第138話:歴史の裏側の闘い(前編)
尊は軍本部地下の専用施設にいた。「キング・アーサーと円卓の騎士」のシステムの一部として、果たさねばならない戦いがあるのだ。心配そうにアーニャが尊を見つめる。
「行ってくるよアーニャ。お土産は売ってないから、ないけどね。」
尊は緊張のあまり、少しも面白くないジョークを言いながらアーニャの頬に『行ってきます』のキスをしようとした。
するとアーニャは尊の首を抱くと唇に熱烈なキスをした。
「いってらっしゃい、あなた。愛してるわ。あなたのすべてを。」
そういって尊の額をなでた。
「おそらく、今回がもっとも困難な戦いになることじゃろう。わしとぬしとの『愛』が試される戦いになろう。」
ベリアルが珍しく真顔でいる。それが事態の真摯さを物語っていた。
「そこは『絆』だろ?頼むぞ、居候。」
尊も久しぶりに一人の戦士に戻ることに緊張と高揚感を感じている。
「さて、『ドM』様の巣にハッキングをかけるとしますか?やつを倒さないことには完全に『トート』を制圧することはできないからな。」
尊は深くネットワークに侵攻し、トートに接触する。するとそこには不気味な塔と、その扉が眼前に現れた。
「ロンドン・ブリッジ……ですか。」
「それは『落ちる』方じゃ。こいつはロンドン・タワーじゃて。」
今度は素で間違えた尊にベリアルがつっこみをいれた。
旧世界のかつての文明の中心地ロンドン。そこは、尊が地球に存在した時代まで大きな影響を与え続けている。たとえば彼らが話す標準語はこの英語がもとになっている。また、キング・アーサーの伝説の由来はこの国のものだ。
そして、「モルドレッド・モリアーティ」が人間ジム・ハリスであった時もこの国の科学者であった。
「この塔は、権力争いに敗れた王侯貴族たちが幽閉され、命を奪われたいわくつきの塔。そう、わたしが愛する混沌の象徴なのです。人は権力にまみれ、そしておぼれていくのです。あなたのようにね。」
タキシードにシルクハット、ステッキに片眼鏡と『完全武装』して「ドM」様が現れた。
「メヘン・マルクス教授……。なるほど、イニシャルもMで統一とはね。芸が細かいな。」
尊は褒めるわけでもなく淡々と感心する。
「芸が『無い』、の間違いであろう。」
ベリアルが否定する。
「ようこそ、尊、待ちかねましたよ。さあ、憎むべき敵であるわたしを捕まえてごらんなさい。」
高笑いをしながらモルドレッド卿は塔へと吸い込まれていった。
「ああ、いやだね。なにが悲しくてオッサンを追わねばならんのか。せめてグラマーな美人にしてほしかったよ。」
尊はいやそうに愚痴る。
「まあそういうな。『虎穴に入らざれば』なんとやらだ。おいかけっこの方は任せておけ。」
ベリアルが追跡を開始する。
「猟犬をけしかける猟師というところか。」
尊がつぶやく。
「ウエルシュ・コーギーであろう。かの国は。」
ベリアルが細かいツッコミをいれた。
しかし、突然、モルドレッド卿が尊に襲い掛かったのである。
「ぬはははははははははは……。大量殺人者同士の闘いです。まあ、私の方が数では負けていますがね。
ミスター虐殺者。」
お互いに物理的な身体ではないため、華麗なアクションというわけではないが、精神的な攻撃がものをいう。
「うるさい、ミスター惨殺者。」
尊も負けるつもりはない。
「この戦いはHIP-HOPのDisり合いと原理は一緒じゃ。感情を持つ人間同士だからこそできる戦いではあるな。」
ベリアルのような感情を持たない存在同士だと純粋に持っている力で優劣が決まってしまうのだという。
しかし、人間の場合、心の状態によって力が出せる量は変化する。
「そうでなければ、私には勝ち目がありませんからね。」
ドMがニヤッとする。
確かに、大勢の市民や兵士たちを死地に送り込んだ尊にとって、「血の罪」は心の枷であった。それを徹底的に「ドM]様はついてくるのだ。
「『ドS』様の間違いだな。」
ダメージを受けた尊は片膝をつき、肩で呼吸をする。
「ドM」の攻撃は続く。今度は「メンフィス壊滅」の時に犠牲になったアマレク人の子供たちや、奴隷養子としてアマレク人の家族とともに犠牲になった地球人種の少年ん少女たちのデータが武器となって尊を襲う。
「あなたはこの者たちの『明日』と、ささやかな『夢』を奪ったのですよ。あなたの振りかざす『大義』とやらによってね。あなたは『平和』な日常を奪ったのですよ。彼らからね。聞こえませんか?彼らの怨嗟と慟哭が。あなたが殺したのは『数』ではないのです。こうした無数の存在を、魂を、思いを、そして心を、一つ一つずつ殺したのです。まるで虫けらのようにね。」
「ドM」の攻撃は徐々に尊を蝕んでいく。一方、ベリアルは「塔」に閉じ込められていた。
「くそ、わなか。わしと尊を引き離すための。」
とはいえ、ベリアルは尊の脳に物理的にインストールされているのだから、完全に引き離すことなどできない。
「まぬけな宿主め。自分で自分の心を閉ざしおったか。」
ベリアルは扉をたたいて尊によびかける。
「馬鹿者、あれほど一人で抱え込むなと念を押したであろう。おい、ここを開けろ、パーシヴァル!お前の心の闇を引き受けるためにわしは、わしは……天使の名を捨て、悪魔の名を負うたというに。」
心のねじくれ方が「ドM」の方が上なのは間違いない。間違いなのは尊がみすみす「ドM」の土俵に乗ったことである。精神力勝負で勝つためには「負」の感情で勝負してはいけないのだ。
尊は気が付くと薄暗い校舎の中に立っていた。地球で高校生をしていたことを思い出す。かつん、かつんと革靴をはいた足音がゆっくりと近づいてくる。薄暗がりの中、大男の影がこちらに近づいているのだ。
「ビル・マックギース……。」
尊は絶句した。かつて自分が手にかけて殺してしまった男だ。もうあのフラッシュバックはなかったのに。
「よう、尊。俺がなにをしたというんだ? 殺されるほどのことなのか?なあ?」
ビルが迫ってくる。手に銃を持って。




