第96話:浴びせられた冷水
「会議は踊る、されど進まず。」
ここのところ毎晩のように開催される舞踏会をアモンは苦虫を噛み潰したような顔で見つめていた。
本来は、テラノイドに対する方針を決定するために大統領によって議会を召集したのだが、おまけのはずのダンスパーティーがメインとなってしまい、すっかり会議の方が疎かになっていたのだ。
これまでテラノイドへの対応は大統領府で、閣議のみで決して来たが、彼らの手にヘリオポリスが落ちたことにより状況が大幅に変化したのだ。最早、公然の秘密となっている彼らとの交渉を進めるために方針を定め、かつ承認を得るために国民の代表である議会に諮らなければならなくなったのである。
アマレクの政体は「貴族制民主主義国家」なのである。選挙権は貴族階級や企業経営者といった富裕層のみが持っており、被選挙権は子爵以上の貴族に限られている。また、貴族は国防の義務を有しており、自費で騎士団を運営していた。
その中核を為すのが陸戦騎士団そして、空戦騎士団を所持する17の大貴族であり、この17家の中から大統領を選出するのが慣わしとなっている。
さて、いつもの議会であれば、差し障りの無い議題のため、弁護士のような専門家を代理人として送り込めば済んでいた。しかし、この度は極めて重大な問題のため、貴族議員本人の出席が命じられていたのである。
ただ、当然のことながら、世事に疎いというよりもはや無関心ですらある貴族たちにとって、会議よりもそのあとのパーティーに全ての関心が注がれていたのである。方針も全く決まらず、国防省の官僚の説明にも話し半分にしか耳を傾けず、あげくは議事の打ちきりを提案してそれが可決されて会議がお流れに、という状況がここ3,4日続いていた。
そのため、今夜はどこそこの伯爵が、明日はどこぞの大企業のオーナーが開くパーティーに、となってしまっていた。
「こんなことをしている場合ではないのだが。」
そうぼやくアモンに
「今回は、"あの"ジェド閣下だ。そのうち勝利の連絡が入って、中継で乾杯になるんじゃないか?」
ほとんどの僚友がそう思っているようだった。
さて、「宴もたけなわ」という所でウエイターたちがワイングラスを列席者に配り始め、ざわめきがおこり始めた。どうにも、ジェドエフラーの陣営から通信が入ったようだ、という噂であった。中座しようとしていたアモンも思い直してグラスを受け取った。主催者である侯爵がマイクを取る。
「えー、ご列席の皆様。只今、テラノイドのテロリストどものアジトに討伐に向かわれたジェドエフラー・コンスタンティヌス侯爵閣下から通信が入ったものであります。きっと、良い知らせゆえ、皆でここで分かち合おうではありませんか」
会場から快哉と喝采が沸き起こる。
皆は勝ち誇るジェドエフラーの勇姿が大画面に現れるのを期待していたのだが、そこに現れたのは彼の幕僚で後方・補給担当のアインアザベルであった。
「ジェドエフラー閣下は、……名誉の戦死を遂げられました。」
無念の極み、という表情でやっと絞り出したその衝撃的な言葉に、会場は水を打ったように静まり返る。誰もが信じがたいその言葉を咀嚼し、無理に飲み込んでいるようだった。
しかし、その場でアインアザベルが崩れ落ちて嗚咽する姿に、会場内をひそひそ話が渦巻きはじめる。
すると、画面に最も有名な地球人種、不知火尊が表れる。そして、隣に立つバラクが声明を読み上げはじめた。アモンは息を飲んだ。
「ジェドエフラー・コンスタンティヌス侯爵閣下は、本日1200(ヒトフタマルマル)我が国の領土に侵攻し、武力を行使されました。この宣戦布告に対して我々は反撃し、閣下を討ち果たしました。その後、掃討戦により
戦車57両を拿捕し、さらに72両を完全破壊、 将兵あわせて648人を捕虜といたしました。」
信じられない、という雰囲気が会場を覆う。しかし、通信システムを押さえられているのが何よりの証拠であった。
尊が合図する。すると音声のない動画が流される。レールガンを派手に"ぶっぱなす"機体。次いで、派手に破壊されたヘリオポリスのバリケード。
おおー、という感嘆の声があがる。次の動画はジェドエフラーの「モントゥ」の機体の中から火球が沸き上がり、それが急速に収縮して消え去る。消えた上半身から両腕が地面に落ち、派手に土煙が上がる。そこで動画が終わった。
ガチャン、と音がしてアモンの手からグラスが滑り落ち、砕け散った。発泡性の白ワイン が絨毯に染みを作る。ウエイターが飛んで来て、割れたグラスを手早く片付ける。
尊が口を開いた。
「この動画を信じるか信じないかは皆さん次第です。しかし、侯爵のお帰りを待たれても無駄であることはご理解願います。さて、今度は私どものターンになります。これより、第4の災いが皆さんを襲うことでしょう。今度はアブです。メンフィスの地はアブで満ちることになります。しかし、この度から、テラノイドの居住区は区別されることになります。そこにアブが生じることはありません。皆さんは、これらの災いがすべて私どものコントロール下にあることをお知りいただくことになるでしょう。」
「アブか……?」
アモンは会場を後にした。
「ジェドエフラー敗れる」。
その一報が入り、夜半過ぎに編集長に叩き起こされたグレッグは明らかに不機嫌だった。翌日は非番の予定であったため、飲酒して寝ていたのだ。とばっちりで運転手としてグレッグに叩き起こされたマリアンは、さらに輪をかけて不機嫌であった。
「先輩、夜更かしはお肌の大敵なんですけど。」
マリアンの嫌味を気にも留めようとせず、グレッグは話を続ける。
「でも、今回は交渉条件も出さずに執行、ってわけだ。で、どうだマリアン、アブに関して義兄さんとのだな、なんだ、……」
話を逸らしたいのか熱心なのか、まさに「お構い無し」に喋り続ける。マリアンも負けじと被せて来る。
「残念ながらありませんから。甘酸っぱい思い出もエピソードもです。」
グレッグはマリアンをなだめようとさらに話を続けた。
「まあ、つれないことを言うなって。この前の記事もすっごく評判良かったんだ。」
「ええ、犯罪者の義妹として恥ずかしくないのか、とか売国奴とか、どちらかといえば散々でしたけどね。」
勿論、尊の行動に関して、マリアンに責任があるわけではない。あの忌まわしい事件がなければ、義兄もそのまま異能に目覚めることなく、名もない労務者として生涯を終えたかもしれない。そして、マリアン自身もこんな夜中に叩き起こされることもなく、友達と放課後のカフェ巡りの話ばかりする普通の女の子だったはずだ。