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三日に一度、妖精リリーの為にお菓子を作って届けること。
フィリップ伯爵家の末っ子ルーカスとそんな約束をしてから、早くも二ヶ月が経っていた。
さすがにこれだけ日が経てば、お菓子を作って持って行くことは、ソフィアにとっての日常の中の一部になった。
妖精の存在についても理解し、呑み込むことが出来るようにもなっていた。
そして今日もソフィアは、お菓子の入ったピクニックバスケットをもって、彼の元を訪れる。
伯爵家の屋敷まで着くと、もうお互いに顔も覚えあった門番に声をかけた。
「こんにちは、門番さん。いい天気ですね」
「いらっしゃいませソフィア様。えぇ、おかげで今日は少し温かい」
確認などは何もなく、あっさりと門を通された。
次いでソフィアは屋敷の執事に迎え入れられ、ルーカスの私室に案内されるのがいつもの流れだ。
「ルーカス様。ソフィア様がお見えです」
「入れ」
「失礼します、こんにちは」
ソフィアがルーカスの部屋に入ると、しばらくしてメイドさんがお茶とおやつを運んできてくれた。
そこでテーブルに腰かけておやつとお茶をいただきながら、妖精のリリーが、ソフィアの持ってきたお菓子を食べるのを眺め、反応を確認するといった感じだ。
代金も貰えることだし、どうせ自分の家にいる妖精にも作るのだ。
損ばかりの取引でもない。
もう全然、このお菓子の宅配には慣れて来た。
でも――、うんざりすることが無いとはとても言えない。
「はぁぁ、リリーは本当に美しいな。そう思わないか、ソフィア」
テーブルの正面の席に座ったルーカスの台詞に、ソフィアはあからさまな溜め息を吐いた。
「そうデスネー」
目の前のテーブルの上では、リリーがソフィアの持ってきたシフォンケーキを食べている。
今回は生クリームとバターを砂糖と一緒に煮詰めたキャラメルソースを加えた、キャラメル味のもの。
シフォンケーキは、メレンゲを立てるのがもの凄く根気がいるお菓子だ。
筋肉痛覚悟で頑張らなければならないけれど、出来上がりのふわっふわな食感が魅力的過ぎるので作るのはやめられない。
今回も頑張った成果が出てしっかりと膨らんだ、ふわっふわのシフォンケーキになった。冷めたあともほとんど萎まなかった、満足いく出来上がりだ。
このふわふわの食感に、更にキャラメルの甘くも香ばしい風味が入るのだから、最高だ。
……ルーカスの言う通り、皿のうえで人間サイズに切り分けられたシフォンケーキにかぶりついているリリーの姿は、確かに和む。
でもそこまで情熱的に、ときめきはしない。
(お菓子渡すだけで帰りたいって、毎回思ってはいるのよ。なのにいつもお茶請けに出されるお菓子がおいしそうで……少しだけ頂いてる間に、ルーカス様のリリーの素晴らしさ語りに付き合うことになっちゃうんだよね)
それに、お菓子を食べたリリーの反応もやっぱり気になるので、食べるところを確認したい。渡すだけでさよならという流れにはなりにくかった。
ルーカスの方は妖精について思う存分話せる相手がそんなにいないからか、ソフィアが来た時はもう水を得た魚のような饒舌さで妖精についての愛を語って聞かせてくれた。
美しい細工の施されたチョコレートをつまみながら、ソフィアはもの凄く適当に相づちを打つ。チョコ美味しい。
「えぇ、リリーは美しいデスネー」
「本当に美しい……眩しいな…………」
「エエマッタク。リリーは眩しいデスネ-」
「だろう? そうだろう!?」
「デスネー」
もの凄く適当な返事なのに、ルーカスは更に勢いを増してリリーの素晴らしさについて語り出す。
「あぁ……お前でも分かるか。この月光のようにまばゆいサラサラの銀の髪も、白く柔らかな肌も、サファイアのような輝きを秘めた青の瞳も、すらりと伸びた手足も。そして気高き思考と内から湧き出す神々しさも……一つ一つの所作さえ、完璧すぎる。どんな芸術品も叶わない。完璧だ」
「はぁ、そうですか」
「ソフィアのような比較するものがそばにあると、より美しさが際立つな」
「はぁ?」
ソフィアの眉がピクリと動くが、頑張って怒りは飲み込んだ。
(落ち着け私。悪ガキは総じて口が悪いものなの! 大人な対応しないと!)
