第134話:なりたい自分になるために
「皆さん本当によくやってくださいました。」
アマレク軍の完全撤退後、全員がカンファレンスルームに集められた時、尊は深々と頭を下げた。
「皆さんの驚異的な粘りがあったからこそ、この災厄が活かされたのです。」
優しい眼差しで笑みを浮かべる尊をバラクはサングラスの奥から見つめていた。
「今回はギリギリまで『災厄』を発動させないつもりです。」
尊はバラクに戦闘前から宣言していたのである。
「死人が出ますよ。」
バラクは言ってみたものの、尊の意思は固そうであった。
「ええ、自由の価値は血の価値である。彼らにはそれを知ってもらわねばなりません。それほどに、代えがたいものなのですよ。自由というものは。」
「死んだ者たちは?」
「義眼を回収できれば、ティル・ナ・ノーグ(ラティーナ所有者のアーカイブ)から記憶を添えて体をお返ししましょう。」
つまり、義眼を装着するために預かった本人の眼球が保管されており、ラティーナに記録されている人生の記録を眼球から採取したDNAから作り出したホムンクルス躯体に入れるのである。生殖機能は無いが、60年ほどの人生は楽しめる。
被害も報告された。陸空合わせておよそ7万人が戦闘に参加し、530人が戦死した。この時ばかりはさすがに皆沈痛な面持ちになった。
自由と平和を勝ち得ても彼らは自分でそれを味わうことができない。戦争が恐ろしく不公平で、なおかつ狂気染みている所以である。
皆で死者の冥福と、平和と自由の達成を願って黙祷を捧げた。
GOSENのメンバーからは戦勝パレードをしたいという申し出があったが、尊は固辞した。いまだ、自由と平和を勝ち得ない以上、勝利とは呼べないからであった。
「戦争のレポート、よく書けていたぞ。」
グレッグがマリアンを褒める。
「ありがとうございます。」
マリアンは複雑そうだった。故国が負けるのを見たいとは思わなかったし、義兄が負けるのをみることもまた然りである。
「非常に客観的で、感情に溺れず的確だったと、読者やスポンサーからも好評でな。……まあ、お前の実力というよりは愛国心と義兄さんラブの気持ちがぶつかり合って対消滅しただけなんだけどな。」
「うるせーです。」
マリアンは小声で反抗した。それでもグレッグは上機嫌だった。
「言うようになったじゃねえか。結構結構。お前さんを置きっぱにした功績で、今回俺は本誌の政治部のキャップに昇進でな、マリアン様様なんだよ。それで、社からお前に辞令が来た。ルクソールに来い。内務省に出向だそうだ。業務はそっち行って聞いてくれ、だと。」
マリアンは驚いたし迷いもした。今回の一件で、自分はジャーナリストとして独り立ちできる、と自信もついたし、このヘリオポリスの町も人々も好きだった。徐々に自尊心が芽生えてきて、アマレク人の自分にも卑屈な態度ではなく、眼を真っ直ぐ見つめて話してくれるようになってきたからだ。
マリアンは尊に、昼食を共にしながら今後のことを相談した。マリアンは気を使ってアーニャも誘ったが、アーニャは
「兄妹水入らずでどーぞ」
と来なかった。マリアンは社からの辞令と自分が迷っていることを伝えた。
「マリアンはどうしたいのですか?」
尊の問いに
「独立して、ここでフリーの外信記者を遣っていくのも良いかなって、思ってるんだけど……」
最後は自信のなさげな声になる。
「兄さんは、アマレクをどうするの?この星から滅ぼしたりしないよね?」
「出来ないことはありませんが、そうしなければならない理由もありませんね。」
さらっと怖いことを言ったのだが、マリアンはスルーすることにした。
「兄さんは、テラノイドを独立させたらどうするの?」
「インタビューですか?マリアン」
尊のからかいにマリアンはかぶりを振る。
「ううん。違うの。わたしがジャーナリストになりたかった本当の理由は、義兄さんの背中を追いかけたかったからなの。今ね、やっと後ろまできたの。だから、ほんとはもう、ジャーナリストじゃなくてもいいのかな、って思った。
でも、違うの。私、この仕事を始めた動機はそんなに純粋じゃなかった。でも、今はこの仕事が好き。やっとジャーナリストになれたのに、もうおしまいなんて、わたし、納得がいかないの。」
尊は涙を浮かべながら熱弁をふるうマリアンを穏やかな顔で見ていた。
「そうだね。私は人類がただ政治的に独立するだけじゃなく、"自立"できるよう、環境を整えようと思っている。そのあとは、助けてくれたヌーゼリアルの人たちやエンデヴェール家のみんなに恩を返そうと思ってる。マリアン、人は自分の境遇を選ぶことはできないけど、どんな気持ちで生きるかは選べると思うよ。」
尊はハンカチでマリアンの涙を拭った。幼い頃、マリアンが泣くとよくそうしてくれたように。マリアンは尊を見上げた。
「マリアンがこれからもジャーナリストでありたい、と願うなら、これも一つの経験になるんじゃないかな。政権の中枢にただでいれてくれて、しかも給料までくれるのだから。それに、コネもつくれ……いや、言葉が悪いですね。色々な『繋がり』ができてさらにいいんじゃないのかな。」
尊は、マリアンが恐らく考えているもう一方の案を口に出して言ってみた。
「……うん、義兄さんの言うことは正しいと思う。私、背中を押して欲しかったのかも。あと、義兄さんは私が居なくなったら淋しい?」
マリアンの問いに、尊はマリアンの頬をなでながら
「ええ、とても。でもまた、いつでも会えるようになりますよ。そのために私は苦労してるのですから。」
「……うん。」
それから一週間後に、マリアンの出発が決まった。フェニキアのシャトルでルクソールへ行くことになったのである。
送別会は尊の家で賑やかに行われた。マリアンの後任となる記者も顔見世がてらに参加していたが、自分の尊に対するイメージが崩壊してゆくことに戸惑っているようで、可笑しかった。
出発の当日、見送りに来たのは、尊と、マリアンとは「義妹連合」であるエンデヴェールの三姉妹たちだった。
「行っちゃやだー」とマリアンにとりすがって、ぐずる末っ子のタラを尊が抱き上げてなだめる。
「行ってらっしゃい!」
「さよなら」をいいかけたマリアンにブリ子とサバ子が笑顔で手を振る。
「うん、行ってくる! お土産、期待してて」
マリアンも手を振って答える。そうだ、また帰ってくればいいんだ。今は前を向いて歩こう。胸を張って「ただいま」って言うために。




