第106話:ヘリオポリス動乱。
「お待ちください!」
アーニャが銃を持った男たちを引き連れて会場中央のプロムナードをステージに向かってゆっくりと歩いてくる。その姿は凛として美しく、あたかも王妃の風格があった。
彼女をエスコートしていたのは、ダタン・コナーズを含む私兵集団だ。なんと、アーニャを襲い拉致した者たちがアーニャの両脇に彼女を守るように壁を作り、歩いているのだ。
(「肉体の棘」か……!?)
羽虫大のドローンにのせた脳波強制システム、耳から侵入し、人を操り、あくまでも抵抗するなら命さえ奪うことができる術式。ラザロはこれまでナノマシンマスターである尊の業とばかり思っていた。実際はエンデヴェール家の術式であったのだ。
アーニャは薄暗い部屋で眼を覚ました。状況はすぐに理解できた。自分が拉致されたことを。ラザロが最近神経質で疲労が増している原因はこの危険に対処するためだったのだろう。手錠をかけられていたが、幸いだったのは体の前で拘束されていたことである。
アーニャは髪留めに手を伸ばし、「聲」(「肉体の棘」は尊のネーミングであって、エンデヴェール家のこの技をアレンジしたものである)を起動させた。虫は全部で8匹、うまく使わねばならない。最初の一匹は看守役の女性に使い、手錠を開放させた。無論、鍵」だけ外して、手にはめたふりをしていたのだ。
そして、彼女から現在アジトにいる実行犯チームは10人であることを聞き出した。
二人目は男で、酔った勢いでアーニャにのしかかって暴行を加えようとした。アーニャは再三の警告の上、やむなく看守役に射殺させた。
銃声を聞いて飛んできた三人目に虫を使って配下として加えた。翌日、様子をうかがいに来たダタンと、彼の護衛を虫を使って配下においた。しかし、ダタンの護衛は激しく抵抗したため、心停止状態に陥ってしまった。それを見て抵抗が無駄だと悟ったダタンは降参した。
尊のためなら、他者の命を奪うことに全くためらいを持たないアーニャの態度に、王族特有の覚悟を見たからである。貴賤に差はありすぎるが、一瞬のためらいが破滅につながる厳しい生存競争を繰り返してきた人間として、同じ匂いをアーニャに感じたようであった。
「やつ(尊)もおっかねえ嬶ちゃんをもらったようだな。ああ桑原桑原。」
ダタンの投降の文言は刺々(とげとげ)しさに満ちていたが アーニャはにっこりと笑っていたという。弟のシモンによるときわめて「威圧的な」微笑みだそうである。
後でアーニャから監禁現場からのの脱出劇を聞いたラザロは
「"あの'姉が夫として選んだというだけで俺は"義兄"を尊敬しますね」
といってのけた弟のシモンの言葉を思い出したという。いたいけな少女の時でさえ、弟のために燃え盛る火の中に突入することをいとわない姉が、愛する男のためならどこまでするのだろうか。
「衛兵」に囲まれてステージへとやってくるアーニャの姿に、レオは激しく動揺する。それもそのはず、なんの因果か、誘拐犯と被害者が一緒になってこちらにやってくるのだ。ヤツらが自分との関係を語られたら確実に身の破滅である。彼は後退りし、自分の席に戻りると恐怖のために頭を抱えた。
ダタンと顔見知りであるWHF(人類解放戦線)時代からの僚友は突然現れた「裏切り者」の登場に言葉を失っている。
アーニャがステージに上がると聴衆から拍手と大歓声が上がる。彼女は手を振って応えた。会場が鎮まりかえると彼女は口を開いた。
「皆様、ごきげんよう。先程ゴバイタス先生にご紹介いただいた、不知火アーニャ・エンデヴェールです。2週間あまりお休みをいただきまして、多くの皆様にご心配とご迷惑をおかけしたことをまず、おわび申し上げます。本当に申し訳ございませんでした。」
深々とお辞儀するだけで拍手があがる。彼女は拉致監禁されたことを簡潔に説明し、王家に伝わる秘術を用いて危機を脱したことを説明した。
「敬愛なる同胞のみなさん、どうかお聞きください。私はこの星で生を受け育ってまいりました。血はヌーゼリアル人ですが私の心はスフィアの民です。
そしてみなさんの指導者である不知火尊の伴侶としてみなさんと共にあります。ゴバイタス先生は、尊が私を守れなかったと仰いましたが、いつも彼は私を守ってくれます。無論、尊はただの人間ですから全能ではありません。だからこそ、私たちがここに集ったのではありませんか。そうです。尊は一人では何もできない、ただの人間です。そして、彼はそれを誰よりも自覚しているのです。
お集りのみなさん、不知火アーニャ・エンデヴェールはどこにいるのでしょうか?
では、お答えします。私はここにいます。それは彼に寄り添うためであって、寄りかかるためではありません。
私はここにいます。それはこの戦いを最後の最後まで戦いぬくためであって逃げるためではありません。
私は今、ここにいます。それは勝利を諦めたからではなく、尊を、そしてみなさんの勇気を信じているからです。」
(強い……。いつかアーニャは尊の伴侶であった、ではなく尊がアーニャの伴侶であった、と言われる日が来るのかもしれない)
ラザロは圧倒されていた。たった一人で死地を脱し、それを逆手にとって反対勢力を駆逐してしまうとは。
彼は恐怖にうち震えるゴバイタス委員を横目で見ていた。
拍手喝采の中、マイクのところまで迎えに来た尊に手を取られ席に戻るアーニャはカクテルライトを浴びて眩しいほどに耀いていた。




