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竜の出現数が減ったおかげで、避難民たちの仮住まいも建築に目処が立った。相変わらず木材は不足しているが、それも調達に危険が伴わなければ、あとは時間が解決してくれる問題だ。臨時で竜災孤児院に身を寄せていた怪我人や妊婦などは、すでに仮住まいに移りはじめている。
協会で雑魚寝していた狩竜人たちも、宿が取れる状況になっていた。エルとガイツも、以前のように孤児院を拠点とする生活に戻れている。徐々にフェネラルの街が、日常を取り戻していいた。しかし、竜災孤児院は忙しいままだった。
竜の危険が大きかったレズレンにも、当然、竜災孤児院はあった。そこの子どもたちも、フェネラルで受け入れることになったからだ。以前は空き部屋だらけだった孤児院だが、しばらくは満室に近い状態が続きそうだった。
環境が変わっても、子ども特有の柔軟さですぐに馴染む子もいる。しかしそうでない子も、もちろん出てきてしまう。痛手だったのが、レズレンの孤児院で子どもの世話をしていた者が、不幸にも避難の途中で命を落としていたことだ。
レズレンからフェネラルまでの移動距離と、道中で出くわした竜の数を考えれば、狩竜人たちは奇跡と呼べるほどに多くの人々を守りきった。それでも万を越える人々の移動中、そのすべてを守りきれたわけではない。守りきった大勢の人々。その大勢から、外れてしまった人もいる。悲しむ人が少なくて済んだのは、狩竜人が頑張ったおかげだ。しかし大事な人を失った悲しみは、誰が頑張っても簡単に消えるものではない。
見知らぬ土地に見知らぬ人。急激な変化についていけず、夜になると泣いてしまう子も多かった。大人なら状況を理解して我慢しろと言うだけだが、幼い子どもたちにそれは酷だ。不安な顔をしている子どもたちを、ヴィスタが懸命になだめていったが、急に倍以上になった孤児たち全員の面倒を、1人で見きれるわけもない。
そこで活躍したのは、まだ12歳だが聡明な少年、サピンだった。レズレンから来た孤児たちと、もともとフェネラルにいた孤児たちが、一緒なって遊べるようにサピンは工夫を凝らした。
小さな子どもをあやすのに、楽なのは遊び道具を与えること、しかしサピンは、全員に行き渡らない遊び道具は一切使わなかった。サピン自身が詩人の真似ごとをし、英雄の物語を語り聞かせる。サピンは街に来ていた詩人の物語を、1度聞いただけでほとんど覚えてしまえるほど賢かった。まだまだ子どもの声ではあるが、それはなかなか様になっていて、幼い子どもたちはサピンの詩を真剣に聴きいった。
孤児院には実際に、白緋の女神という有名な狩竜人たちが出入りしている。身近な英雄の物語を、サピンは即興で作ってもみせた。おかげで子どもたちは、共通の話題ができて打ち解けていった。
少し仲良くなったところで、サピンはまだ雨がまったく乾いていない場所に、皆を連れだす。幼い子をそんなところに行かせれば、全員が服を真っ黒にするまで泥遊びに夢中になる。
「こらっ、こんなになるまで遊んじゃ駄目でしょ! 今は替えの服なんて用意できないのに、もう……サピンがついてて、なんでこんなことに」
そして忙しいときに洗濯の仕事を増やせば、ヴィスタに叱られるのも当然だった。最初から厳しく接したくはなかったヴィスタだが、これから孤児院で一緒に暮らす以上、悪いことをしたら分け隔てなく叱らなければならない。
「やーい、皆揃って怒られちゃってるう。いっけないんだあ」
「ソフィアはちょっと黙ってて!」
「あ、はい……ごめんなさい」
並んで叱られている子どもたちを見つけ、ソフィアが茶化しにくる。1番大きな声で叱られたのは、ソフィアだった。
「あははっ。ごめんね、姉さん。じゃあソフィアさんを見習って、皆で姉さんに謝ろう。そしたら今度は、洗濯の手伝いをしようか」
しかしその叱られるところまで、サピンの考えのうちだった。一緒になって遊び、一緒になって悪いことをして、一緒になって叱られる。その共通意識が、レズレンから来た子もフェネラルに元いた子も、皆が仲間だという連帯感を生みだした。まだフェネラルに自分の居場所がなく、不安を抱えていたレズレンの孤児たちの顔が、サピンのおかげで落ちつきはじめてきた。
