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ドラゴン・イェーガー ~狩竜人賛歌~  作者: 井藤 きく
11章 上に向かって
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11-4

 

 大雨の中で微動だにせず、ソフィアは見張りに立っていた。


 これまでフェネラル周辺に、大型竜が出ることは滅多になかった。見張りも協会職員や運び屋が単独で巡回する程度でよかった。しかし今では以前のレズレン同様、常時見張りが必要になってしまっている。


 フェネラルでも以前のレズレンと同様に、高い見張り台を設置する必要があるという意見も出ていた。東の果ての村とは重要な拠点で、竜を止める防波堤となっていたのだ。そこが失われた今、フェネラルが防波堤となる必要があった。レズレンが堕ちたことは、レズレンに住んでいた人々だけの問題ではない。イリシアの人々全体に大きな影響を及ぼしていた。


 見張りはレイダーク相手でも戦える主力の狩竜人を中心に、何人かが交代で行っている。若くて経験が浅くとも、ソフィアは当然主力の1人として扱われていた。


 ただいくら緊急事態が続いているとはいえ、長く気を張っていても疲れるだけだ。ずっと緊張しっぱなしというわけではない。もちろん竜が近づいてきたら全力で戦うが、そうでなければ適当に雑談でもしている。狩竜人たちは見張り用に作られた簡素な天幕の中で過ごし、雰囲気も和やかなものだ。


 しかしこの日のソフィアは雨だというのに天幕にも入らず、必要なこと以外は喋りもしなかった。そしてその顔は、怒りに満ちている。


 周りの狩竜人が、彼女を怒らせたわけではない。以前はかなり頻繁に口説かれ、それをわずらわしく思っていたソフィアだが、いまやその名を知らぬ者のほうが少ないほど有名な女狩竜人だ。相手の男が決まっていることも知れ渡っており、ちょっかいをかける者も以前に比べれば随分と少ない。


「7日目……信じられない、なんで7日も」


 ソフィアは雨に打たれたまま、ぶつぶつと独り言を口にしはじめる。独り言だというのに声は大きめで、天幕の中にまで届いていた。


 不気味だった。若い狩竜人の中には、美人と噂される狩竜人と仕事ができることに、胸を躍らせていた者もいた。しかしその残念な姿に、白緋の女神の評判は落ちていく。


「そりゃ皆忙しいけどさ、ガイツさんはヴィスタに会いにきてるのに……エルだけなんで」


 理由は単純だ。しばらくエルに会っていないせいだった。もちろんお互いに忙しいのは分かっている。会えないのも仕方がないとも思っている。


 自分から会いにいこうかとも考えたが、ソフィアはエルのほうから会いにきてほしいと考えていた。先に寂しくなって我慢できなくなるのが、自分だというのが悔しい気がしたからだ。それが一向に来ない。ソフィアの苛立ちは、日に日に募っていた。


 しかし元気に働くヴィスタの姿を見て、自分も我慢しなければとも思っていた。普段から離れ離れで暮らしているヴィスタは、きっといつも寂しい思いをしているはず。そしてせっかく帰ってきても、忙しくてガイツとヴィスタはなかなか会えていない。それを考えれば、自分が寂しいなんて思うのはわがままだ。そう自分に言い聞かせていた。


 ところが、それはソフィアの勘違いだった。いくら違う場所で寝泊りしているとはいえ、同じ街にはいるのだ。いくら忙しくても、少しも会えないわけがない。ガイツとヴィスタは毎日時間を作って会っていた。その衝撃の事実をヴィスタから聞かされ、ソフィアの我慢はついに限界を迎えた。


「まさか……浮気? いや、そんなはずは……あるわけない……ないよね」


 とうとうあらぬ疑いまで持ちはじめる。時々、乙女思考が全開になってしまう病気は、まだ完治していなかった。朝からずっとこの調子で、この日ソフィアと組まされた狩竜人たちはいい迷惑だ。


 そんな怒りを買っているとは知らず、エルが見張り用の天幕に向かって走ってくる。


「ソフィア!」


「エル……会いにきてくれたの!?」


 また今日も会えないのだろうと思っていたら、予想外の登場。エルの顔を見た瞬間に、先ほどまでの恨み言を全て忘れていた。ソフィアは自分の単純さに呆れながらも、我慢ができなかった。


