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ドラゴン・イェーガー ~狩竜人賛歌~  作者: 井藤 きく
11章 上に向かって
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11-3

 

 苦土竜ディジャイールは地面を揺らしながら、森の手前を歩いていた。エルはその姿に、まず恐ろしさよりも醜さを感じた。平べったく横に長い顔は滑稽で、どこにあるのか分からないほど小さな目と、横に裂けたような大きな口。体を覆うのは綺麗に揃った鱗ではなく、ただれた皮。法則性のないまだら模様は、何色とも形容しがたく、汚いという表現しかエルには思いつかなかった。


 しかし大きさは別格だった。エルは出会ったことのない竜でも、知識だけはチャビレットに教わっている。ディジャイールの大きさも、話には聞いていた。それでもその大きさには、自分の目を疑ってしまった。もし隣に比較できる木がなければ、急に近づかれたと錯覚したかもしれない。実際遠近が狂ったエルは、相手との距離がすぐにつかめず、見つけたと瞬間に思わず後ずさってしまった。


 これまでエルが遭遇した中で、最も大きな竜は銀糸竜ルヴィリスイールだ。しかしそのルヴィリスイールさえ比較にならないほど、ディジャイールは巨大だった。体長が人の10倍以上あるルヴィリスイール。さらにその倍はある。


 ただ動きは遅く、歩みも非常にゆっくりだった。大型竜の代表といえるレイダークは、見た目に反して軽快に動く。ルヴィリスイールも普段は緩慢に動くが、獲物や敵と遭遇した際には恐ろしく素早い。しかしディジャイールは短い四肢をゆっくりと持ち上げて進み、見た目通りゆっくりとしか動かない竜だった。


 そしてディジャイールはもちろん巨体も厄介だが、人にとってはもっと厄介な特徴がある。それは空腹時に出す臭いだ。

 

「これは……すごい臭いですね」


 なにかが腐ったような臭い。それも不快どころか体に悪影響が出るくらいに、ディジャイールは強烈な臭いを発しているのだ。知識だけはあった。恐ろしい臭いを出すことも知っていた。しかしそれは、エルの想像をはるかに超えた悪臭だった。


「深く吸ってはいけませんよ。死にはしませんが、あまり吸いすぎると体が重くなります」


 エルもウィクラスも、腕で鼻を塞ぎながら言葉を交わす。


 遅い動きでは、獲物を狩れるわけがない。だからディジャイールは狩らない竜だ。


 ディジャイール自身は肉食竜種、そしてその主食も肉食竜だ。しかし動きの遅い巨大な竜が、素早い他の竜を追いかけて捕まえられるわけがない。それでもディジャイールは食事に困らない。巨体を維持するだけの餌を、充分に獲ることができる。そのための臭いだ。


 人にとっては悪臭でしかなく、近づきすぎると意識が遠のくほどの瘴気。しかしそれが、一部を除く肉食竜を引き寄せる臭いになっていた。臭いを深く嗅いでしまった肉食竜は、まるで酒に酔ったかのように、ふらふらとディジャイールに吸い寄せられてしまう。


 人が良い匂いだと感じるサルティスの木を、竜は嫌って近づかない。ディジャイールの臭いはその逆だと言われている。人にとっては近づけないほど不快な臭いが、竜にとっては思わず近づいてしまう臭いなのだ。


 先ほどエルが発見したリグトンの群れが、再び近くに姿を現す。そしてリグトンたちは幻でも見せられたかのように、巨大な竜に近づいていった。縄張り争いでもないのに、わざわざ自分より強い者に向かっていく竜の姿。それをエルは不思議な気分で眺めていた。


 竜が人を襲うのは、自分よりも弱い存在に映るからだ。強い相手だと思えば、竜も襲ってはこない。実際リグトンですら、普通の人よりも圧倒的に強い。ただ人は他の生物に比べて個体差が異常に大きく、一部の狩竜人たちが竜に対抗できるだけだ。勝てそうにない相手だと感じたら、竜だって近づきはしない。


