思われてるってことですか?」
「まぁ、簡潔に言うとそうだね」
ソフィアは膝の上のスカートをぎゅっと握り締めた。
ソフィアのエメラルドグリーンの瞳に、熱が浮かぶ。
エリオットの言葉に突き刺されて、心にピキッと亀裂が入ったみたいな感覚がした。
(この人、嫌いだわ。大っ嫌い!)
家族が大好きなソフィアにとって、父と母を貶められることは、何よりも許しがたいことだった――。




