第100話:明日なき明日へ(前編)
捕虜の交換は無事に成立し、一気に多数の市民を獲得したヘリオポリスの町は活況を呈してきた。広場にはマーケットが広げられ、子どもたちの声も聞かれるようになった。決して経済的に豊かではないが、自分の足で歩き始めた市民たちの笑顔がそこにあふれていた。
さて、 ヘリオポリスにやって来た人々の中に意外な人物たちもいた。ダタン・コナーズをはじめとする旧人類解放戦線メンフィス居残りグループである。あの人類解放戦線のメンフィスからの脱出劇からは3年近くが経っている。
彼らを偶然見かけたのはニックとシモンであった。たまたま非番が重なったため、連れ立ってダウンタウンに出かけることにしたのだ。
「あれ!?、ダタンおじさんだあ。」
出店で買ったクレープを片手にニックが声を上げた。懐かしさのあまり、駆け寄って声を掛けようとしたニックの手を掴んで制止したのがシモンだった。
「待って、ニコラ。」
首を振るシモンに、ニックも自分がしようとしたことがバラクのためにはならないことに気がついたようである。脱出の際、彼らが裏切って情報をアマレクの当局に密告したのではないか、という疑惑はいまだに払拭されてはいない。ニックにとっては単なる「気さくな良いおじさん」だったので、疑惑についてすっかり失念していたのである。二人は彼らを尾行することにした。
彼らはあたりを警戒しながら歩みを早める。ただ、3年の歳月が、彼らを追う二人に有利に働いていた。3年の歳月ははダタンにとっては何の変化をもたらさないが、若者である二人には「成長」という名の大きな変化をもたらす。ダタンは二人には気が付かない様子であった。やがて、彼らは酒場に入っていった。さすがに二人にはそこに踏み込むには若すぎた。
「シモン、"ムシ"を出して。」
ニックのいうムシとは、エンデヴェール家に伝わる術式、「聲」に使うムシ型の超小型ドローンである。シモンは頷くとムシを飛ばす。人を強制支配するために使う技だが、加減によっては偵察など便利に使えるともいえる。
二人はダタンたちが入った酒場の近くにあるカフェに入るとラティーナ(網膜モニター)を繋いでで偵察を開始した。
集まっていたのはコナーズと当時の取り巻き連中、それに場違いにきちんとした身なりの男が一緒だった。
喧騒こもる酒場の中では音声が聞き取りづらいため、読唇術モードで録画する。読唇術モードは唇の動きに合わせて字幕が流れるのだ。会話はあまり楽しげでもなく、金の無心の話のようだ。カメラの関係ですべての会話を録画できるわけではない。やがて、男はダタンに鞄から紙袋を取り出して渡した。
「カネ……かな?」
シモンが呟く。男はそれを済ますとそそくさと立ち去った。"ムシ"はダタンの服に取りつくとGPSモードに変わる。アジトの場所を特定できるかもしれない。シモンもニックもそれ以上深入りせずに、情報を上に渡して判断を仰ぐことにした。
「貴重な情報に感謝する。彼らの動向に注意が必要だ。ラザロに回して調査させよう。それにしてもあいつらの名は名簿のどこにもはなかったはずだ。つまり偽名を使って潜入した、ということか。」
バラクの声は真剣そのもであった。
「何かやらかすつもりでしょうか?」
カレブが尋ねる。
「あいつら、GOSENと組んで何か企んでいるのか、取り敢えず調査が肝心だ。」
ジョシュアがまとめたところで、真ん中に立つシモンとニックに皆の目が集まる。
「ところで……それがキミたちのデートだったということかね?」
シモンとニックの報告に尊もバラクも苦笑いを隠そうとはしなかった。若い男女二人が街に遊びに出て、やったこといえば"尾行"だとは。しかし、二人は逆にデートという言葉に過敏に反応する。
「デートじゃありません。たまたま休暇が重なったので、街を見てこようということになって……」
確かに二人は「兄弟」のような関係である。年長者の多い本部でよく顔を合わせるため、自然に親しくなっていった。シモンは初めニックを男子だと認識していたため、恋愛感情など育たず、そのまま友人に相成ったようであった。無論、生殖能力のない培養人間であるニックに恋愛ような感情が育つとは思っていない。
「それをデートと言うのだよ。リア充どもめ。」
若干ジョシュアの声に怨嗟がこもっていたことに一同気付いたもののあえてツッコミを入れようとは思わなかった。
ダタン・コナーズは酒瓶をサイドテーブルに置いた。それほど乱暴においたつもりはなかったが、一本足のテーブルは大きな音をたて、揺れた。そしてまたそれを口にあて、喉の奥に酒を 流し込んだ。40代に差し掛かったこの男は、これまでの生きざまと、これからの運命を考えると酒に逃げ込んでしまうのかもしれない。
彼は、奴隷の子として平凡なテラノイドの家庭で生まれた。彼は才能に溢れた少年だった。絵画をかく才能が素晴らしかったのだ。しかし、奴隷の子にであるがゆえにその夢は潰えた。看板に絵を描く仕事に就いたものの、長続きはしなかった。
彼は道を外れて逃亡奴隷になった。その後、アマレク人画家のゴースト"ドロワー"になったりして食いつないだ。最後は拳闘奴隷として地下深くの違法闘技場で生きてきた。絵のモデルをするため、体を鍛え上げてきたその延長でもあった。
こうして、彼の持っていた反骨の精神は青春時代の夢を潰された時点で歪められ、単なる刹那的で暴力的なものに変容してしまっていた。やがてダタンはバラクと出会う。ダタンは人類解放を目指すバラクに共鳴し、兵士として人類解放戦線に身を投じた。
しかし、自堕落で放蕩な生活にどっぷりと漬かっていたダタンは、軍の規律的な生活が合わず、違法な活動に没頭していく。誘拐、強盗、違法賭博などありとあらゆる方法で資金を集め、組織の中で地歩を固めていったのだ。やがて、諜報部門のスティング・ボウマンと並び、組織の補給部門を束ねる幹部の一人に名を連ねるようになった。しかし、それでも彼の評判は高くはならなかった。落胆した彼は酒と女で取り巻きを集め、軍の中に私軍を持つようになる。
当初バラクもそれを黙認していたが、やがて、王の代理人である士師、尊の登場によって状況が激変する。人類解放戦線は正規軍としてスフィア王国軍として迎えられることになる。無論、この部隊を創設したときからこの方針は決まっていたのだ。しかし、ダタンにとってこれは自分の居場所の喪失を意味した。彼はそれを受け入れることはできなかった。そのため、彼は"神殿"には同行せず、メンフィスに留まることを選んだのだ。
ただ、彼は今疑われているように、直接的な意味で仲間を売ったりはしなかった。しかし、懇意にしていたGOSENの委員の一人に計画を打ち明けたのだ。その委員の 名はレオ・ゴバイタス、その中でも「現実派」と呼ばれる多数派の一人であった。