12
もう関わらない。
そう固く決意したソフィアの意志は、あっという間に揺らいでしまう。
「ただいまー」
「帰って来たか、ソフィア!」
「え? 父様?」
帰宅したソフィアを玄関を入ってすぐに出迎えたのは、父だった。
家族で住んでいるこの家は、王都で一番広くて長い大通りから一本離れた場所にある。
大通りの方には父が経営する商会の店舗兼倉庫が建っていて、その裏側に住宅が背中合わせの形で建っているという立地だ。
店と住宅の建物同士の裏口は門で繋がっているので、父と母は毎朝裏門からから出勤することになる。
職場がとても近いと言っても、二人は忙しい。
こんな夕方早くに家に帰っているのは、たいへん珍しいことだった。
「どうしたの。今日は早くに仕事終わったの?」
頬に挨拶のキスを交わしながらも、ソフィアはエメラルドグリーンの瞳を瞬いた。
「いいや。まだ夜の営業が少しあるからな、すぐに店に戻る。ただ、たった今、私宛に届いた手紙にあまりにびっくりしてな。あっちはメアリーに任せて、つい帰って来てしまった……」
メアリーと言うのは、ソフィアの母親だ。
接客を主に担当しているので、今もきっとお客さんを相手に忙しくしているはず。
「手紙って、それでどうして帰ってくるの?」
「フィリップ伯爵家からの、早馬での手紙だったからだよ」
「は……?」
ソフィアは顔を引き攣らせた。
たった今別れたばかりの、フィリップ伯爵家の猫かぶり美少年が頭に浮かんだ。
このタイミングでフィリップ家からの手紙が父に届くなんて、もう嫌な予感しかない。
「と、父様、その手紙には何て書いてたの?」
「ご子息のルーカス殿がソフィアとお友達となったから、今後とも宜しく頼むということだ。挨拶状だな」
(あの腹黒天使……先に親に手を回しやがった……!)
きっと徒歩で帰ったソフィアより先回りして、馬で届けさせたのだろう。
ただの子どもの我儘だから、別にもう関わらなくてもいいやと思ってたのに。
親である、本当の権力者のフィリップ伯爵名義での書面が届いてしまった。
この『お友達としての付き合い』を断るイコール、伯爵様本人に逆らうと言う事だ。
(きっとあれだ。あの偽物の天使の笑顔で、親であるフィリップ伯爵様を懐柔したんだわ。それで私の父様にまで手を回したのね。そうに違いない)
ルーカスの兄でさえ、天使の笑顔でお願いされて、困った顔ながらも「お友達としてなら……」とソフィアとの関わりを許諾したのだ。
兄が二十歳前後に見えたから、十歳のルーカスとの歳の差からして、ルーカスは年を取ってから出来た末っ子。
その上にあの容姿で、可愛い笑顔でお願いなんてされたら。
親の伯爵様なんてもうメロメロだろう。
――――どうして家族相手に演技をしているのかは、ソフィアには分からないけれど。
「ソフィアは、ルーカス様といつの間に仲良くなったんだ? オーリーに伯爵家にソフィアが今日招待されたと報告は受けていたが……」
父が不思議そうに聞いて来る。
たぶん知らぬ間に娘がとんでもない人間関係を築いたことを心配しているのだろう。
「えっと……ちょっと、趣味? が合って……」
「趣味? お菓子作りか?」
「えっと、うん、そう。私のお菓子、食べたいって」
「ほぅ、甘いものがお好きなのだな」
「そうみたい!」
「だったら気が合うのもなっとくできる」
ほっと息を吐いた父は、ニコニコの笑顔でソフィアの蜂蜜色の髪を撫でた。
「今度会うときは、うちの新商品の菓子も持って行きなさい」
「は、はい……」
「いやぁ、王家ともかかわりの強いフィリップ伯爵家の口から広めて貰えるようなことに、もしなれば心強いなぁ。いや、別に娘の友達を商売に使おうなんて思ってないけどな? 全然まったく思ってないけどな?」
「………」
ソフィアは苦笑しながら、心の中でルーカスを呪った。
ニコニコ嬉しそうにしている父に、真実は言えなかった。
たぶん、ソフィアが行きたくない、関わりたくないと言えば、父はじゃあ構わないと言ってくれる。
それどころか、ソフィアがフィリップ伯爵家と一切関わらないでいいように守ってもくれる。
(でもなぁ。商売に影響する可能性があるだろうし)
もし、ルーカスとの『お友達』を断った場合。
父親である伯爵様が怒って、何かしてくるかもしれない。
その場合、一番に狙われるのは父の経営し、兄が跡を継ごうと必死に修行している最中の商会だ。
一体どれくらいの損が出るのかどんな方法で圧力をかけられるのか。
想像して、ソフィアは眉を寄せた。
――――権力をもった貴族に逆らって、潰された店がいくつもあるのを知っている。
税金の優遇措置を受けられなくされたり、悪い噂を流されたり、影響力の持っている店へ働きかけて、その店からの注文を完全にストップさせられてしまったり。
従業員をうちが出せないような高額の給金で引き抜いて、店の運営を妨げたり。
もちろん、フィリップ伯爵がいくら可愛い息子にお願いされからって、実際にそんなに意地の悪い方法をとってくるのかはもちろん確証はない。
案外「そうですか。うちの子とは気が合わなかったんですねぇ。じゃっ‼」という感じであっさりと終わる可能性もある。
(でもでも、伯爵家の影響力ってほんとに半端じゃないだろうし。父様さっき、王家とも強い関わりがあるみたいなこと言ってたし! もしルーカスのお父さんが意地悪なタイプな人だったら、私のせいで家族が……)
ソフィアは、腹黒で妖精好きなルーカスと関わるのが、ただ面倒くさいだけだ。
確かにお菓子を要求されて、図々しいやつだと腹を立てた。
子供のくせにやたらと演技をする姿にも、正直引いた。
妖精用の菓子が欲しいがためにソフィアを嫁として欲しがるのも阿呆かと思った。
でもまだ、嫌いというほどにルーカスのことを知っているわけでもない。
ただの面倒くさくて我儘な貴族のお坊ちゃん。
そんな彼に求められているのは、いつも作っているお菓子。それだけ。
今は『友達』でいいとも言っていた。
――それだけで、父と母に泣きつくなんて、何だか凄く、子どもっぽくもある気がする。
「仕方ないか……相手は子供なんだし。ここは私が大人の対応で……」
「どうした?」
「んーん。ねぇ父様……しばらく、フィリップ伯爵家に良く通うことになりそうだけど、いいかな? 遅くなる時は連絡するから」
「あぁ、問題ないが、あまり迷惑はかけないようにな」
「はい」
ちょっと気が進まないけれど。
彼が要求しているのは、妖精が食べるお菓子を持ってきて欲しいということだけ。
自分の周りにいる妖精たちに渡す分を、少しお裾分けすればいいだけだ。
(まぁ、いっか。毎日は絶対むりだけど。何日か置きなら)
お菓子、仕方ないから届けに行くかあ。と、ソフィアは結局、権力に屈することにしたのだった。




