第136話:新都(ルクソール)の激震
マリアンがアモンの秘書になって3か月がたち、ようやく仕事にも慣れてきた。もっとも、女子職員の嫉妬ややっかみによる嫌がらせやいじめも酷くなっていて、わりと神経の太いマリアンも辟易していた。ただ、こうしたいじめに関しては、マリアンも義兄に対する前科があり、自分が可哀想というよりゼロス(尊)に酷いことしていたものだなあ、という気持ちが彼女の心の最後の防壁となっていた。
また、いじめといっても、「国賊の義妹」というもので、マリアンも尊の義妹であることを恥じてはいないので、周囲が心配するほどのダメージではなかった。
「マリアン、良いニュースと悪いニュースがある。どちらから聞きたい。」
「良いニュースからお願いします。」
ある日、アモンが別の秘書(というか本物の秘書)を連れて外出先から戻ると、マリアンに話しかけた。彼は上機嫌だった。
「まず、先の戦いで捕虜になった者たちが戻って来ることになった。」
「それは良かったです。」
アマレク兵の7万5000人の行方不明者のうち1万6000人が捕虜として戻ってくるのだ。心配する家族にとってこれほどの朗報はない。エリカたちが戦闘後の疲労をおして捜索した成果であった。
「それでボス、悪い方は?」
マリアンが尋ねるとアモンは複雑な表情で答えた。
「彼らを連れて来るのが不知火尊だ。つまり、また我が国を恫喝しに訪れるわけだ。」
「すみません。ただ私に限って言えば朗報なのですが。」
マリアンは自然と笑顔になる。
もちろん、尊が来る、といっても、いつもの通り正規の代表者はヌーゼリアル王子シモンであって、義兄はその家来、という設定である。
アモンはこれからが本題であると断り、マリアンに告げた。
「そういえばそうだったな。それで、受け取り側の代表者として私が出席する。君も一緒に来るように。」
「え!?……了解しました。」
語尾が若干小声になったのはアモンの言っていることの意味を咀嚼しきれなかったからだ。
「ところでマリアン、君は軍の制服を持っていなかったね。作っておくといい。帰りにここによって採寸するように。」
ボスに手渡された名刺は中上流家庭の自分ですら敷居を跨いだことのないようなオートクチュール(高級ブティック)のものだった。
「あの……こんな(高級な)お店で軍服なんか扱っているのですか?」
「ああ、問題ないそうだ。母や姉たちも良く使ってる店だから。」
(まさかムリヤリというか、ボスに当然のように言われて逆らえなかったのか……)
マリアンは苦笑しそうになるのをこらえた。アモンの意外に天然な所が彼の育ちの良さをかいま見せてしまうのであった。
今回の捕虜交換は、多分に政治ショー的な意味合いが含まれていて、イケメンのシモンに対抗したいがためにアモンをぶつけるのだ、というのが巷の意見であった。
しかし、尊がルクソールの大統領府を訪れるには、間違いなく交渉のためであり、それをアマレク側が飲めるかどうか、マリアンの関心はその一点にあった。
捕虜交換の日の1週前、マリアンのところにオートクチュール制の軍服が届けられた。何度も仮縫いやら採寸で店まで足を運ばねばならなかったが、仕上がりは上々で、いたるところにデザイナーの工夫とお針子さんの技術の結晶したものであった。高級店の意地が大量縫製品との違いを出したかったのだろうか。動き易い上に体にもフィットした上、極めてエレガンスさを出していた。
「良いね。とてもセクシーな感じがする。すごく魅力的だよ、マリアン。」
ほぼセクハラ紛いの誉め方だが、アモンにスマートに言われてしまうと頬が紅潮してしまいそうになる。
(イケメン恐るべし。)
これでまた敵の数が増えるのか、マリアンはそっとため息をついた。
捕虜の交換式は恙無く終了し、シモンとアモン、二人のイケメン同士の握手の場面が歓声ではなくため息が出るという代物だった。マリアンも「背景」として記念撮影に収まっていたが、マリアンのカウンターパートにいたニックが女性物の軍服を着ていたことにびっくりしていた。
(いやだ、可愛いオトコノコだなあ、なんて思ってたら女の子だったのか)
式の後はちょっとした懇親会となり、軽食や軽めのアルコールなどが振る舞われた。政治家たちとは違い、実際に戦いあった軍人同士の間には奇妙なシンパシーがあり、互いを同等と認めることに抵抗がなかった。わりと和気あいあいとした雰囲気はマリアンにとって不思議な光景だった。
主役ではないので、暇そうにしていた尊がマリアンを見つけて近寄って声をかける。
「マリアン、元気そうですね。」
マリアンも笑顔で答えた。
「義兄さんも。アーニャさんや、妹たちも元気?」
「ええ、とても。でもまさかこんなところで会えるとは思っても見ませんでした。素敵な制服ですね。まるでマリアンのためにしつらえたようにピッタリです。」
尊が驚いたようにほめた。
(「まるで」じゃなくて、ホントにしつらえたんだけどね)
話題は彼女の仕事の話になった。
「アモンさんの下で働いていたんですね。」
「ええ、慣れないことが多くて。」
マリアンが眉を額に寄せると尊はいたずらっ子のような笑顔を浮かべた。
「早起きとか?」
(う……、見透かされてる……)
翌日、新大統領官邸にて行われた交渉で、尊の出したハードルは予想以上に高くなっていた。
「そうですね、惑星スフィアの北半球全部、これを我が国の領土とお認めいただきましょう。」
王家の谷(閣議場)が凍りついた。戦争に負ける、というのはこういうことなのだ。しかし、グレゴリウス大統領は鼻でふん、と笑うと、
「断る。先の戦いで我が方が不利だったことは認めよう。しかし、我々は攻めて退きはしたが、攻められて白旗を掲げたわけではない。そこまで言うのなら、我々を追い出すために君たちの力を見せるべきだろう。話はそれからだ。いっておくが小僧、我々はかなり寛大な態度を見せているつもりだ。思い違いは君の身を滅ぼしかねない。以後気をつけることだ。」
そう言って立ち上がった大統領に尊は答えた。
「ご忠告痛み入ります。閣下。無礼ついでに、閣下のご要望に答えるべく我々の力をお見せしましょう。そうですね、来月の一日から1週間、アマレクの地は闇に包まれるでしょう。これが第9の災厄です。」
大統領は無言のまま立ち去った。彼の頭の中でテラノイドは奴隷で家畜に過ぎない、という意識はぬぐい去ることはできないのだろう。それだけ400年の歴史は長いのだ。




