第140話:すべてを賭けて
[星暦1000年11月1日]
「入りたまえ。」
ルクソールの大統領官邸の閣議室には大統領以下、すべての閣僚が揃っていた。そこに呼び出されると流石のアモン・クレメンスも緊張を隠せなかった。
「君のこれまでの提唱が正しいことが確認されたな。"国家再建庁"は"新国家建設省"へと格上げが決まった。これからは内務省副長官として、この立ち上げを加速してもらいたい。」
大統領の言葉にアモンは一礼する。
「しかし、その前に君に護国官としての頼みがある。」
大統領の言葉にアモンは顔を上げる
「君の持つ機神、"アヌビス"の力を我々に貸してもらえないだろうか?」
「はい、全力を尽くします。」
アモンに迷いはなかった。アマレク人は今まさに国家存亡の危機に直面していたのである。400年の間育て上げ、構築したコンピューターシステムである『トート』を簡単に奪われてしまったのだ。これではアマレク人には南半球どころか、この惑星から撤退するか、原始時代の生活に戻るか、今度はテラノイドの奴隷になるか、3つしか選択肢が残されていない。
「先程、フェニキア公館を通じてテラノイド一派……いやスフィア王国国王 代執行人(エージェントから全都市の明け渡しの交渉を行いたい、という通告が届いた。我々は君に全てをベットする。君が大統領の『代理人』だ。」
アモンはもう何年も前に、ゼロス・マクベインだった頃の不知火尊に、なぜ護衛体技をしているのか尋ねられたことを思い出した。ついに、その時が巡ってきたのだ。
「日時は11月22日だ。」
告げられた日時にアモンは
「承知しました。」
ただ一言そう言って閣議室を後にした。
[星暦1000年11月15日]
高原であるヘリオポリスの冬は早い。
「そろそろ雪が降るかもしれませんね。」
テラスから満天の星空を眺めながら尊は傍らのアーニャに声をかけた。
「ええ。」
寒そうにしていたアーニャに尊は来ていた自分の上着をかける。
「ちゃんと帰ってきてね。あなた。」
アーニャは尊に抱きつくと眼を上げ、じっと尊の眼を見つめながら言う。
「ええ、わかってますよ。」
尊もアーニャを抱きしめた。
「ミーディアンの村の皆は元気かしら?」
アーニャはふと故郷の村を思い出す。あの村を離れてもう5年が経とうとしている。
「そうだね。これが片付いたら皆で村の人たちに会いに行きましょうか。」
尊の脳裏にはこれまでの激動の日々が頭の中で鮮やかに甦ってきた。
激しい戦いの日々、その合間に癒された日常。沢山の「日常」を犠牲にした今、今度こそ穏やかな日々を手にすることはできるのだろうか。
[星暦1000年11月21日]
決戦前日、尊の一行は定宿とするフェニキア資本のアブハールホテルに泊まった。尊はシモンと同室であり、二人で少しだけアルコールをとった。
「義兄さんとテラノイドの奴隷街に忍び込んだ酒場を思い出すなあ。」
「もう5年も前のことですね。まだあのときはシモンは未成年でした。」
シモンは飲んでいたグラスを置いた。
「俺、義兄さんと色々あったけど、やっぱり義兄さんが義兄さんで良かった、って思うんだ。」
シモンがしみじみと言う。照れ屋の彼が尊にこんなことを面と向かって言うときはたいてい酔いが回った証拠であった。
「シモン、少し酔いましたか?」
尊が案ずる間もなくシモンは眠ってしまった。
「ありがとう、シモン。私もシモンが義弟で本当に良かったですよ。私には弟と呼べる存在はは、この宇宙であなただけなのですから。」
いずれ、幼い3人の妹たちも成長して結婚するだろうが、もうその時はヌーゼリアルに帰っていることだろう。
「エンデヴェールの家の皆さんは本当によく私を支えてくれました。でも、今度は家族の幸せを優先してくださいね」。
テーブルに突っ伏して眠るシモンの肩に尊は毛布をかけた。
明日は決戦。間違いなくアモン・クレメンスが出てくるだろう。尊はまだ自分がゼロス・マクベインであった頃のことを思い返していた。あの時は失うものはなかった。しかし今は違う。双方の肩にかかるのはどちらも自分の民族の将来がかかっているのだ。
一方アモン・クレメンスは行きつけのバーにいた。隣の席にいたのは秘書のマリアンであった。
「マリアン。明日、私は君の義兄さんと闘うことになる。」
ついに、この時がきたのか。マリアンはアモンの顔を見た。その表情は静かで穏やかで、とても明日命のやりとりをする人間の顔とは思えなかった。
「怖くはないのですか?」
淡々とした表情でグラスを傾けるアモンに彼女は尋ねた。
「怖い?」
そう聞き返したので、マリアンはアモンの感情を害したかと少しひやっとしたが、そうではなかった。
「私は、恐怖、という感情はなくしてしまうべきだ、とかつては思っていた。しかし、今は、私には様々な感情が渦巻いている。負けてしまうことへの「恐怖」、しかり。戦士として求められ、戦える「喜び」。父を失った「哀しみ」。強大な敵への「敬意」。君の義兄さんに対する「羨望」そして「憎しみ」。まあ、いろいろだ。すべて抱え込んでみたら「無」になったよ。すべては明日決まる。ただそれだけだ。」
アモンはまさに淡々と語った。それが偽らざる彼の本心であることは疑いようがなかった。
「逃げたい、とは思わないのですか?」
マリアンはさらにつっこんだ。アモンは愉快そうに笑った。
「そうだね、そういう願望も入っている。今日は『ジャーナリスト』として君に付き合ってもらっている。そうだな。『俺の夢』について語ってもいいかな。」
冗談なのか本気なのか、マリアンは考えあぐねていたが、彼女のジャーナリストとしての魂は、彼の話を聞きたくてたまらなかった。
「お願いします。」
マリアンはレコーダーをカウンターに置き、おろしていた髪を結わえた。記者の顔に戻った横顔をアモンは目を細めてみつめていた。