物分かりが良くて大人びているサピンが、なぜ叱られるようなことをしたのか、ヴィスタにはわからなかった。しかし、子どもたちの顔が変わったことに気づき、きっと必要なことだったのだろうと思っていた。年は下だが自分よりずっと賢い少年が、近いうちに王都へ行ってしまうことを、ヴィスタは急に寂しく感じた。
それでもやはり、サピンは王都へ行かせなければならない。有名な竜学者が孤児院に来たことを、心から喜んだサピンを見て、ヴィスタはそう思った。
フェネラルの孤児院は、責任者が医師のモンバルトということもあり、多少は教材となる理力学の書物が揃っている。他にもガイツが持っている本があるため、他の孤児院と比べれば勉学に向いた環境だ。しかし多少の本では、賢い少年の知識欲は満たせなかった。物怖じしないサピンは、チャビレットが来ると質問攻めにした。
チャビレットは、賢い若者が好きだ。そして教えたがりでもある。結局、夕食のあいだはサピンにチャビレットを独占されてしまい、エルはまったく話ができなかった。夕食後、サピンはヴィスタにうながされて、ようやくチャビレットから離れた。
「いやあ、あのサピン君という子は、本当に賢い子ですね。今から勉強しても、来年の王立学院の試験に間に合うと思います。ぜひ応援してあげてください」
有名な学者に褒めてもらえるほど賢い弟が、ヴィスタは誇らしかった。寂しさはいったん忘れることにして、早く王都に送りだせるよう、準備に励むことを決意する。
少し長くなってきた陽もすっかり落ちてから、ガイツの使っている部屋に3人の狩竜人と1人の学者が集まった。仲間外れは寂しいので、ヴィスタも少しだけ話を聞こうと部屋を訪れたのだが、部屋の扉を開けた瞬間、それは無理だと知った。ディジャイールの体液を浴びた者が、4人も狭い部屋に集まると、まだかなり臭かったせいだ。飲み水だけ置き、さっさとヴィスタは退散する。
「さて、人竜会のことですね。どこからお話しましょうか。全部話すとなると、かなり長くなってしまいますが」
「できるだけ、詳しく知りたいんです。先生さえよければ、1から全部話してもらえますか?」
「では遠慮なく、長話をさせてもらいましょう。そうですねえ、3人とも西の大陸から、いろいろなものを輸入していることは知っていますね?」
それくらいはイリシアなら子どもでも知っていることだ。3人は揃ってうなずく。
「では、イリシアがいくつの国と交易を持っているか、それはご存知ですか?」
しかしほとんどのイリシア人は、西の大陸、と一括りにしていた。いくつ国があるのかや、どういった国があるのかを、知っている者は少ない。大きな船が出入りする港の近くに住んでいれば別だが、そうでなければ、西の国名を耳にする機会はあまりない。チャビレットの質問に、エルもガイツも首を横に振る。
しかし2人がわからなかった質問に、ソフィアが自信満々で答えた。
「はい、先生! ウーカ王国と、ラフィエスト神国をのぞいた全部の国、21カ国です」
「そのとおりです」
エルとガイツは、意外なソフィアの知識に驚きを隠さなかった。
「お前が……どうして?」
「ソフィア、どうしちゃったの?」
「2人とも、私のこと馬鹿にしてるわね……西の大陸のことは、小さい頃からお母さんに叩きこまれたもん。嫌でも覚えたわよ」
ソフィアはそう言うと、今度は取引のある21カ国、すべての名前を挙げはじめた。国の名前だけではなく、どの国からどんなものがイリシアに入ってくるのかまで、ソフィアは細かく知っていた。普段口にしている食べものでも、あれはどこの国のものであるとか、服や香料など珍しいものは、だいたいどこの国のものであるかなど、すらすらと述べていく。
エルとガイツは、初めてソフィアの賢そうな姿を見た。
「さすが、ワイス商団の娘さんですね。舶来品の産地など、私よりもずっと詳しい」
「えへへ」
チャビレットに褒められ、ソフィアは胸を張った。大商団の家の娘というのは、名ばかりではない。しかし大学者の孫でもあるのだが、そっちは名ばかりだ。