苛々しながらも、子供相手に本気で怒るのは駄目だろうと頑張って大人な対応を心がけている。
心がけてはいるものの、結構な頻度で崩れてもいるけれど。
(――で、ルーカス様は今日も出された紅茶もチョコも食べないんだよねぇ)
ソフィアは、リリーについて語っている彼の手元をちらりと見た。
彼はソフィアの持ってきたキャラメルシフォンケーキを手づかみで食べている。
すぐ近くにこんなに繊細な細工の施された、おそらく相当な腕をもったショコラティエが作ったチョコレートが並んでいるのに。
毎回毎回こうだから、ソフィアは少し疑問に持ち始めていた。
(うーん。私が作ってきたお菓子がそんなに美味しいとか? 気に入ったとか?)
もしかして、実はものすごくソフィアのお菓子を気に入ってくれているけれど、恥ずかしくて言えないだけなのだろうか。
観察しているとルーカスはまた一切れシフォンケーキに手を伸ばす。
気に入ってくれたのなら嬉しいが、彼はまったく褒めてはくれない。
ソフィアはリリーに付いての話をずっとしているルーカスの話に、少し割り込んでみた。
「ルーカス様。シフォンケーキ美味しいですか?」
「ん? 不味くはないといった程度だな」
「そうですか……それにしては良く食べますね」
「たまたま目の前にあったからな」
たまたま、といいながらルーカスはばくばくシフォンケーキを手づかみで食べる。
チョコレートにも紅茶にも手をつけないで。
(これは、本当に気に入ってくれたってこと……なのかな……?)
口が悪すぎて、彼の気持ちはソフィアにはまったく分からない。
それでもたぶん、お菓子は気に入ってくれたのだとソフィアは結論づけることにした。
この調子でルーカスとリリーのどちらもが食べ続けると、三日ももつような気がしない。
(仕方ないか、美味しく食べてくれるのは嬉しいことだし)
今度からは少しだけ量を増やすことに、決めたのだった。
* * * *
* * * *
数時間後の、――――ソフィアが帰った後の、フィリップ伯爵家。
窓から赤い夕日の差し込む部屋の中で、ルーカスは一人、シフォンケーキをつまみ、それを観察していた。
茶色で、ふわふわなお菓子。
とても軽い食感と優しい甘さをもった菓子だ。
あの娘の作る菓子の味は素朴で優しすぎて……だから、少し嫌な気持ちになる。
「甘い…………」
口に入れると舌に広がっていく甘みに、ルーカスは嘆息した。
……そこへ、一人のメイドがノックとともに顔を出す。
「失礼いたします」
ルーカスは表情をつくることもなく、淡々と視線だけを彼女へと向けた。
「……どうした」
「はい、ルーカス様。本日のお夕食はいかがいたしましょう」
「いらない」
そう言いながら、ルーカスは彼女から目を背けてシフォンケーキをもうひとくち、口に入れる。
ルーカスが食事をしないなんて、いつものこと。
同年代の子供よりも細身で身長も低めの彼にとって、食事は必要不可欠なものなのだが。
メイドは夕食を食べずにお菓子を食べるルーカスに注意する様子もなく、慣れた様子で頭だけを下げて、すぐに扉を閉めていった。
メイドが姿を消すと同時に、ルーカスの視界にきらめく光が写る。
銀色の髪を揺らした妖精のリリーがそばへ寄ってきたのだ。
「――ルーカス。それだけで足りる? シフォンケーキ全部食べてもいいのよ?」
リリーの言葉に、ルーカスは猫かぶりの天使でも、意地悪な悪魔でもない、素のままの笑顔を見せた。
「ありがとうリリー。でも買い置きの乾し肉もパンもあるから、もうこれで大丈夫。リリーは気にしないで、好きなだけお食べ」
「でも……」
次にソフィアが来る三日後までに、リリーのお菓子を切らすわけにはいかない。
……彼女の存在だけが、ずっとルーカスの救いだった。
お返しにもならないけれど、喜ぶものを何でも与えてやりたかった。
ルーカスは手を止めて、リリーの頭を指で撫でた。
くすぐったがるように身をよじるリリーの様子に、わずかに口元を緩ませるのだった。
「リリー、大好きだよ」
小さな妖精と二人きりの広い部屋でささやいた少年の声は、とても寂しい響きをもっていた。