 しかし小さな竜たちは、生物の本能とは反する行動を強制的に取らされていた。ディジャイールの口が、ゆっくりと開く。そして6頭のリグトンが、大地ごとすくいとるように飲みこまれた。


 完全に無抵抗なまま、ただ餌となるために近づいていったリグトンの群れ。エルはその異様な光景に、生まれて初めて竜を哀れに思ってしまった。


「私たちだけではどうにもならない。街に戻りますよ」


「はい!」


 ウィクラスはどちらかが留まることも考えたが、それは万が一があると判断した。


 いくらディジャイールが巨体でも、動きの遅い相手にエルやウィクラスがやられることはまずない。なるべく街から離れて戦いたいので、足止めする意味はある。しかし大雨にも関わらず広がっていく悪臭が、肉食竜を際限なく呼び寄せてしまう。それが危険だった。


 多分どちらが残っても耐えられるが、その多分をウィクラスは嫌う。竜相手に戦う以上、絶対に安全などということはない。しかし避けられる危険は冒さないことも狩竜人の義務だ。2人は全力で街へと引き返した。





 フェネラルの街は、雨音がうるさく感じるほどに静かだった。結局屋根の下に入れなかった一部の避難民たちは、肩を寄せ合い大きな竜皮や布の下で、雨が過ぎるのを震えながら待つしかなかった。


 連日、街の周りで働いていた狩竜人たちも、その多くが引き上げて今は街の中にいる。雨が降ると獲物を追い求めなくなる竜が多い。状況的に歓迎はできないが、降ってしまったものは仕方がない。街の周囲に最低限の見張りを残し、狩竜人たちはしばしの休息を取っていた。


 そこにディジャイール出現の報告。協会内は騒然となった。


「ディジャイールかよ……ここに来る竜じゃねえだろ、くそったれが。しかもよりによって大雨の最中か」


 フェネラルの英雄が思わず愚痴をこぼす。街を愛する男の筆頭ダンビスは、街の歴史にも詳しい。フェネラル近辺に現れたことのある竜種なら、全て把握している。だからこそ、予想外の相手に驚いていた。


 南からまっすぐ北上してくるディジャイールは、ハイウェスラル周辺に来た時点で必ず倒される。まずその巨体が目立つ上に、強烈な臭いで嫌でも存在に気づかされるので、見過ごされることはありえない。そしてこれまでディジャイールは、東回りで北イリシアに入ってきたこともない。レズレンでも目撃されたことはなかった。


 それはディジャイールは極端に火に弱く、レイダークを天敵としているからだ。体の大きさでは圧倒的なディジャイールだが、縄張り争いではレイダーク1頭相手にあっけなく負ける。だから肉食竜種でもレイダークは例外で、臭いにも寄っていかず酔いもしない。炎竜の村、と呼ばれていたほどだ。レズレンの東には、多くのレイダークが棲息している。わざわざ天敵のいる場所を通り、ディジャイールがレズレンに近づくこともなかった。


 しかしそれも過去の話となってしまった。理由は分からないが、とにかく現れたものは倒さなければならない。放っておいたら、次々竜を呼び寄せてしまう。


「シロノさん、天気はどうだろう。雨は続きそうなのかな?」


 ウィクラスがシロノに声をかける。天気は狩竜を大きく左右するので、協会にはその予想を専門にする者もいる。


「少なくともあと1日。長ければ丸2日は降り続けてもおかしくない、という予想です」


 その答えに、ディジャイールの特徴を知っている狩竜人たちは大きく溜め息をつく。ディジャイールを相手にするとき、雨は不利だった。それは火を使えば、ディジャイールなど恐れる相手ではないからだ。