 そんなことをしている場合でも状況でもないが、ソフィアはエルに飛びかかり、エルはソフィアをしっかりと受け止める。まだ7日しか経っていないというのに、まるで何年も会っていなかった恋人同士のように。


「東の森で厄介な大型が出たから、ソフィアを呼びにきたんだ。急ぐから説明は途中で。ガイツさんも呼びにいくから、ついてきて」


 その返答が少し不満ではあったが、浮わついてない真面目なところも好きだからと、色惚け思考は止まらない。2人とも雨でずぶ濡れだ。少しだけ体をくっつけると、服に染みた水が体に触れて余計に冷たい。ソフィアは人目も憚らず、肌の温もりを求めるように、両腕を回してエルの背中にぎゅっと抱きつく。


 天幕の中にいた狩竜人たちが、その光景に冷たい視線を注いだ。


「あ、あの……代わりの狩竜人がすぐに来ますから、ソフィアは連れていきますね」


「おう、了解だ。さっさと行け」


 特に若い狩竜人たちからは、嫉妬混じりの突き刺さるような視線がエルに向けられる。いつまでも離れないソフィアを、ずるずると引っ張るようにエルは走りだした。


「ディジャイールって、すんごいでっかい竜だっけ?」


「うん、想像以上に大きかった。驚くと思うよ。そこまで強くはないみたいだけど、色々と厄介そうな相手だ」


「強くないけど厄介なの?」


「うん。臭いんだ、とてつもなく」


「くさ……い?」


「そう、臭い。口では説明しにくいけど、とんでもなく臭い。とにかく僕たちはまだ経験が足りないからね。戦ったことがない相手なら、どんどん経験を積まないと」


「そう、そうね。エルの言うとおり、どんどん経験を積まないとね」


 ソフィアも狩竜に関しては真面目な性格だ。経験が必要だというエルの言葉に強く同意し、別の場所で見張りに立っているガイツの元へと急ぐ。


「ガイツさん、緊急です。東の森でディジャイールが出ました! 見張りの交代はすぐに来てくれますから、ガイツさんもディジャイール狩竜に参加してください」


「ディジャイール……嘘だろ、なんでこんな場所に!?」


 直接戦ったことはないが、ガイツはディジャイールと遭遇したことがあり、臭いも知っていた。それ以来、絶対に戦いたくない相手だと思っていた。ディジャイールは恐れられるよりも、嫌われる竜だ。


「火山の影響で、本当になにが起こるか分かりませんね。白緋の女神は参加しなくていいと言われたんですが、せっかく戦ったことのない相手ですから、頼んで僕たちも狩竜に加えてもらいました」


 余計なことを、とガイツは思った。


「人手が足りてるんなら、無理に加わらなくてもいいんじゃないか? ディジャイールが相手だと、俺らはあんまり役に立たんだろう」


「なに言ってるんですかガイツさん、そんなことじゃだめですよ! 私たちは南を目指すんだから、経験は大事です。それに依頼放棄なんて規則違反じゃないですか」


 ディジャイールと聞いてやる気のなさそうなガイツに、ソフィアが真剣に抗議をする。正論なので言い返さないが、ガイツは思いっきり溜め息をついた。夢にも狩竜にもまっすぐ真面目な2人を、このときばかりはガイツも恨んだ。





 白緋の女神が到着した頃には、すでに先行してきた狩竜人たちが戦っていた。ただし相手はディジャイールではなく、臭いにおびき寄せられた他の竜たちだ。満腹になれば臭いも軽減するので、本当は全部食べてほしいのだが、何頭かは臭いに酔いきらず人に向かってきてしまう。


 ただディジャイール自身は襲ってこない。餌を狩るというよりおびき寄せるだけの竜は、寄ってきた獲物以外にはあまり興味を示さない。人を襲わない珍しい竜種だ。


「うそ……なにこれ」


 ディジャイールを初めて見たソフィアは、もちろん大きさにも驚いた。しかしそんなことより臭いだ。想像以上の悪臭に、顔をしかめて鼻をつまむ。海の近くで育ったソフィアは、魚の腐臭などにも慣れている。それに似ていると思ったが、それよりもずっと不快で強烈さも段違いだ。腐った魚を鼻に押しつけられているような、そんな気分になる。


