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揺れたらダメだと、ルーカスは自分で自分に言い聞かす。
「……そんなの、信じられるわけないだろう」
唸るような低い声で漏らした台詞に、ソフィアはきょとんとしている。
「何がですか?」
「味方なんて、ありえない。信じられない」
大切に愛されて育ったソフィアは、当たり前のように人を信じるのだろう。
味方なんて数えきれないくらいいるのだろう。
でもルーカスは、違う。
生まれてから一度も、信頼できる人間に出会ったことがない。
――――兄は自分を殺したいくらいに憎んでいて。
父は兄の行動がおかしくなり始めた頃から、家から逃げるように仕事だといって国内外を飛び回り。
母も兄に怯えて北にある伯爵領に行ったまま、帰ってこなくなった。
父も母も、ルーカスを守ろうとはしなかった。連れて行ってはくれなかった。
それどころかルーカスを渡しさえすれば問題は無いのだと、兄に差し出すようにこの屋敷に放って行った。
同情して優しくしてくれた使用人たちも、結局は我が身可愛さで逃げていなくなった。
誰かを「信じること」のやり方を、ルーカスは知らない。
信じた先にあるものが、どんな所なのか分からないから、したいと思わなかった。
(リリーだけで良いんだ)
妖精だけが……リリーだけがずっと、ルーカスの傍に居続けてくれた唯一の存在。
ルーカスが心を砕くただ一つのもの。
はたから見ればルーカスのリリーへの傾倒ぶりはおかしなものなのだろうと自覚もしている。
だが、それくらい本当に、リリー以外にルーカスの心のよりどころは存在しなかったのだ。
四年前、何も持たないルーカスの前に現れた、妖精のリリーだけがいればいい。
今さら別のものが『味方』として飛び込んで来たって、その手を取る勇気なんて、もうルーカスはもってはいなかった。
* * * *
――――あなたの味方になることにした。
出来ることなんてお菓子作り位だ。
けれど、それでもソフィアはルーカスの為に出来ることをすることにした。
そのことを大切な話だからと、しっかりと目を見て話したのだが。
でもルーカスは、ソフィアを受け入れてはくれなかった。
何か迷いを振りほどくかのように首を振ったルーカスは、まだ高い熱を宿した赤い頬をきゅっとすぼめてから口を開く。
心底気に入らないといった風に顔をゆがませながら。
「……お前に味方になって貰おうなんて考えてない」
「でもルーカス様、誰かの手助けがないともう死んじゃいそうですけど」
「そうなったらそうなったで良い。あの人が勝って、僕が負けたというだけだ」
「なにそれ、うっかり死んじゃっても別に良いってことですか?」
「……」
「ルーカス様!」
「……うるさい! しつこいんだお前!」
ルーカスの頑なな拒絶に、ソフィアの頬は怒りにどんどん膨らんでくる。
「し、しつこいって……!」
(なによ、せっかくご飯もお菓子も持ってきて、看病までしてあげようとしてるのに! 困ってるんだから素直に受け取ればいいだけなのに、意味わかんない!)
ソフィアは家族にも友人にも恵まれて育った。
助けが欲しければ「助けて」とお願いすれば、みんな快く手を貸してくれた。
言わなくても、ソフィアが困っているとさりげなく手助けしてくれる人もたくさんいる。
そんな環境で生きてきた。
だからルーカスの考えがわからない。
困っているのに。窮地に立たされているのに。
味方となってくれようとする人の手を取らない彼の行動の意味が理解できない。
手を取らないでうっかり死んじゃっても良いと思ってる感じなところも、どうしてそうなるのか分からない。
(食事くらい、有り難う、助かるよって、受け取れば良いのに。死んじゃう方を受け入れるってどうして)
ほとんどベッドから動けない今の状況では、ソフィアの差し入れる食事は絶対に必要なものだろう。
なのにいらないと言う。迷惑だという。信じられないという。
ルーカスは今、どこからどうみても困ってる。
彼は子供で、もっている力も少ない。
だったら助けの手を取ればいいのに、とソフィアは思ってしまう。
――――甘え方を知らない人がいるだなんて、ソフィアの常識の中には無かった。
助けの手を取ることに抵抗があり、人を信じることに酷く怯える人がいることも、知らなかった。
ソフィアは沢山の人に甘えて、助けられて、大切にされて育ってきた。
助けられて、助ける。それが当たり前だったから。
だからルーカスが頑固なまでにソフィアの手を貸したいと思いを拒絶することが、理解出来なかった。
有り難う。助かるよ。と笑顔で受け取ればいいだけなのに。
どうして突っぱねるのか分からなくて、憤ってしまう。苛々してしまう。
(病人だから、優しくしようと思ってここに来たけど……)
残念ながらソフィアは、あまり忍耐強くない。
理解出来ない考えをもったルーカスに苛々して、思いっきり口をへの字に曲げてしまう。
「ふんっ!」
その苛立ちの気持ちのままに、鞄から取り出した食べ物と水とお菓子を乱暴にルーカスの座るベッドのシーツの上に、次々と放り投げてやった。
「おい、当たってるぞ」
いくつかルーカスの頭に命中したらしい。いい気味だ。
「その紙箱三つは、それぞれがお弁当で、今日の夜と明日の朝昼分です。あとこっちには手でむいて食べれる果物が入ってます。このボトルは飲み水。こっちはレモン水。栄養剤はこれ」
「おい。いらないっていったろう」
「っ、もう‼ この頑固者! いいからご飯食べてください……!」
気に入らないし、意味が分からない。
でも命を狙われている子供を放っておくのは、もっと気分が悪くなる。
ソフィアは眉を吊り上げると、空になったカバンを肩に掛け、ルーカスに人差し指をビシッと向けた。
「迷惑だろうとなんだろうと、明日も持って来ますから! ベッドのサイドテーブルに置いてあるバスケットはいつも通りお菓子です! どれでも良いので、きちんと食べて栄養とってくださいね! それじゃあ失礼しますっ!!!」
言い放ったソフィアは、その後のルーカスの反論ももう無視してしまって、ドンドンとわざと足音を立てながら退室するのだった。
「――――ソフィア」
廊下に出たソフィアの目の前に現れたのは、妖精のリリーだった。
昨日は泣きはらしていて弱っていた様子だったけれど、ルーカスの体調が落ち着きつつあるためか彼女も持ち直しているようだ。
「リリー、今日はルーカスの傍にいなかったのね?」
「姿を消していただけよ。ルーカスったら私のお菓子の準備をするために起き出してくるんだもの」
肩をすくめるリリーに、ソフィアは怒っていたのも忘れて笑いが漏れた。
どこまでも妖精を大切にする彼らしい行動だ。
「ねぇ。リリー、次にルーカス様が倒れたら、私の家まで呼びに来てね」
「え……いいの?」
「うん、もちろん」
「そう……」
切れ長な青い瞳を瞬かせ、ぽかんとしたリリーの顔は、ルーカスに「味方になる」といった時と同じ、心底驚いているといったものだった。
(どうして二人とも、そんなにビックリするのよ?)
大変なことになっている人に手を貸すのなんて当たり前なのに。
どうしてリリーもルーカスも、こんなに驚くのだろう。
ソフィアには本当にまったく、訳が分からなかった。




