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10ー2

 

 過去には寝坊で窮地に追い込まれたこともあるソフィアだが、普段は誰よりも早く起きる。小さな子どものように寝付きが良いせいで、起きるのも早いというのが理由の1つ。そしてなにより朝は鏡の前に座る時間が欲しいので、早起きを心がけているのだ。この日も長く伸びた髪を丁寧にとかし、薄紅色に染められた綺麗な紐でしっかりと縛る。


 前日の休み、ソフィアは髪を切ろうかと少しだけ考えた。女であることと狩竜人であること、その両立は難しい。ならいっそ、手入れが楽なように髪を短くしてしまおうかと思ったのだ。


 しかし結局それはしなかった。自分の髪に優しく触れてくれるエルのためにも、もう少しだけ伸ばしたい。そう考え直した。どちらも大事。どちらも諦めない。それがソフィアの出した答えだった。




 この日の白緋の女神が、協会でノウィールから受けた指示。それは調査のため東に向かう、学者の護衛に当たれというものだった。白緋の女神はその学者が誰なのかすぐに気づき、快くその依頼を引き受ける。


「チャビレット先生、僕たちが今日から護衛させていただきます。よろしくお願いします」


「おおっエル君! あなたたちが手伝ってくれるのですか」


 護衛の人選はノウィールに任せていたので、チャビレットは誰がやってくるのか知らなかった。待ち合わせの場所に見知った3人の若者が現れ、驚きと喜びの表情を浮かべる。


「ノウィールさんに言われて引き受けたんですが、俺たちで大丈夫でしょうか。狩竜区域の外に出て調査をするんですよね? 20番区域のさらに東となると、全く土地勘がないのですが……」


 ガイツは不安な顔で尋ねる。ハイウェスラルの街の外は20の区域に分けられており、その範囲で狩竜をする。しかし人手の問題もあり、最も東に位置する20番区域のさらに外というのは、狩竜人でも滅多に足を踏み入れない場所だ。


「その点については大丈夫です。私は調査のために何度も区域外まで足を運んでいますからね。おかげで狩竜人の誰よりも詳しい自信があります。ただ戦うことは不得手なので、今回のように護衛を頼まなくては生きて帰れませんがね。私などリグトンが相手でも、囲まれでもしたら一貫の終わりですから」


 誰よりも竜に詳しく、狩竜人にも引けを取らない脚力を持つチャビレット。しかしどんなに知識と体力があっても、狩竜ができるかどうかはまた別の話だ。竜は無条件で人に恐怖を与える。理力と体力だけ優れていれば、狩竜人にはなれるというものでもない。竜に近づいて攻撃する勇気を持ち、人食い竜にさせないために死なない覚悟を持つ者だけが狩竜人足りえるのだ。


「じゃあ早速出発しましょう! あ、荷物は私たちが持ちますね」


「そうですね。私が足手まといになってはいけませんから、ここはありがたく甘えることにしましょう。壊れるようなものは入ってませんので、雑に扱ってもらって構いませんよ」


 区域外まで行くとなると、日帰りでは難しいので荷物も多い。ソフィアが荷物を受け取る際、チャビレットからほのかに果物のような匂いがしていることに気づく。香水をつけるような男性には見えなかったので、ソフィアは意外に思った。


 街を出て東に走り始めた3人の狩竜人と1人の学者。いつもなら先頭を行くのはソフィアだが、彼女は人に合わせることが苦手だ。不案内な場所に向かうこともあり、この日は先導をチャビレットに任せる。


 荷物も持たず身軽なチャビレットは、小高い丘も生い茂った森も、力強い蹴り足で駆け抜けていく。その速さはソフィアが先導しているのと変わらないほどだ。


「チャビレット先生すごい! 狩竜人より走るの速いんじゃないですか?」


「これでも日々鍛えてますからね。走って竜から逃げられること。これは狩竜人だけでなく、竜学者にとっても必須条件なんです。イーラ君も今頃は、狩竜人に負けないようにと頑張っているはずですよ」


 チャビレットは息も切らさず、ソフィアと会話をする余裕さえあった。いくら竜学者が体力勝負の仕事とはいえ、まさか狩竜人よりも優れていることはない。そう思っていたガイツの予想は見事に外れた。