 そしてガイツは、周囲の狩竜人を見渡して重大な事実に気づく。


「エル、穿貫ボウガンが少ないようだが、銀の鍵は来てないのか? ディジャイールと言ったら穿貫ボウガンだろ」


 ガイツはどうやってディジャイールを狩るのか知っている。雨で火が使えないのは分かっていたので、てっきり穿貫ボウガンで仕留めるものだと思っていた。なのでボウガンに頼らない自分たちは、特に必要ないと言ったのだ。しかし極太の矢を抱えた狩竜人が、ほとんど見当たらない。


「それがですね、穿貫矢の残りが少ないそうなんです。雨で火も使えなので、直接行くしかありません。だから僕たちの出番かと」


 エルの言葉にガイツは青ざめる。それは予想していなかった。


「じょ、冗談だろ……あいつに直接って、臭すぎてたまったもんじゃないぞ」


 その大きさで最初は驚くが、ディジャイールは強い竜ではない。臭いに寄ってくる竜が多くて厄介ではあっても、それは狩竜人の数が揃っていれば問題もない。しかし武器を持って直接切りかかるのは、経験豊富な者ほどためらう相手だ。ディジャイールが放つ臭いは毒ではないが、体に染みこむと洗っても取れないほどに強い。


「ガイツさん、街に近づく前に倒しておかないと、住民たちがこの臭いに苦しめられます。ただでさえ皆がつらい状況なんです。これ以上の負担はかけられない。臭いなんて気にしてる場合じゃないんです!」


 ジッカートと話をして以来、エルは狩竜人としての使命感を強く抱くようになっていた。それは少し若すぎる正義感でもあり、実力が伴っているだけに危うさもあった。


 涼やかな見た目とは違い、元々ガイツも芯の熱い男だ。ヴィスタなど身近な者には、暑苦しいと評されることもある。大人しかった男が熱く成長していることに、ガイツも感化された。


「そうだ……そうだったな。臭いなんて気にしてる場合じゃない。俺たちが守らなければ、誰がやるというんだ!」


 無駄に熱くなっている男2人に比べ、ソフィアは正直腰が引けていた。まだ大きな雨粒が地面を叩いているというのに、不快な臭いはそれに負けない勢いで漂ってくる。


「いやあ……これはちょっと、臭すぎるって。気にしようよ」


 女性のほうが臭いには敏感なものだ。ソフィアは鞄から大きめの布を取りだし、口と鼻をしっかりと覆う。雨で濡れた布はかなり呼吸の邪魔になるが、それでも臭いが軽減されるほうを選んだ。


 鼻を手で押さえたまま、ソフィアは竜の気配が近づいていることに気づく。黄牙竜シュブイールの群れだ。ソフィアが背中のハルバードに手を伸ばす。しかし群れは3人には目もくれず、ふらふらとディジャイールの足元に近寄っていった。


 横に広く開いた大口で、ひと飲み。5頭のシュブイールが、濡れた地面ごと一瞬にして口の中に収まった。ディジャイールは鋭い牙で獲物を切り裂くのではなく、口の中にぎっしり詰った無数の歯で、すりつぶすように砕く。それは肉食というより草食の食事方法に近かった。


「うへえ、気持ち悪い……なんなのあいつ。今土ごと食べたよ、土ごと」


 怖いもの知らずに見えるソフィアでも、竜を恐ろしいと思うことはある。しかし今回は恐ろしいよりも、おぞましいや醜いといった感情がわいてきた。女としての本能が、あれとは戦ってはいけないと告げている。


 しかしシュブイールを食べたことで腹が満ちたのか、不快な臭いが若干弱まる。それを機に、寄ってくる竜と戦っていた狩竜人たちが集まってきた。総勢14名。鋼の扉と銀の鍵を中心に、皆が20段を越える猛者ばかりだ。


