18
――――ソフィアが家族そろって賑やかで明るい食卓を囲んでいる同時刻。
ルーカスは、広く静かな室内で、椅子に身体を沈め本を読んでいた。
傍ではランプの光が一つだけ、揺らぎながら彼を淡く照らしている。
明らかに光が足らない薄暗さ。
しかし手元の本さえ見えるなら、ルーカス自身は構わなかった。
「……」
そばにあるサイドテーブルに置いているのは、昼間に自ら町で買って来たサンドイッチとレモン水。
食べかけのサンドイッチが紙ナプキンの上で長時間放置され、挟まれた葉野菜は萎びかけていた。
そんなーーたった十歳の子供がするものにしては、ひどく寂しく冷たい夕食の時間。
椅子も子供用ではないので、ルーカスの身体からすればずいぶん大きい。
後ろから見れば、背もたれにすっぽり全部隠れてしまう。
そんな小柄な体をさらに小さく縮め、ルーカスは椅子の上に三角座りをしながら本を持つ。
青い目が文字を追う本の中身は、外国語の教本だ。
「……静かだな」
しばらくして、目の疲れを感じたルーカスは顔を上げて小さく呟いた。
部屋をぐるりと見回してみたけれど、どこかに出掛けているのか、妖精リリーの姿はない。
子供がたった一人きり、広くて暗い部屋に置かれた状況。
なんとなく、心が静かに重く沈んでいくような心地がしてきたので、ルーカスは深く息を吐いて、そんな不快な感情をやり過ごした。
ふと、サンドイッチの脇に置いてある紙袋が目についた。
ソフィアがおいて行ったクッキーが入っている紙袋だ。
「…………」
特にお腹は空いていなかった。
現にサンドイッチは半分も減っていない。
けれどなんとなく、ルーカスは本を脇に置いて紙袋に手を伸ばす。
折りたたまれた口を開き、一つ手に取った。
星形にくりぬかれた薄茶色のクッキーだ。
昼間に一枚食べたが、食べると素朴で甘い味がするものだった。
ソフィアのお菓子が、こうしていつも傍にあるようになって既に二カ月。
うるさくて、表情がころころ変わって、怒ったり笑ったり忙しい娘が三日に一度やって来る。
彼女は無理矢理に菓子を作らせているルーカスを嫌ってもいいはずなのに。
何故か頼んでもいないのに、こうして明らかに必要より多い量……おそらくルーカスの分まで作ってくる。
しかもさらに、頼んでもいなかった手芸品などの贈り物をリリーに持ってきたりする、良く分からない存在だ。
(権力を見せて脅して作らせてるのに、あまり怯えた様子もないしな……本当に変な女だ)
ーーサクッ。
ルーカスは星形のクッキーを、一口食べた。
広がっていくのは甘い砂糖とバターの風味。
ほろほろと崩れる、頼りない食感。
ごく普通のクッキーで、特別なところなんて何もないのに―――。
なのに、とても優しい、胸が疼くような味がする菓子に、僅かに眉が歪んだ。優しい味が、不快だった。
「…………」
それでもルーカスは食べることをやめずにもう一口、クッキーをかじった。
何度か咀嚼して、甘さと食感を確認してから、呑み込もうとした時。
――――舌に、ピリッとした刺激が走る。
昼間に食べた時には無かった、明らかに異常な刺激に、ルーカスは息を飲んだ。
「っ!?」
(しまった、油断した……!)
普段から口に入れるものには気を付けていた。
全部自分の足を使って買いに行って、屋敷で出されたものは決して口にしなかった。
急いで口の中にあった分を吐きだしたけれど、すでに先ほど一口食べてしまっている。
冷や汗が流れると同時に、全身にぶわっと熱が沸き上がる。
心臓がけいれんしているみたいに早なって、呼吸が出来ない。
「――――ぐっ、……は……っ……!」
ぜえぜえと明らかに異常な呼吸をし始めたルーカスは、背を丸めて苦しみに顔を歪めた。
(これ……毒か。しかも効き目が早いな……、そうとう強いやつじゃないか……)
きっとさっき食事を買い出かけた時に、誰かに勝手に部屋に入られたのだろう。
かけていた鍵は、気づかない間に開錠されていたらしい。
そこでクッキーに毒を混ぜられた。
ソフィアが毒を盛ったなんて考えは、ルーカスの中には一切のぼらなかった。
(あの女は、こんなことが出来る人間じゃない。絶対に)
ーールーカスは無意識だったが、絶対に犯人がソフィアじゃないと信じられる程度には、ソフィアを信頼していた。
「っ……ぅ」
ぐらりと自分の体が傾いたのは、ルーカスにも分かった。
けれど、支えられるほどの力が入らない。
―――ガタンッ!
ルーカスは椅子から転がり落ちた。
全身を打ち付けた床の冷たい感覚が、頬に触れる。
「つ、っ、……く、そ……!」
どうにか起き上がろうともがくけれど、結局震えて力の入らない手足ではどうにも出来ずに、荒い息を吐きだすばかり。
視界が、歪む。
苦しくて、息が出来ない。
心臓が、全身が痛くて、辛い。
死ぬかもしれない恐怖に、汗が一気に吹き出した。
「っ、がっ……っ…はっ……!」
「ただいまー。――――って、ルーカス!? ルーカス! ちょっと……!」
視界の端に、銀の光が瞬いた。
大切な妖精の名を呼んで「大丈夫だよ」と安心させてやりたかったけれど。
口を開く前に、ルーカスの意識は飛んでしまうのだった。
「ルーカス! ルーカス‼ しっかりなさい……!」
必死に自分を呼ぶ、今にも泣きだしそうなリリーの叫び声は、もうルーカスには聞こえなかった。
* * * * *
――そのころのソフィアは。
「姉様姉様っ。明日は午前中はゆっくりして、午後に体調が良ければお出掛けしましょうよ」
「良いわよ。楽しみね」
「えぇ、とっても! 姉様大好き!」
姉のアンナに抱き付き、天使バージョンのルーカス以上にベタベタに甘えまくっていた。