 早朝から半日以上走りとおして、ようやくチャビレットが速さを緩める。ソフィアはいつも通り微塵も疲れを見せておらず、エルもすぐに息が整う程度。そしてこちらもいつも通り、ガイツは膝に手をやりうなだれていた。


「チャビレット先生、俺も……がふっ、おえっ……お聞きしたいことが……調査というのはなんなのか、とか……いや、まず先生。いくらなんでも体力ありすぎでしょう。おかしいですって」


 ガイツは負け惜しみとも取れる言葉を吐く。ついでに朝取った食事も吐きそうになる。学者に負けてなるものかと、途中から意地になって走っていたのだ。


 しかしガイツがそう感じるのも無理はない。狩竜人の中でも、走ることに関しては間違いなく一流以上。その3人と変わらないのは、確かに異常だ。いくら鍛えているといっても学者は学者。普段から命を危険に晒す狩竜人とは、鍛錬の質も量も違うはずだった。


「はははっ。実はちょっとずるい手を使っておりましてね、申し訳ありません。それで優秀な狩竜人にも負けないくらいに走れるのです。いやあ、本当に驚きましたよ。ソフィアさんは大丈夫だろうと思っていましたが、まさかガイツ君とエル君も遅れずについてくるとは。あなたたちの持続力には感服いたしました」


 チャビレットはいたずらっぽく笑って、小瓶に入った液体を取り出す。それがチャビレットの言う、ずるい手の正体だった。


「あ、それ。先生がつけてる香水でしょ。そんなのつけてるなんて、先生意外とおしゃれさんですね。でもそれは嗅いだことがない匂いだなあ……色んな果物が混ざってるような感じ。新しく西から入ってきた香水ですか?」


 女性らしくソフィアは香水に詳しい。加えて両親が西の大陸と商売をしていることもあり、幼い頃から珍しい舶来品に触れる機会も多かった。しかしそのソフィアですら、チャビレットが漂わせる匂いに心当たりはないと言う。


「匂いは抑えて作ってあるんですが、ソフィアさんは分かってしまいますか。実はこれ、香水ではなく秘密の塗り薬でしてね。私がこんなに速く長く走れるのも、これを使ってるからなんです」


「秘密の薬……長く走れる……って、そんなものがあるんですか!」


 ようやくまともに呼吸ができるようになったガイツが、驚きの声を上げる。


「はい。ずっと王都の理力学者たちが研究していたもので、最近ようやく実用化されたんです。ソフィアさんのお祖父様であるリータフ先生も、この薬の研究には大きく貢献しているんですよ。まあもっとも、今いる理力学者でリータフ先生の教えを受けていない者などいませんからね。最近の理力学で大きな成果が出たものは、ほとんどがリータフ先生と、あとはエル君の師匠であったタシネートが関わっているといっても過言ではありません」


 やはり自分の祖父は凄い学者なのだとソフィアが改めて感心している横で、ガイツは口を開けて驚いていた。


「有り得ない……あ、すいません。しかし、俺には信じられません。それなりに理力学を勉強しているつもりですが、そんなものが作れるなんて聞いたこともない」


「なるほど、ガイツ君は光球使いでしたね。確かに理力に詳しい人ほど、信じられない代物かもしれません。ただし効果のほどは、今の私が証明しています。いくら鍛えているといっても、さすがに上段位の狩竜人に匹敵する脚力は、私には得られません。そこまでいくと努力だけではどうしようもない領域ですからね。しかしこの薬を使えばご覧のとおり。いやあ、私もこれを使うのは2度目なんですが、本当に驚きの効果です」


「あの、俺たちにも分かるように説明してもらえますか? 狩竜人が使えば、同じ人数でも戦力が何倍にもなるってことですよね」


「それがですね、残念ながら狩竜人が使用するのはお勧めできないのです。使うにしても竜から逃げるときだけにしたほうが無難でしょうね。あなたたちは身近にソフィアさんがいるので、説明がしやすい」


「私が、ですか?」


「はい。この薬を体中に塗ると、ソフィアさんの体質に近づけるんです。その顔はどうやらお分かりいただけたようですね」


 エルもガイツの表情を見て、これ以上の説明は要らないだろうとチャビレットは思った。察しの良い若者たちに、学者は嬉しくなる。


「理力が漏れないようになるってことですよね……大発明じゃないですか!」


「その通り、大発明です。なにもしなくとも勝手に外に漏れる理力を、完全に遮断できるという薬です。体中の隅々まで塗ることによって、その効果を得られます。ただ今のところ、生産するのに手間も金もかかりすぎる。それに繰り返し人が使って、体に悪影響がないとも言い切れません。まだまだ広く流通するのには、時間がかかりそうです」


