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妖精専属菓子職人  作者: おきょう
本編

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22

 

 ルーカスは(かたく)なで、深い事情も話さなければ、これ以上ソフィアが関わることも許さなかった。


 「早く帰れ」と、青白い顔と力ない声で、しかしきつい眼差しで伝えられれば、聞かない訳にはいかない。

 だってソフィアがルーカスの言うとおりに帰らなければ、彼は休めないのだ。


 しぶしぶながらルーカスの部屋を退室したソフィアは、玄関へと向かいながら溜め息を吐く。


「……どうしよう」


 こんな、人の命に関わるような事件を身近にするのは生まれて初めてだ。

 何をどうすれば良いのか分からなくて、完全に途方にくれていた。

 彼を救える力も知識もソフィアは持っていない。

 そもそもルーカスは、ソフィアが家庭の事情に踏み入ることを許さない。


 このまま、何も無かったように今まで通り三日に一度お菓子を届けるだけにするべきなのだろうか。


「でもそれって、後味悪すぎる!」


 だからと言って、出来ることも思いつかない。


(父様に協力してもらうとか? でも貴族のお家事情に家族や店を巻き込むことになっちゃう)


 出来るのならば避けたいことだ。

 もしかすると家族だけでなく、使用人、店の従業員の家族親類にまで迷惑がかかるかもしれない。


「うーん。困ったなぁ」

「なやみますねぇ」

「こまりましたー」

「…………」


 唸っていたソフィアが顔を上げると、二匹のコロコロ丸々した妖精が飛んでいた。

 二・三等親で容姿も服装も簡素。

 頭の出来もお馬鹿なこういうのを、下級妖精というらしいとリリーから聞いた。

 どれもこれも似たような見た目に話し方だ。

 ソフィアは自分の家に居るのと、今ここに居るのの違いはまったく分からない。

 この二匹が初対面なのか面識があるのかも判別出来ない。

 けれど、とにかく間抜けな声と姿に、張り詰めていた気が少し緩んだ気がした。

 ソフィアは「ふ」と小さく短い息を吐き出した後、ワンピースのポケットを探る。


「貴方たち、キャンディーいる? 買ったやつだけど」

「いるいる」

「くださいなー」


 自分のおやつ用にポケットに入れていたキャンディーだ。

 二粒だけあったものを包み紙を剥がして、それぞれの手に乗せてやる。


「どーも」

「ありがとよ!」


 キャンディーを両腕に抱え、そのままどこかへ飛んでいった彼らを見送っていた時。

 ちょうど曲がり角の向こう側から、人が歩いてきた。

 その人物が誰であるかに気づいた瞬間、ソフィアの心臓が大きく跳ねた。


「おや、君は……確かソフィアさん?」

「エリオット様……。こんにちは。お邪魔してます」


 まさかこんなタイミングで二ヶ月ぶりに彼に会うなんて。

 ルーカスの兄である、茶髪に眼鏡で長身の男性エリオットは、笑顔でソフィアの目の前に立つ。


(落ち着け私。まだ本当にエリオット様がルーカス様を殺そうとしているっていう確証は無いんだし)


 ルーカスに毒が盛られたことは、あの様子からして事実であっても。

 犯人がエリオットだと言う話は、リリーから聞いた一方的なものでしかない。

 人づてに聞いただけで、一人の人間を殺人未遂犯にしてしまうのはいけないだろう。

 ソフィアはあまり疑い過ぎないようにと、努めて平常心でいるように自分に言い聞かせた。


 ただ、そうやってもどうしても緊張してしまう。

 そんなソフィアへ、エリオットは柔らかな笑みを向けてくる。

 

「いらっしゃい。ずいぶん久しぶりだね。もう帰るところかい?」

「…………あ、はい。体調がすぐれないみたいなので、長居するのもあれかなって」

「そうか。――しぶといね」

「え」


 ささやく様に落とされた台詞に、ソフィアが目を見開きバッと顔を上げると、エリオットはにっこりと笑顔を浮かべていた。


「何でもないよ。馬車で送ろうか?」

「い、いえ! 大丈夫です! お気遣い無く!」


 ぶんぶんと首を振るソフィアの背筋に、一筋の冷たい汗が流れていく。


(今の、聞き間違いじゃ無いよね……?)


 本当にかすかな、吐息に混じるような声だったから、ソフィアに聞かせるつもりは無かったのかもしれない。

 でも、どれだけ小さな声でもこの距離での呟きなのだ。

 聞かれても別に構わないとも、思っているのだろう。

 

 自分に向けられる視線を見返したソフィアは、不安をかき立てられる。

 

(……怖い)


 目の前の彼は、笑顔なのに笑ってない。

 目の奥に秘めた、仄暗い感情が垣間見えた気がした。

 

 ソフィアは彼を怖いと思った。

 近づきたくない、距離を開けたい。

 そんな思いから、無意識に足は後ろへと一歩下がっていく。


「あ、あのっ!」


 何とか絞り出した声は、少し震えていた。

 ソフィアの怯えは気付かれていないのか、エリオットは微笑を浮かべたまま首をかたむける。


「どうしたんだい?」

「えっと、いえ……なんでもありません。すみません」


 緊張から、ぶわっと汗が噴き出す。

 

(こんなの、知らない)


 おっとりとした口調。

 むしろ親切にさえされている人を、怖いと思うなんて。

 こんな種類の恐怖があるなんて、ソフィアは知らなかった。

 

「あの、失礼します」


 ソフィアはうつむいて、小さくお辞儀をした後。

 視線を合わさないままぼそぼそとそう言うと、彼の脇を足早に通り抜けた。

 これ以上、エリオットの前に立っていると震えて歩けなくなりそうで。

 そのうえ、泣き出してしまいそうだったから。


 玄関を通り抜け、門を抜けて家への道を急ぎ足でソフィアは歩く。

 とにかくあの人から物理的に離れたかった。


(怖い、怖い、怖い怖い。あの人、やだ)


 笑っているのに。

 穏やかなのに。

 目の奥にあるほの暗い何かが、気持ち悪くて怖いと思う。

 小さくささやかれたあの台詞に、ぞっと鳥肌がたった。

 身の危険を、感じてしまった。


(駄目だ。別に、私、何もされてないのに)


 噂話だけで、人を疑うこと。

 それは悪いことだという常識がソフィアの中ではあったのに。

 でもエリオットの囁いたあの言葉を聞いてしまった以上、たぶんリリーの言っていたことは本当だと思う。



 確実に――――エリオットは、ルーカスを邪魔に思っている。


 毒を盛ると言うことは、死んでしまっても良いと思うくらいの存在に考えている。


「どうしよう……」


 ただの平民のたった十五の娘のソフィアには何も出来ないし、何かが出来るとも思えなかった。


(怖いし……やっぱりもう、関わらない方がいいのかなぁ)


 ルーカスのことは心配だけれど、ソフィアは自分の身の安全も考えてしまう。

 危ないし、怖いし、本人にもいらないと言われたし。

 命のやりとりの有る場所にこれ以上に足を踏み入れるのは、色々な意味で勇気が必要すぎる。


 ソフィアは賑やかな通りを行き交う人々の笑顔を横目に、重暗い気分で家へと足を動かすのだった。


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