「ラフィエスト神国は特殊な国でしてね。あそこは建前上、神の住む国とされていまして、他国とは取引しないという慣習があるのです。表向き、どこの国もラフィエストとは交易を行ってません。なので現在イリシアと取引のない国は、実質ウーカ王国だけですね」
チャビレットは結論を急がず、なんでも順を追って話す。学者や学生などから多くの尊敬を集めているが、話が長いところだけは人気がない。しかしなんでも知りたがるエルは、そこがチャビレットの良いところだと思っている。ソフィアはそこが、眠くなる原因だと思っていた。
「そのウーカが問題でしてね。昔はイリシアとウーカも、仲が良かったのです。竜の北上が始まってイリシアが飢えに苦しんでいるとき、竜の素材と穀物の交易を最初に始めてくれたのが、ウーカ王国でした。それが500年前、狩竜人協会が設立された頃ですね。それから300年のあいだ、イリシアとウーカは最も活発に交易を行う友好国だったのです」
「200年前に、なにかあったんでしょうか」
そのウーカ王国が人竜会と関係していることは、エルにも予想ができた。
「はい。完全に交易をやめるきっかけとなったできごとが、200年前、正確には203年前に起こりました。しかしそれは急に起こったのではなく、小さな問題と不運が積み重なった結果が、大きな問題を生みだしてしまったと言えるでしょうね」
200年前という言葉を、最近はよく耳にするとエルは思った。南の火山活動に起因する竜災は、今回だけでなく200年前にも起こった。そしてジッカートとの会話の中にも、200年前にという話があった。
「穀物の輸入をウーカに強く依存していた時代は、イリシアが飢えるかどうかはウーカ次第、という危うい面がありました。実際、ウーカの天候や政情によって、輸入が滞ることもありました。それでイリシアはウーカだけではなく、さまざまな国と取引が持てるように努力しました。幸い竜の素材は交易品として非常に優れていて、西での大陸ではどこも欲しがってくれます。特に竜骨は軽くて丈夫なので、船の材料などに重宝されていますね。それで取引する国も徐々に増えて、ウーカの状況次第でイリシアが飢えることもなくなっていったのです」
動物の骨などは、硬いようでも実は中が空洞だったりして使い道がかぎられる。しかし竜骨は、種によっては金属のような強度と木のような軽さを持つものもある。そしてなにより、磨耗しない性質があった。これは竜が死んだあとでも、その素材には理力が残っているのではと考えられていた。
「しかし、イリシアが出せる竜の素材も有限です。イリシアが他の国と交易を始めて、それまで西の大陸では独占状態だった竜の素材が、ウーカ以外にも渡るようになりました。当然ウーカは、それを快く思わなかった。そこで自国との取引を優先させるよう、ウーカはイリシアに申し入れてきました。ただ、穀物の輸入は人命に関わる問題です。飢える心配がないように複数の国と交易することは、イリシア側も譲歩できなかった。何度かウーカ王国と話し合いが行われましたが、両国の関係は悪化していく一方でした。そして203年前、不満を溜めこんだウーカが、大船団を率いてイリシアに攻めてきたのです」
「ああ、それは聞いたことがあります。でも俺の知っている話だと、200年くらい前にどこかの国が脅しをかけてきたけど、結局は大きな争いにならなかった、という内容だった気がしますが……なんでも狩竜人の強さに驚いて、さっさと逃げ帰ったとか」
「はい。ガイツ君の言うとおり、世間的にはそういう話になっています。多くの人がそう信じているでしょう。ただそれ、実は嘘が混ざっています。ウーカとの戦いの結果は、国が意図的に隠したのです。小競り合いがあっただけで、大きな戦いにはなってない、といった噂も広めました。海上での戦いで目撃者がいないこともあって、思った以上に噂が定着してしまったようですね。ちょっとした噂がそんなに上手く根付くとは、国も思ってなかったようで、かなり予想外だったみたいですが」
「国が、ですか。なんでそんなことを? ひどい負け方をしたとかですか?」