「白緋の女神も来ましたね。これで戦力は充分すぎるほどでしょう」


 ダンビスとバズラックの両雄は嫌々といった感じで参加しており、指揮を取っているのはウィクラスだった。


「寄ってきた竜は片付きました。これから全員でディジャイールを攻めます。初めての狩竜人もいるでしょうが、見てのとおり奴の動きは遅い。ここに来ている者ならば戦える相手です。自信を持って挑んでください」


「副団長、あの臭いは毒じゃないんですか?」


 ディジャイールと戦った経験のない鋼の扉の団員が、ウィクラスに質問する。


「大丈夫、臭いで死にはしません。近づくと口を開けて飲みこもうとしますが、それは自ら飛びこまないかぎり大丈夫でしょう。あとは踏み潰されないように気をつけるだけです。近づくと吐き気が酷くなりますが、それを気にしてはいけません。無理に吐き気を我慢すると、のどがつまって余計に危ない。吐いてください。胃を空にしてください。吐きながら戦うのです。吐いても攻撃の手は緩めず、全員で一気に片をつけましょう!」


 ウィクラスの無茶な要求に、狩竜人たちは半ばやけくそ気味な大声で了解したと叫ぶ。


「吐きながら戦えって……そんなのありなの?」


 しかしソフィアだけは完全に及び腰になっていた。人前で吐けと言われ、ためらわない女性はいない。


「そうですね、ソフィアはあまり無理はしないように。人数は足りてますから、見てるだけでも構いませんよ。女性ですからね、できないこともあるでしょう」


「い、いえ……やります! 女だからって、なめないでください」


 ウィクラスは凡才の狩竜人かもしれないが、煽ることに関しては元々才能があった。


「そうですか、では頑張りましょう。ボウガンは合図するまで待つように。まずは全員で切りかかります。それでは行きますよ。突撃!」


 早く終わらせたい。その一心で狩竜人たちがディジャイールに向かっていく。


 先頭を行くのはエルだった。ソフィアが怖気づいている今、1人だけ図抜けた脚力で狩竜人たちを引っ張る。それも他の者とは違い、顔を布で覆わずに臭いに対して無防備なままだ。そこに一切のためらいはない。気合がみなぎっていた。しかし気合だけでは、どうしようもないことがある。


「お……おえええ、ぐほっ、がは」


 近づくとより一層の悪臭。大食らいなエルは消化も早く、すでに朝食など残っていない。吐くものがなく、酸っぱいものだけがエルの口内に広がった。


「ばかあ! せめて鼻と口くらい覆いなさいってば」


 ソフィアは首の傷を隠すために巻いていた綿織物を外し、エルに渡した。


「ご、ごめん。ありがとう」


 エルは顔を覆うと、気合を取り戻した。それは悪臭がはびこる中で、あまりにも心地の良い香り。ソフィアの体臭が染みついた綿織物は、色々と余計な気合までエルに与えた。


「うおおおお!」


 先頭を走っていたのに結局出遅れたエルは、それを取り戻す勢いで走りはじめる。


「だからなんで突っこむのよ!? 慎重に行こうよ……」


 男たちは皆、エル同様に突っこんでいった。冷静なのはソフィアと、あとはウィクラスくらいだ。光球を放つ必要もなく、ガイツも剣を片手に直接攻撃。臭すぎて自暴自棄になった狩竜人たちは、判断もなにもなかった。


 ディジャイールは弱い。大きさゆえに倒しにくいが、そもそも他種と戦うことを想定していない竜だ。天敵のレイダークなど、大型竜相手には逃げるだけ。小さな生物が歯向かってきても、ディジャイールにとってはかすり傷程度にしかならない。しかし普段は人と関わらない大地に住んでいる巨竜は、狩竜人の強さを知らなかった。


 足元にきた小さな生物は、ディジャイールからすると全て餌だ。ゆっくりと大口を開けると、土ごとすくい取るように狩竜人の群れを飲みこもうとする。しかしそんな悠長な動作にやられる者はいない。狩竜人たちは左右に散り、柔らかい皮膚に刃が突きたてた。


 狩竜人の基本は、近づいて攻撃し、すぐにその場から離れて反撃に備えること。しかしディジャイール相手なら反撃に備える必要はない。せいぜい巨大な足に踏み潰されないよう、注意するだけだ。近づいて攻撃して攻撃して攻撃して、吐く。その繰り返しだった。


