第98話:アブの災厄(後編)
「起きろマリアン。第4のテロが始まったらしい。工場街区がアブに襲われている。」
マリアンは眠気眼のままグレッグに付いていく。マリアンを助手席において、今度は酒がぬけたグレッグがハンドルを握った。(マリアンは化粧を直すためだ。)
「クソっ、"ブヨ"の段階で気付くべきだったんだ。政府のヤツら、ジェド閣下にかかりきりで対策なんてしなかったんだ。まあ、やり手の閣下がいない時点で終わっていたというべきだろうな。」
政府を毒づきながらも、「飯のタネ」の登場にグレッグはご機嫌だった。
政府の対応が遅れているのか、まだ規制線は張られていなかった。グレッグは以前経済関連の記事の時に取材で訪れたことのある工場へ車を進めた。先の情報の主はこの会社の広報担当だったのである。
生産ラインに案内された二人は言葉を失った。スプリンクラーの稼働によって水浸しになった構内。くすぶる煙が立ち上る。特に制御装置の破壊は凄まじく、完全に生産ラインは沈黙させられていた。
「酷いな。」
グレッグが吐き捨てる。もしこれが全国的なものであれば、アマレクの国家そのものの存亡の危機である。アマレクは工業国家だからだ。恐らく完全に復旧するには優に数ヶ月を要するだろう。国の産業が根幹から覆されてしまったのだ。植民星であるスフィアを建て直すにも80光年離れた母星の援助や、フェニキアから借金を重ねなければならないだろう。
グレッグのようなマスコミは、今しがた叩き潰された産業界をスポンサーとして発展してきた。当然のことながら自分の身の振り方も考えなければならないだろう。
マリアンも言葉がないようであった。
ただ、幸いというべきか、破壊されたのはメンフィス周辺の工業地帯だけだった。しかし、国の生産率の3割が失われた計算になる。しかも、軍需産業は首都周辺に集中していたため、ヘリオポリスに対する懲罰的軍事行動も延期になるに違いなかった。
しかし、軍需産業や大企業はともかく、周辺の中小企業にとっては致命的な打撃となったものも少なくなかった。
「ついに戦争か?」
いや、すでに戦争に突入している、とも言える。単にアマレク人がテラノイドたちの自治権を承認していないだけで、彼らには本拠地も存在する。当然のことながら、世論の批判が政府に向け始められると、今度は目を外に向けさせる政策へとシフトを始めた。情報の公開が始まったのである。
今回の情報公開にはジェドエフラーの敗北の影響もあった。最初の2回は"奇襲"攻撃であり国民にたいしては非公開の作戦だったため敗北もまた非公開であった。しかし、ジェドエフラーの場合は"討伐"隊を謳っていたため、半ば公開だったのである。
さらに、"奴隷"の反乱を甘く見ていた節もあり、片手間の準備で戦いに臨んでいたことも否めない。それがジェドエフラーの"死"をきっかけに報復を与えるべき、という機運が高まっていた。
民衆の間もそうだった。"災厄"も先回までは不快ではあったが、全国民的に実害があるとは言い難かった。しかしこの度は被害額が甚大でかなり多くの民衆が影響を受けることになった。すでにテラノイドに制裁と称して、個人的な虐待を加える者も出始めている。こうして、徐々に民族間の軋轢と対決の感情が醸成されつつあるのだ。
しかし、ここでテラノイド側から提案が来る。捕虜交換の申し出であった。ジェドエフラー麾下の敗残兵600余人と今回の災厄により一時解雇された労務者(奴隷)とその係累の内、希望する者である。その数は2万とも、20万ともいわれた。
「士師、捕虜交換なんて断ったらどうだ。明らかに罠じゃないか。」
バラクは尊に提案する。民衆に紛れ込ませたスパイや工作員を送り込まれる事を危惧しているのだ。もともと尊たちは捕虜と交換に金銭を要求する予定だったのだ。
尊もばつが悪そうに頭をかいた。
「まあ、人類解放を謳う我々の立場としては断れませんがね。巧妙と言えば巧妙なんです。実は今回この話は、GOSEN(統治会)の長老たちが持って来たのですよ。」
「なるほど。」
バラクは苦笑した。カンファレンスルームにはいつもの面面が集まっていた。それだけではない。そこにGOSENがメンフィスから代表者を送り込んで来ていたのだ。まず、今回の経緯についてその代表者からの説明を受ける。
GOSENとは、人選はテラノイド側から候補を提案し、アマレク政府が選んで承認した、つい最近までの人類の代表者たちである。これまで400年近く、その座に就いてきた。ようは、アマレク人による人類の間接統治の象徴である。
設立当初はアマレク政府との交渉や連絡を行ってきたのだが、徐々に骨抜きにされ、既に彼ら自身にはアマレク政府に対して何の力もない。労働組合ごっこをしている貴族気分の奴隷たちと言えば分かり良いだろうか。単純に、アマレク政府の要求のままに人類を押さえ込み、その報酬として僅かな利益が転がりこんでくるのである。
地球教と共に数々の特権を許されており、民衆の大半は洗脳されて誉め称える者、報復を恐れて服従する者、すりよって利益を得ようとする者、売国奴と罵る者の何れかであった。
しかし、正統な国王である「キング・アーサー」によって正式に任命された尊の登場によって、自分たちの法的な立場が覆されてしまったため、自分たちの権益が侵されることを恐れたのだろうか。さらに、相次ぐ勝利で存在感を増す尊のに対抗して、自分たちの威厳を示したいのだろうか、勝手に自前のパイプを使ってこの話をまとめて来たのである。
「こんなのスパイを送りこまれるに決まってますよ。」
バカでも分かると言わんばかりにジョシュアが吐き捨てる。
「肌の色が違いますから、アマレク人が潜りこむことはありえません。先方もそんな真似をする必要がない、と保証しています。」
長老の述べることに一同は絶句した。
「そんな空手形を鵜呑みにしたんですか? ……だから、金をもらったり、家族を人質にとられたり、などでたとえ同胞であっても工作員にならざるを得ない可能性が十分にありますけど。」
エリカも呆れてモノも言えない、というていだが漸くそれだけ口にした。
「いずれにしても我々はあなた方とは違い、民主的に選ばれた人類の代表者です。これは決定です。従っていただきます。」
"長老"とは地位の名称であって「高齢者」な訳ではない。30代後半くらいの男の居丈高な言葉に、いつもは温厚なカレブもムッとしたようである。
「スフィアは"王国"です。ですから、王の代理人である"士師"の権限が優先されます。」
そう釘をさした。しかし、尊は
「わかりました。お引き受けしましょう。この度は皆さんのお立場もあることでしょう。」
と穏やかに答えた。長老の表情がほっとしたものになる。
「しかし、こちらも条件があります。」
尊は話を続ける。
「皆さん全員、ご家族も連れて、こちらにお越しいただきます。このヘリオポリスで民を牧していただくためにね。」
使者は明らかに嫌そうな顔をする。
GOSENの代表者を退出させた後、皆が口々に心配の声をあげる。
「間違いなく罠だね」
ようやくラザロが口を開いた。
「まあ、こちらとしても兵の補充は必要だし、あちらさんの軍事行動もますます大規模化しそうですから。そう悪い面ばかりでもありません。」
言葉とは裏腹に尊は目を瞑り天井を見上げた。
「しかし、食糧の生産も増産が必要だし、その人員も必要だ。エネルギーも必要る。いったい都市経営を何だと思っているんだ。こう言っては難だが、俺たちの背中に銃を向けるのはヤツら(GOSEN)かもしれんな。」
バラクの言葉に一同頷くしかなかった。