「いえ、その逆です。ひどい勝ち方をしたのです。ウーカは60を越える大型船に、1万を越える兵士を乗せて攻めてきました。対するイリシアの守りは、慌てて集められた狩竜人、120人程度だったそうです。ひどい数の差ですが、軍隊のないイリシアにはそれが限界でした。というより、いくら関係が悪くなったとはいえ、長く友好国だったウーカが急に攻めてくるとは、当時の為政者たちも考えていなかったのです。それにちょうど今と同じく、火山活動の影響による竜災が頻発していた時期でもありました。狩竜を優先させないと、イリシア内が危なかった。完全に準備不足で、集まってくれた狩竜人も引退間際の老人が多かったという話です」
「そんな状況で、ひどい勝ち方をしたんですか?」
「はい、これにはイリシア側も驚いたのです。イリシアとしては狩竜人に時間を稼いでもらって、そのあいだに話し合いで戦争は回避したいと考えていました。しかしウーカは、それに応じてくれませんでした」
人と人との戦い、というものが、イリシアに住む人々はあまり想像できない。竜のせいで、そんなものとは無縁だったからだ。
「狩竜人は竜を殺せても、人を傷つけたり殺めたりすることには慣れてない。それは今も200年前も変わっていません。戦いに参加した狩竜人たちも、最初は人を相手に武器を振ることに戸惑ったみたいです。しかし、1人の有望な若者が戦死したのをきっかけに、狩竜人たちは一斉に本気を出しました。200人前後の兵士が乗っていた1隻の船に、イリシア側は2人の狩竜人が乗りこんで戦ったそうです。そして船上で、普段は人に向けることのない力を振るいました。戦いの結果は、イリシアの死者が6人。その6人のうち、海に落ちての溺死が3人ですので、戦死は3人だけ。対してウーカの死者は、5000を越えたと言われています」
「そんな馬鹿な……1対100の差で、なんでそんなことに」
戦争というものが想像できなくても、数の差が圧倒的なことはわかる。チャビレットの話が、3人とも信じられなかった。
「ウーカの兵士たちも、そして当時のイリシアの為政者たちも、3人と同じ感想を持ったはずです。そうですね、少し嫌な想像をしてもらいましょうか。狩竜人ではない、武器を持った普通の人が相手だとしたら、エル君は1度に何人まで戦えそうですか?」
想像したこともない質問にエルは悩む。しかし、すぐに結論は出た。
「多分……何人でも、だと思います。ボウガンにさえ気をつけていれば、やられることはないかと」
「そうですね、その答えで間違いないでしょう。エル君がそうなら、当然ソフィアさんでもそうですし、おそらくガイツ君でもそうでしょう。普通の人が何人束になっても、狩竜人には勝てません。それくらい、力の差があります。そしてイリシアとウーカの戦いは、その普通の人々と狩竜人の戦いだったのです」
戦争の事実が広まらなかったのは、国が嘘の噂を流したこと以外にも理由があった。戦いに参加した狩竜人たちが、皆揃って口を閉ざしたのだ。相手から攻めてきたとはいえ、狩竜人からすれば弱き人を殺すだけの戦い。確かに、国を守るためには必要だった。仲間を殺された恨みもあった。しかしそれでも、一方的な虐殺になってしまった戦いを、誇って話すような狩竜人はいなかった。
「イリシアの狩竜人たちは長年、人の何倍も体が大きく理力の強い生物、竜とだけ戦ってきました。それが異常なことだと、200年前の時点で皆忘れていたのです。戦うことを生業としていない普通の人々は、イリシアでも西の諸大陸でも、そんなに違いはないと思います。しかし、戦うために鍛えた者には、大きな差がある。西の大陸では強者と呼ばれる兵士でも、イリシアではリグトン1頭にさえ勝てるかどうか怪しい。並の新人狩竜人以下でしかない。それほどまでに大きな差が、竜と戦い続けたことで生まれていたのです」
イリシアは竜の北上が始まってからウーカ王国が攻めてくるまで、長いあいだ他国とは一切争いを起こしていなかった。イリシア側に戦争をする余裕がなかったこともある。そして恐ろしい竜種に侵された国など、他国からしても攻める利益がないと思われていた。それが竜の素材の有用性が広まってくるにつれ、魅力のある大地だと勘違いされてしまった。