「体に悪影響って、危ないものなんですか?」


「まだ分からない、ということですね。新たに開発された薬は、良い効果ばかりではありません。長い時間をかけて繰り返し使ってみないことには、その良し悪し全てを把握できませんからね。まあ心配は要りませんよ。これの主な成分は、毒性のない果物を精製したものです。少なくとも即効性のある毒ではありませんから」


 新しい知識のためなら、喜んで自らの肉体で差し出す。笑顔でそんなことを言うチャビレットは、やはり根っからの学者だった。


「しかしなぜ狩竜人は使わないほうがいいと? ソフィアの体質に近づくということは、付加と放出理力が使えないからでしょうか。例えそうだとしても、俺には充分に使う価値があると思うんですが」


「それがですね、確かにソフィアさんのように理力が漏れなくはなるんですが、1つ大きな問題があるのです。付加と放出が使えないどころか、手に持った武器にまで理力が流せなくなってしまうのですよ」


「ああ、なるほど……ボウガンが使えない程度ならばと思ったのですが、槍にも剣にも理力が流せないのでは狩竜人は使えませんね。そんなうまい話はありませんか」


 ガイツは納得する。理力の通った竜への攻撃は、やはり理力の通った武器が1番効果的だ。それもできなくなると、理力が漏れない利より不利のほうが大きくなってしまう。


「なにもかも都合良く、とは世の中いきませんね。ただし武器を使わず逃げるだけならば、大きな効果を得られます。もっとも危なくなって逃げだす際に、薬を体中に塗るまで待ってほしい、などと言っても竜は待ってくれませんがね。しかしソフィアさんは良い鼻をしてますねえ。なるべく匂いは抑えて作ってあるんですが、まだまだ改良の必要がありそうです」


「でも先生。それ良い香りなのに、匂っちゃ駄目なんですか? もっと匂いを強くすれば香水にも使えそうなのに」


「確かに私も良い匂いだとは思うんですがね。実はこの植物の匂い、サルティスの木と逆の効果もあるんです。それで匂いはなるべく消したいんですよね」


「サルティスの逆って、竜を呼び寄せちゃうんですか! 先生、なんでそんなに危ないものを……」


 冬のあいだはほとんど王立研究所で世話になり、様々なことを教えてくれ学者をエルはとても尊敬していた。それだけに心配顔でチャビレットを見る。


「いくら竜は鼻が良いとしても、遠い場所からこのかすかな匂いを嗅ぎつけることは難しいはずです。まあ発見されて近くに来た場合、私めがけて竜が殺到するでしょうがね。それも狩竜人と一緒なら関係はありませんよ。どのみちこの4人でいたら最初に狙われるのは、間違いなく1番弱い私ですから」


 結果は変わらないのだから問題はないと、なんとも学者らしい合理的な考え方だった。研究のために役立つ薬なら、危険を顧みず平気で使う。学者というのは狩竜人よりずっと無謀だと感じ、3人は呆れるしかなかった。




 ハイウェスラルの周辺は、そのほとんどが背の高い木々が生い茂った森になっている。しかし区域外まで来ると、そこは見渡すかぎりの草原だった。その広大な景色に、ソフィアは思わず感嘆の声を上げる。


「うわあ、すっごい。急に広い場所に出ちゃった!」


 遠くにはいくつもの竜の影。人にとっては危険極まりない場所だった。しかし危険と分かっていても、心を洗ってくれるような、ただただ広い光景だった。


「ところで先生。僕たちはなんの調査に向かってるんでしょうか?」


「やや、申し訳ない。話してませんでしたね。明日くらいには協会からハイウェスラル全体に通達されることなんですが……どうやら最近、南の地で火山活動があったようなのです。それで現在の状況を確認するために、なるべく東まで来たかったのです」