 自らを鼓舞するために雄叫びを上げていた狩竜人たちが、だんだんと無言になっていく。声を出せば、息を吸わなければならない。息を吸えば、恐ろしい吐き気に襲われる。しかしずっと無呼吸では戦えるはずもない。どちらにしても、吐く。


 しかし胃の中が空になってしまえば、もう怖いものなどなかった。吐ききった者たちから、またやけくそ気味な大声が出しはじめる。辺りは竜の血と吐しゃ物で惨状と化していた。


「早く死ねえ! 今すぐ死ねこのでかぶつが!」


「へへ、こいつぁくせになりそうな臭いだぜ……」


「くそがっ、ふざけんな! 今日はなぁ、女になぁ、会うぅ、約束してたんだぞこらあ!」


「臭いものって……意外と美味しかったりするんだよね」


「エル、気をしっかり持って。これ食べるとか絶対にだめよ!」


 唯一ソフィアだけは、尻込みして攻撃していなかった。朝食だったものを、口から撒き散らして戦う狩竜人たち。それらを見て、絶対にあれは無理だと思った。ウィクラスに煽られたことを忘れてはいない。しかしもう女だからできなくていいと、開き直っていた。


 人は不快な臭いに長時間晒されると、普通は嗅覚が疲れて気にならなくなるものだ。しかし慣れる程度の臭いではない。竜は酔っても人は酔わないと言われているが、酔わなくても悪臭で頭がおかしくなってくる。


 ディジャイールは一方的にやられるだけだった。しかし人が一撃で奪える血など、その巨体からすれば微々たるもの。狩竜人が全力で切りつけても、全く揺らぐことはない。


 それでも攻撃を積み重ねていくうちに、足元にいる小さな生物の群れが危険な相手だと、ディジャイールも理解してくる。3、4人なら1度で踏み潰せそうな足が、東のほうへ向いた。逃げだす体勢だ。


 ディジャイールはその1歩が大きいゆえに、緩慢な動きでも結構な速さで走れる。走りだされたら、人にはとても止められない。


「全員ボウガン用意、射て!」


 それを見てウィクラスが叫んだ。ボウガンを所持している狩竜人たちは、一斉に麻痺矢が放つ。しかし10本程度射ちこんでも、巨体は止まる気配がなかった。連続して次の矢が放たれる。それでも止まらない。次の矢。しかし、止まらない。


 想定外の事態だった。ウィクラスも焦りはじめる。


「止まらない!? 逃がすわけにはいきません、全員全力で追いますよ!」


「おいおい……まずいじゃねえか」


 ダンビスやバズラックも驚いていた。ハイウェスラルでディジャイールが出たときは、麻痺毒など使わない。油と火で片をつけるか、数を揃えた穿貫ボウガンのみで狩竜するからだ。どれだけ麻痺毒を射ちこめば止まるのか、実は誰も知らなかった。


 そこに颯爽と1人の狩竜人が前に出る。ガイツだ。


「俺の出番ですね。全員合図で目を閉じろっ……いま!」


 見事に制御された光球が、ディジャイールの目の前で弾ける。光球使いがいて良かった。そう思いながら、皆が目を閉じてガイツに感謝した。しかし目を開けてみると、その感謝は消え去っていた。


「駄目だ、止まってねえ」


 元々戦うつもりのないディジャイールは、目を潰されても留まらず、逃げるのに夢中だった。戦わない竜種は狩りづらい。その点でディジャイールは、草食竜に近い。徐々に加速していく巨竜に、狩竜人たちが引き離されそうになる。


 このままでは逃してしまう。そう思われたときに、エルが穿貫ボウガンの持ち手に向かって叫んだ。


「穿貫矢に麻痺毒を詰めこみましょう、それなら一気に毒を射ちこめます!」


 確かにそれならと、狩竜人たちは急いで準備に取りかかる。中が空洞になっている穿貫矢なら、大量の毒を詰めこめた。射ちこめば塗った毒ではなく、毒液ごと竜の体内に入れることができる。しかし普段はやらないことだ。器用なボウガンの使い手たちも、さすがにその作業に手間取った。