「じゃあ先生、こっちであんまり活躍できない狩竜人でも、海を渡ったら大活躍できちゃうんですか?」
「ソフィアさん、なかなか鋭いですね。国が大勝を隠した理由は、まさにそれなんです。狩竜人が西に渡れば、どの国でも兵士として優遇されるでしょう。しかし竜と戦える者は、イリシアでも貴重です。そういった人材の流出は、絶対に避けなければなりません。600年前から500年前のあいだ、竜に対抗できなかった時代に多くの人が西に渡ってしまいました。それこそが、イリシア最大の危機でした。人が他国へ流出してしまうことは、国を衰退させる非常に怖いことなのです」
自分も話に加われることが嬉しくて、ソフィアは以前のように居眠りしたりはしなかった。しかし人竜会の話が出てこないので、やはりこの学者は無駄話が多い、とは思っていた。
「ウーカとの戦争を、イリシアは望んでいなかった。しかしその結果が、イリシアに大きな利益をもたらしました。200年前のウーカは強国で、西の国々の中でも大きな力を持っていました。そのウーカが大敗したのを見て、イリシアに戦争を仕掛けようと考える国はなくなったのです。竜の素材をめぐって、当時のイリシアはウーカ以外の国にも狙われていました。それを1つの戦い起こったおかげで、すべて回避できたのです。結果論になりますが、ウーカが攻めてきたことは幸運でした」
「なんとなく……わかってきました。海を渡ってきても力では勝てないので、国の内側から攻めようとしてるのが、ウーカであり人竜会なんでしょうか?」
自分がそう導いたとはいえ、期待通りの答えを出してくれたエルに、学者は目を細める。
「そのとおりです。ウーカとの戦争をきっかけに、他の国々はイリシアとの争いを避けた。しかし直接負けてしまったウーカだけは、逆に引っこみがつかなくなってしまったのです。今ではウーカも落ちぶれてしまい、200年前のように強い力を持った国ではありません。それで人竜会という組織を作り、今度は内部からイリシアに食い入ろうとしているのです」
「あと、200年前という時代も気になります。火山活動の影響で、200年前もイリシア内が混乱していたと聞きました。最近、人竜会が活発に動いているような気がするのは、もしかして混乱の最中を狙ったものなんでしょうか?」
「良い着眼点ですね。イリシアには、大きな転換点が3つあります。1つは600年前、それまでのイリシアすべてを崩壊させた竜の北上。2つ目は500年前、狩竜人の祖と呼ばれる英雄、ヴィンレットの登場」
ヴィンレット、という名前に、エルとガイツは表情を変えて反応する。伝説的な強さを持つ狩竜人として、2人とも憧れている存在だ。狩竜人協会は、段位を50段まで設けている。しかしその50という段位は、現在のところヴィンレットのみが許されているものだ。最初にあって最強と謳われる狩竜人に、憧れない男はいなかった。
「そして3つ目が、200年前です。ウーカ王国との戦争で、イリシアの狩竜人の強さが他国に知れ渡った時代。南の大地を、史上最も奥深くまで踏破した英雄ラノヴィートが登場し、竜に効く毒がある可能性を知らしめてくれた時代でもあります。それをきっかけに、遠征団が南に送られるようになったのです。そしてこれらはすべて、火山の噴火が影響しています。200年前にウーカが急に攻めてきたのは、竜災が多くてイリシア中が混乱していた時期だったから、という理由もあったのです。そして現在、人竜会の動きが激しいのは、200年前と同じ理由です。エル君の言うとおり、イリシア内の混乱に乗じて、活発になっているのは間違いありません」
チャビレットは口にしなかったが、今こそが、4つ目の転換点を迎える時代かもしれないと思っていた。
「ウーカ王国って、悪い国だったんですね。勝手に攻めてきて、勝手に恨んで人竜会なんて作って。やっつけちゃえばいいのに」
「ははは、まあ敵ではありますが、悪ではないと思いますよ。彼らは彼らの理屈で動いているだけです」
「でも、人竜会の言ってることって、おかしいことばっかりですよね。竜と仲良くなんてできるわけないのに、なんでそんなこと信じてるんだろ?」