「火山、ですか?」


 北イリシア大陸には活火山が少なく、山岳地帯で長年過ごしたエルにも馴染みのない言葉だ。


「はい、1月の終わりぐらいですね。ハイウェスラルの街に灰混じりの雨が降ったと、ノウィールさんから報告を受けました。それで私も苦手な船に乗って、慌ててこっちに来たのです。南の火山活動は竜に大きな影響を与えてしまいます。今から200年以上前にも、火山活動による灰がこの地で確認された記録があります。そしてその際には、9年前に起こったレズレン大竜災以上の緊急事態が発生しました」


 レズレン大竜災という言葉に、3人の顔が険しくなる。


「そんな……大問題じゃないですか! なにか防ぐ方法はないんですか? 僕たちがまたレズレンに戻るとか……」


「すみません、脅すようなことを言ってしまいましたね。楽観はできませんが、まだ確実に起こるとも言えないのです。今のところは可能性があるという段階ですので、そのための調査です。もちろんレズレンの戦力補強は、協会も考えていますよ。ただ狩竜人に不必要な移動をお願いすると、今度はハイウェスラルの戦力が足りなくなってしまう。難しいところです」


 脅すようなこと、とチャビレットは言ったが、それでもまだ余計な不安を与えないように言葉を選んでいる。200年前にはレズレンどころか、その西のフェネラルまで被害が及ぶ大惨事だったのだ。


「分かりました。それでなにをすればいいんでしょうか?」


「はい。私は地面に降った灰の時期と量を調べるので、ずっと下を向いて歩き回ります。あっちにもこっちにも竜がいますから、本当は全方位を警戒しないといけませんが、それでは調査が進まない。そこで竜の警戒は皆さんに完全にお任せします。あとはできたらでいいので、この草食種がいるかどうか探してほしい」


 チャビレットは懐から紙の束を取り出すと、その中から1枚を選ぶ。それは細部まで緻密に描かれた竜の絵だった。


「変色竜レマカブルですか。名前は聞いたことがありますが、俺も実物は見たことないですね」


「非常に臆病な種で人が近づくとすぐ逃げる上に、その名の通り鱗が周りの色に同調して変色しますからね。なかなか見つけづらいんですよ」


「ほええ、そんな竜がいるんですか。私は初めて知りましたよ」


「無理もありません。レマカブルはハイウェスラル近辺でも滅多に現れない、基本的に南の大地のみに棲息する種です。ただこの辺りでレマカブル多く見つかったという記録があります。それが200年以上前、南で火山活動が起こったときでした。探してほしいと言いましたが、見つかってほしくはないですね。レマカブル自体は素早い逃げ足があるだけで怖くない竜なんですが、悪い予兆ですから」


 4足歩行の変色竜レマカブルは、肉食では最小のリグトンよりもずっと小さい竜だ。成長しきっても羊程度。そして草食竜は高い木の葉っぱや木の実を好む種が多いが、レマカブルは低い草を好んで食べる。もし南から来ている場合、草原に潜んでいる可能性は高かった。しかし見晴らしの良い場所でも見つからないのがレマカブルだ。チャビレットもそれほど期待して頼んでいるわけではない。


「分かりました。じゃあ先生は調査に専念してください。僕たちが必ずお守りしますので」


「はい。ノウィールさんの信用を得ているくらいです。あななたちのことは頼りにしてますよ」


 そんなことを話していると、早速竜が獲物に気づいて近寄ってくる。東からは六角竜アングイールの群れ6頭。そして南からは、黄牙竜シュブイールの群れが20頭以上。数が多い。ハイウェスラルに来る前なら、この挟み撃ちは3人では危険とガイツが判断して逃げていたかもしれない。しかしガイツは自信を持って、戦うことを選択した。


「先生。俺が、いま、と叫んだら目を閉じてください。光球が弾けますので」


「了解です。私も逃げるだけなら得意ですので、あまり気を遣わないでくださいね」


 ソフィアは大きく息を吸って、ふっと少しだけと吐き出す。自分の心は決まったはず。それでもまた足がすくむようなことがあれば、今度こそ狩竜人失格だ。そんなことを考えていると、表情はいつもより少し硬くなってしまう。


「いま!」


 ガイツはアングイールの方向へと光球を放つと、1人だけで突っ込んでいく。中型竜が6頭。普通なら1人でというのは無謀でしかない。しかしガイツは攻撃するわけではなく、ただの足止めだ。光球使いのガイツにとって、足止めだけなら他の狩竜人と比較にならないほど得意なことだった。