「バズラック、エル、ソフィア。俺たちなら追いつける。少しでも足止めに行くぞ!」


 ダンビスが精鋭の中でも、より精鋭だけに声をかけて走りだす。


「言われるまでもねえ!」


「はい!」


「ああ、はい。私もですよね……」


 ソフィアだけは気の進まない返事だったが、文句は言ってられない状況だ。覚悟を決めて巨竜に挑みかかる。


 臭いが目まで染みたせいなのか、あるいは女としての矜持を捨てなければならないせいなのか、その両方なのか。ソフィアは半泣きになってハルバードを振るった。


 皮膚も肉も柔らかいディジャイールだが、骨だけは恐ろしく頑強だ。それはもちろん理力が通っているせいもあるが、通っていなくとも並の金属より硬い。


 走って追いかけながらの攻撃だ。なかなか腰の入った全力の一撃が繰り出せない。骨が見えるところまでは刃も通るが、それ以上はどうしても武器が止められてしまう。それでも4人の強者が同時に攻撃すれば、少しだがディジャイールもひるんだ。


 ディジャイールの1歩はそれだけで大地を揺らす。その1歩は雨で緩んだ地面がえぐり、容赦なく泥の塊が狩竜人たちに降りそそぐ。臭いと泥と血にまみれ、ソフィアもついに諦観の表情に達した。


「もういい……もうやめて!」


 やめてと言いながら、吹っ切れたソフィアはハルバードを全力で振った。ソフィアの強さは、理力が漏れない体質だけではない。柔軟性に富んでいる彼女の体は、無茶な体勢からでも強い一撃を放てる。全力で走りながらの不安定な体勢で、最も強く攻撃できるのはソフィアだった。


 右後肢に深く入ったハルバードが、ディジャイールの骨に初めて傷をつける。さすがの巨体も少し揺らいだ。


「さすがソフィア!」


「いいぞ、やるじゃねえか!」


「いけ、どんどんいけ!」


 褒められても、ソフィアは全く嬉しくなかった。口の中に酸っぱいものが込みあげてくる。それでもソフィアは我慢した。そこは譲れなかった。息を止めたまま、顔を真っ赤にしてハルバードを振る。


 右後肢の痛みを気にしたディジャイールが、ついに歩みを緩める。そこに後続の狩竜人たちも追いついてきた。


「待たせた、4人とも離れてくれ!」


 麻痺毒を詰めこんだ穿貫ボウガンが襲いかかる。毒液をそのまま流しこまれれば、さすがの巨体も痺れはじめた。体の自由を奪われたディジャイールが、地面に倒れこんで大地を揺るがす。


 1度動きを止めるだけでも、相当な麻痺毒が必要だった。誰もが2度目はないと分かっている。狩竜人たちは狂ったように攻撃を始めた。肉をそぎ落とすように、全力で血を奪いにかかる。


 ディジャイールは動かなかった。動かないうちに仕留める必要があった。人の体温よりも熱い竜の血が、狩竜人の体を赤く染める


 まだ麻痺が効いていて動けないのか、それとも理力が尽きて動けないのか、それが誰にも判断できない。狩竜は竜の命が完全に終わって初めて成功と言える。死を確認するまで、狩竜人は攻撃の手を止められなかった。


 いつまで続くか誰も分からなかった14名の猛攻が、ふと勢いを失う。それは臭いが変わったせいだった。不快なことには変わりないが、臭いが薄らいでいくのを誰もが感じとる。悪臭で襲来が判明する巨竜は、悪臭の終わりが命の終わりを告げる合図だ。


 誰も命を落とさないどころか、誰も傷ついてすらいない。圧倒的な勝利だった。


「よっしゃあ、終わりだあ!」


「この臭いともおさらばだ!」


「もう嫌だ、もう嫌だぞ俺は。さっさと帰って体を洗わせろ!」


 狩竜人たちが喜びを爆発させる。


「やだ……こんなんじゃ、おうち帰れない」


 狩竜が終わり冷静になったソフィアだけは、自分の体に染みついた臭いに泣きべそをかいていた。


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