「いえ、ソフィアさん。ウーカと、人竜会の幹部と呼ばれる中心人物たちは、竜と仲良くできるなんて微塵も思ってませんよ」
その言葉にソフィアは驚いていたが、エルとガイツはもう想像がついていた。
「あの演説者たちの言葉は、ただ不安を煽るためだけだったんですね。なんであんな馬鹿なことを信じているのか、ずっと疑問でしたが……ようやく納得できました」
エルはずっと、人竜会とその教えを恨むだけで、そこまで頭が回っていなかった。竜と共存しようなどという考えは、誰の利益にもならないのに、なぜ人竜会はそんな簡単なことがわからないのか。そう考えてしまっていた。しかし実際には、単純に利する者がいるからそういった組織がある。それだけだった。
「そうなんです。人竜会の末端の会員には、イリシア人も混ざっています。そういう人たちは、本気で竜と共存できると信じているでしょう。しかし幹部と呼ばれる中心人物たちは、全員ウーカの者で構成されています。幹部は自国の利益のために動いているだけで、竜と仲良くできるなんて本気で考えていません。国政と協会を声高に批判しているのは、その2つの不信をきっかけに、イリシアの国力を落とすのが目的でしょう。イリシア王家や協会に対する信頼が失われると、混乱が起きて攻めやすくなりますからね。混乱を招くために竜と仲良くしようと叫んでいるので、本当は人々が竜に殺されればいい。そんなことも考えているはずです」
「ひっどい! やっぱり人竜会って、やっつけちゃったほうがいいですよ。なんで早くそうしないんですか!」
ウーカ王国のやり方に、ソフィアは怒り心頭だった。
「うーん……そこが難しいところだったんです。もし間違った考えを妄信している組織なら、国もさっさと潰していたでしょう。しかしそうではないと知っている以上、泳がせて様子見するほうが、イリシアに得はなくても損はないと考えていたのです。ウーカは現状、イリシアの敵ではあります。しかし人竜会が、わかりやすく損得で動いているあいだは潰したくなかった」
人竜会を潰せば、確実にウーカがイリシアを諦めてくれるのなら、国もそうしていた。しかしそんな保証はどこにもない。それならば、ウーカに他の手を打たせるより、大して成果のない人竜会を放置して活動を続けさせたほうがいい。そうイリシア側は考えていた。
「もしかして、ウーカと仲直りしたいと考えてるんでしょうか?」
「はい、本当はそうしたかった。別にこれは、誰とでも仲良くしたいとか、そういった綺麗ごとの話ではありません。やはり損得の問題です。現在のウーカは政情がずっと不安定で、国力も弱まっています。しかしもともとは、多くの余剰穀物を抱えられる肥沃な土地を持った国です。そこと交易ができないのは、イリシアにとって損なのです。ただ、国交回復の糸口がつかめないまま、200年も経ってしまいましたからね。王家を中心に、対話で解決できればと考えていたのですが……」
ハイウェスラルで火山活動を確認したあと、チャビレットが1度王都に戻ったのは、人竜会の件について議会と王家に進言するためだった。フェネラルで演説を聞くまでもなく、人竜会がどう動くかを学者は予想していた。混乱に乗じて活発に動き、人々の不安を大きく煽るだろうと。それでフェネラルに着いたら早速役人を連れ歩き、演説者を準備万端で捕らえたのだ。
「しかしもう、我慢の限界ですね。これからは、人竜会とその後ろにいるウーカ王国を、イリシアから完全に排除する方針に変わっていくと思います」
「でも先生、人竜会を潰してしまうと、また力で攻めてくる、なんてことはないんですか?」
チャビレットの話の中で、ガイツはある懸念を抱いていた。
「ないとは断言できません。ただ、可能性は低いでしょうね。少なくとも今すぐにどうこう、ということはありません。負けがわかっている戦争を仕掛けてくるほど、ウーカも馬鹿ではない。上手くいっているかどうかはさておき、ウーカは理詰めで動いています。利のない行為は避けるはずです」
理屈で動いているからこそ、ウーカも人竜会も放っておけた。本気で竜との共存を訴えるような狂信的な組織なら、国が早くに潰していたはずだった。