 ほとんどの竜種に対し、人が燃やせる程度の火など意味はない。レイダークの吐く炎なら、その圧倒的な熱量で竜も丸焼けにできるが、人が火をつけた程度では、表面を焦がすくらいで余計な怒りを買うだけだ。そんな隙があれば、少しでも血を奪うなりボウガンで狙いを定めるなりしたほうがいい。


 しかしディジャイールには火が効く。ハイウェスラルで出現した場合、油を浴びせて火矢を射掛けるのが定跡だ。表皮がよく燃えるディジャイールなら、それだけでかなり弱らせることができる。ただれている皮は燃えだすと崩れ落ち、血も一緒に流れるのだ。


 しかし今は大雨。加えて薪の補給が滞っている状況で、普段は火を起こすより明かりに使われる竜油も、煮炊きに使われてしまって備蓄に余裕がない。火で燃やしてしまえばいい、という作戦が難しかった。


「よっしゃ、ここはうちの出番だな!」


 協会内が暗く沈んでいるところに、バズラックが威勢よく声を上げた。


 もちろんハイウェスラルにも雨は降るので、火矢以外の対策もある。それは穿貫ボウガンの使い手を揃え、滅多射ちにすることだ。相手は巨大で動きも遅い。狙わなくても当たる上に、確認されている全ての竜種の中で、ディジャイールは最も体が柔らかいと言われている。針山のようになるまで容赦なく射ちこめば、いくら巨体でも血は尽きる。


 穿貫ボウガン持ちは、元々フェネラルにはいなかった。しかし今はハイウェスラルから応援が来ている。バズラックが率いてきた銀の鍵の団員は、ほとんどがその使い手たちだ。


 しかし威勢の良いバズラックに対し、銀の鍵の団員たちは反応が悪い。


「団長……矢の補充が追いついてないんで、そこまで俺らが役に立てるわけじゃないっす」


「あ、そうだった……残りは何本だ?」


「残り穿貫矢は22本。全部射ちこんだとしても、ディジャイール相手じゃ意味あるのかって数ですね」


 銀の鍵の団員は、ディジャイールの狩竜経験がある。ハイウェスラルでは何百という単位で穿貫矢を射ちこむことを知っていた。それなりに距離を取っても矢が刺さるので、逃げる必要が少ない分手数も稼げる。ただそれは、矢の在庫があってできる安全策だ。


 普通に武器を持っても活躍できる銀の鍵だが、やはりその本領は穿貫ボウガンにある。


「なんでそんなに少ねえんだ……フェネラルの金属鍛冶は、矢すら満足に作れねえってのか?」


 麻痺用の矢は主に細工師の仕事だが、穿貫ボウガンの矢は金属鍛冶の仕事になる。中を空洞にした槍のような形状で、確かに知識がなければ作れない。しかしバズラックの文句は、全く見当違いだった。バズラックの言葉に、ダンビスが食ってかかった。


「あほかバズラック、鉱山の街をなめんじゃねえ! 鍛冶の腕ならハイウェスラルより上だってんだ。足りねえのは技術じゃなくて火だ火。薪も油も足りねえってのに、鍛冶に火を使ってる余裕はねえんだよ。お前の頭が足りないのは、薪不足より深刻かおい」


「なんだとこの野郎! てめえこそ深刻な顔ばっかしやがって、作戦の1つも出してねえだろうが。フェネラルの英雄様、なんておだてられて弱くなっちまったかおい」


 ともに30段越える狩竜人の喧嘩を始まりそうになり、周りの者たちは焦りに焦った。しかしただ1人、ウィクラスだけは落ち着いたものだった。


「今それをするときですか? 若いのが見てる前で示しがつかないとは思いませんか? 馬鹿をひけらかすのがそんなに楽しいんですかねえ……そんなことしなくても周りは馬鹿だと知ってますから、もう充分です」


