第139話:歴史の裏側の闘い(後編)
ビルが銃を手に尊に向かってゆっくりと近づいてくる。
尊はその姿に気おされ、思わず後ずさりする。そして、何かにつまづいて転んでしまった。
そこには、なぜかビルが横たわっていた。額から血を流し、目を見開いている。尊の手にはその血がべったりとついていた。尊は悲鳴をあげた。あの時の恐怖が一気にフラッシュバックをおこしたのだ。
「これがお前の望んだ結末なのか?」
ビルの問いに尊は震え上がる。汗をびっしょりとかいている。尊は首を横に振った。
「お前に人を愛する資格などあるのか? お前の奪ったものを考えてみたらどうだ? お前は俺の大事なものを返してくれるのか?」
ビルが手にある拳銃を尊に向けた。
「俺が楽にしてやろう? お前を救ってやるよ、すべての重荷と苦しみから。」
銃の安全装置が外れる音がする。尊は目をつむった。
その時だった。歌声が響いてきた。夜のとばりがおり、真っ暗になった校舎に澄んだ、暖かい歌声が響く。
「手をつなごう、あなたとわたし。
あなたは弱い人。わたしも弱い人。
だから手をつなごう、二人ならこらえられる。
あなたはひとりきり、わたしもひとりきり
だから手をつなごう、確かめ合うために。
だれもあなたがわからない。きっとわたしもわからない。
でも、寄り添うことはできるはず。
だからてをつなごう、歩きはじめるために
手をつなごう。あなたといたいから。
伝わるものを感じよう。
言葉なしでは伝わらない。言葉だけでもつたわらない。
あなたを愛するこの気持ち
支える手、分け合う手、
いやしの手、慰めの手。
楽しいときだけじゃなく
つらい時こそいっしょにいたい。
だから手をつなごう
あなたはわたしの大切な人」。
歌が終わると、尊の心も平常心を戻していた。アーニャの声。
彼にとって、今、最も大切な者の声だ。
尊の閉じられた瞼から一筋涙が流れた。
そして、尊の手は彼の頭に向けられた銃をつかむ。
「モルドレッド。貴様に一つだけ言わせてもらおう。これらはすべて自分自身が決めた結果だ。ビルはジェフの犯罪を止めることではなく、手伝うことを選んだ。
クレメンス大統領は国民の命よりも国家の体面を選んだ。そしてアマレク人も地球人種を友として見送ることではなく、家畜として繋ぎ止めることを選んだ。
そして貴様は、反対者であることを選んだ。
その結果はだれもが甘受しなければならない。俺は茉莉のために人を殺してしまった。それは俺が選んだ結果だ。しかし、俺は自分の愛する人たちが笑顔でいられるなら、どんな苦しみも甘んじて受けよう。それが、俺の覚悟だ。俺はこの十字架を決して放棄したりなんかしない。たとえ、俺の歩みの行きつく先が『処刑場の丘』であってもだ。」
尊が銃を奪う。彼とて当時の無力だった高校生ではない。何年もの間、愛するものを護るために研鑽をつんできた技がある。ラガーマンであろうと、力だけでは通用しない。彼はビルの腕をとって地面にねじ伏せた。
「ぐぎぎぎぎぎぎぎぎぎ……。痛い、痛いですよ。パーシヴァル。」
ビルはそのままモルドレッド・モリアーティに姿を戻す。そして、そのまま闇へ溶けいるように消えていった。
「逃がすか!」
尊は銃を撃つ。しかし、もはや彼の姿は消えていた。そして、校舎の幻影も、ロンドンタワーも消えていく。
ただ、消えるとと言っても崩れて落ちていくので、こちらは防御が必要だった。
「惜しいですね。もう少しのところだったのですが。まさか、奥様の横やりがはいるとは。ごきげんよう、パーシヴァル。いずれまたどこかでお会いしましょう。『平和』などという偽善と退屈は私の性にはあいませんのでね。」
高笑いを残し、「ドM」様は去っていった。
「逃したか……。やはり、一人で行くべきではなかったのう。禍根を残してしまうとは。」
ベリアルが悔しがる。
「しかし、いつアーニャは『聲』を仕込んだのじゃ?まあ、ぬしはしばらくは嫁御には頭があがらんぞ。」
歌声はベリアルにも届いていたのだ。尊は自分が潜入する前にアーニャとキスを交わしたことを思い出した。
「あの時か。」
尊の表情が和らいだ。
「人類の救済どころか、俺は助けてもらってばかりだな。」
尊が自嘲気味に言った。
「まあ、そこがぬしのよさであろう。これでトートは我がしもべとなったわ。それでは帰るとするかの。」
これでアマレク政府と国民の中枢神経であるトートは尊の支配下におかれた。これは
「王手じゃの。」
尊の勝利がもはや揺るがないことを示している。
尊が目を開けると、心配そうに見つめるアーニャの姿があった。カプセルが開くとアーニャが尊に抱き着いてきた。
「ありがとう、アーニャ。」
尊もアーニャを抱擁する。
しばらく抱き合っていた二人だが、アーニャが涙でぬれたまつ毛を瞬かせると
「お腹すいてません?」
そう尋ねた。尊は少し考えてから、
「そうだね、まだ食欲はわきませんね。少し二人で散歩でもしましょうか。」
カプセルから出ると少しふらつきもしたが、しっかりとした足取りで尊は歩き出す。アーニャもそれを支えるように寄り添って歩き出した。
手をつないで。