「どうも俺には、納得いかない点があるんです。さっき先生は、戦いにおける個人の強さで、200年前と今では差が大きくなったと仰いましたよね。でももし、イリシアの理力学が向こうに伝わっていたら、差はむしろ埋まっているんじゃないでしょうか? 個の力の差が埋まっていたら、今度は数の差で負けてしまうんじゃないかと思うんです」
「さすがですね、ガイツ君。理力学に詳しくなければ、出てこない意見です。実はガイツ君が今思ったことを、200年前にイリシアの理力学者たちも危惧しました。今は個の強さに差があっても、理力の技術と知識の流出で、いつかは差がなくなってしまうのではないかと。そうなると、力攻めされる可能性が高くなる。しかし危惧したところで、それを避けるのは難しかった。人の流出なら止めようもありますが、知識の流出を完全に防ぐことなどできません。それに理力学なんて、特に隠しているわけでもない知識ですからね。むしろ狩竜人たちに知ってもらうために、広めようとしているくらいです」
「ということは、西にもこっちの知識が渡ってしまったということですか?」
「はい。まだイリシアのほうが理力の研究は進んでいますがね、しかし知識の差はかなり埋まりました。ところがですね、知識だけ渡っても、力の差は埋まらなかったのです。理力を引きだすという点では、イリシアの知識は西の大陸でも有効でした。しかし持っている理力量が、こっちと向こうでは根本的に違ったんです。10持っている理力のうち、5まで引きだせたとしても、もともと100の理力を持っている者には絶対に勝てません。イリシアと他国では、そういう差があったのです」
「そんなに……ですか。同じ人なのに、ちょっと信じられませんね」
「そんなに、だったんです。そして200年のあいだに、その差は開きました。イリシアでは次々と、突出した強い狩竜人が生まれています。しかし西の大陸からは、そういう話が聞こえてきません。西の強者は、理力が10のまま。その引きだせる量で強さが変わるだけで、根本的に理力量は増えていないようなんです。しかしイリシアでは100が110、120と、強者の突出度がさらに上がっていると考えられています」
「そういえば、おじいちゃんに聞いたことがある。狩竜人って、昔よりもどんどん強くなってるって。それは理力量が上がってるからなんだけど、上がってる理由がはっきりしないから、おじいちゃんもずっと考えてるって言ってた」
「そうなんです。イリシアの人々も、600年前までは西の人々と変わらなかったはずなんです。それが竜と戦うようになってから、一部異常とも言えるほどの強者が出てくるようになった。異常というのは、エル君やソフィアさんのような、狩竜人の中でも抜けて強い者、ということではありません。平均的な強さを持った狩竜人でも、普通の人からすれば異常なのです。そして協会が残している昔の文献を読んでいくと、狩竜人の強さは年々上がっていることが、はっきりわかります。その理由についてはソフィアさんの言うとおり、リータフ先生でもわからないのですがね」
理力という言葉と概念は、ずっと昔からあったとされている。少なくとも600年前の時点では、確実に存在していた言葉だ。しかし、そのずっと昔とはいつなのか、誰も知らなかった。目に見えない理力は、未だに曖昧にしか把握されていない。理力とはなんなのか、その本質よりも先に、使い方だけが先行して判明しているのが実情だ。
「さて、話が大分それてしまいましたね。しかし、すべて無関係ではなく繋がっている話なのです。人竜会については、国が判断を誤ったかもしれませんね。ウーカとの関係が修復できないのなら、泳がせておく必要は正直ありませんでしたから。まあでも、泳がせるのはここでお終いです。もしエル君が人竜会になにか思うところがあっても、これからは気にすることもありませんよ。役人に任せてしまえばいいことです」
父親が人竜会の者だったとは言ったが、エルはそれ以上のことをチャビレットに話していない。しかし、なにかを見透かしたような学者の物言いだった。