 ウィクラスのゆっくりとした叱責に、2人の中年男は黙る。


「お、おうよ……」


「す、すまん……」


 ダンビスとバズラック、そしてウィクラスの3人は、若い頃にハイウェスラルで競い合い成長してきた狩竜人だ。そしてゆっくりと強くなったウィクラスに比べ、ダンビスとバズラックは若い頃から才気あふれる抜けた存在だった。実力の拮抗した2人は互いを強く意識し、それは40歳を過ぎた今でも変わらない。


 ただ2人の猛者が苛立つのも、ディジャイールの狩竜経験があるからこそだ。大きさの割りに強いというわけではなく、人が直接食われるような心配は少ない。しかしある意味では最も嫌われる竜だ。


「この状況では強引に行くしかないですね。早く片付けないと、奴の臭いに誘われてさらに竜が増える」


 ウィクラスは諦めたように、その案を口にした。臭いは遠くなら不快に思うだけだが、近づけばそれでは済まない。深く吸い込んでしまえば胃の中が空でも吐き、そのうち目にもしみて開けていられなくなる。しかし火も穿貫ボウガンが使えないとなると、打つ手は1つ。通常の狩竜と同じく、近づいて直接攻撃するしかなかった。


「とにかく時間をかけられません。竜を呼び寄せるのも問題ですが、そんな長くは奴の近くにはいられない。ダンビスとバズラックが中心。あとは20段以上の狩竜人と、ボウガンが得意な者を選抜して向かいます」


 最上段位の2人が役に立たなかったので、ウィクラスが指示を飛ばす。


「エル、白緋の女神は残ってください。えっとソフィアとガイツは……今見張りに出ていますね。誰かと交代させて、こっちに呼んでください」


「え、しかし……」


「ディジャイールが近くにいる以上、雨でも街に竜が寄ってくる可能性があります。だから君たちには、街の守りを任せたい」


 自分も当然向かうつもりでだったエルだが、ウィクラスにそう言われてしまう。しかし今は経験が欲しかった。自分も行かせてほしいと言いかけたとき、先にダンビスとバズラックがウィクラスに反対した。


「待てウィクラス、逆だろ。白緋の女神は全員参加に決まってる。エルとソフィアがいるいないじゃ大違いだ。街に残るなら俺だ」


「いや、穿貫ボウガンが使えねえとなると、うちは戦力が半減だ。ここは銀の鍵が残ろう」


 さっきまで喧嘩を始めそうだった2人が、今度は組んでウィクラスに異議を唱えた。2人の猛者はディジャイールを嫌がっている。それは恐怖でもなんでもない。ただ臭いが問題なのだ。


「なに馬鹿なことを言っている。2人が参加せずに示しがつくわけないだろう。それに足の速いエルとソフィア、光球で足止めできるガイツの3人なら、少人数で広範囲を守れる。これ以上の適任はいない。」


 もっともな意見に2人は黙る。


「あ、あのウィクラスさん。できたら僕は参加させてください。経験がないので役に立つか分かりませんが、経験がないからこそ相手を知っておきたいんです」


 それがたった1度でも、戦った経験は必ず活きる。2度のルヴィリスイール戦で、エルはそれを学んでいた。南を目指す以上、多種の竜を狩っておきたかった。真面目なエルの態度に、ウィクラスは少し考える。


「ふむ、確かに経験も積みたい気持ちも分かる……あれ相手に経験など、必要なのか分かりませんがね。分かりました、行きたいというならいいでしょう。では守りは鋼の扉から出します。ソフィアとガイツも急いで連れてきてください」


「ありがとうございます!」


「よっしゃあ、全員覚悟しろ。相手はあの最低最悪の竜、ディジャイールだぜ!」


 ダンビスがどこかやけくそ気味に声を張り上げ、戦いに参加する狩竜人たちを煽る。しかしディジャイールをよく知っているものは、うんざりした顔をするだけだった。


 あれだけ巨大な竜相手に、皆意外と緊張感がないなとエルは思った。


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