 そのあいだに、ソフィアとエルがシュブイールの群れに駆けていく。長く移動するときとは違い、地面がえぐれるほどの蹴り足であっという間に距離をつめた。


 獲物だと思っていた小さな生物が逆に襲ってきたことに、竜の群れは少しだけ戸惑う。しかしそれも一瞬だ。わざわざ向こうから餌が近寄ってきたのだから、牙をむかない理由はない。ソフィアとエルを取り囲むように、シュブイールが動きはじめる。


 麻痺毒は恐ろしい。シュブイール相手には慎重な行動が求められる。しかしその慎重さというものは、狩竜人の能力によって異なる。以前なら一撃離脱で1頭ずつ仕留めていた2人だが、もうそんなことはしない。必要もなかった。


 2人がシュブイールの隙間を駆け抜けるだけで、次々と竜の首が飛んでいく。チャビレットの目にはそう映った。20頭が瞬きするあいだに半減したかと思うと、次の瞬きのあいだにはもう殲滅されていた。2人はすぐさま反転し、今度はアングイールと1人対峙しているガイツのほうへと走りだす。


 アングイールの脚1本でも、人の胴体より太い。それが白緋のハルバードと黒藍の長剣が振られるたびに、いとも簡単に切り離される。脚を1本失っても、絶命するには至らない。しかし生きていてもそれらは無視して、ソフィアもエルも次の竜へと向かっていく。動きをよく知っている中型竜が相手なら血を奪うまでもなく、一刀一撃での切り捨てを狙ったほうが安全だった。もちろん、それはできるならという話だ。小型竜相手ならまだしも、アングイール相手にそれは普通しない。


 最近では師弟のような関係を築いているエルとチャビレットだが、それは学問にかぎったことだ。他人の噂やエル本人に話では聞いていても、実際に戦っているところを見たことがなかった。いくらエルの人柄や賢さを買っていても、チャビレットはそれだけで狩竜の腕まで信用していはいない。信用していたのは、ノウィールが選んだ護衛だからという理由だ。学者は噂や想像で結論を出すことはしない。


 そしてようやく間近でその実力を見るや、学者は乾いた笑い声を発するしかなかった。アングイールが次々と倒され、起き上がれずにもがいている光景は異様だった。6頭全ての脚を1本ずつ切り落とすと、今度はゆっくりと止めを刺して回るだけ。それもまた、学者の目には異様な光景に映った。


「先生、こちらは気にせず調査を続けてください。もし僕らでも無理そうな竜が出たら逃げますので、そのときはちゃんとお知らせします」


「はは……ではよろしくお願いします。いやあ、ちょっと驚いちゃいました。これでもたくさん狩竜人を見てきたつもりなんですが……いやはや、言葉も出ません」


 その顔だけ見れば、いつもとなんら変わりない素直そうな若者。しかし一滴の返り血すら浴びていないエルの姿に、チャビレットは畏れすら感じた。


 最近は竜に対する恐怖が、特に王都に住む人々の中で薄れており、それをチャビレットは危惧している。しかし狩竜人の強さは年々増していると言われる中で、さらにエルやソフィアのような飛び抜けた存在が現れれば、人が竜より強いと勘違いするのも無理はない。そうチャビレットは感じてしまう。その考えを振り払うように学者は自嘲気味に笑い、ひたすらに地面を調べる仕事に戻った。


 見晴らしが良すぎる草原だ。竜も人も互いに、すぐその存在を察知できてしまう。おかげで気づかないうちに近づかれるということはないが、寄ってくる竜の数も当然多かった。


 連戦になるとソフィアの息の長さが際立つ。学者の邪魔をしないように、そして自分の理力を温存するために、ガイツは光球の使用をなるべく控える。それでも問題はないくらい、ソフィアが1人で暴れまわる。エルとガイツが一呼吸必要な場面でも、ソフィアだけは理力全開で竜の首をはねていく。そうしているうちに硬かった表情も、元の彼女の顔に戻っていた。


 しかしただ元に戻ったわけではない。これまで竜に対して微塵も恐怖を感じなかったソフィアとは違っていた。1度怖くなりそれを乗り越えたことで、以前よりもずっと考えながら動けるようになっていたのだ。ただガイツの指示に従うのではなく、少しずつだがその意味まで理解して動こうとしていた。それはソフィア自身も気づいていないほど、まだ小さな変化でしかない。それでも間違いなく大きな前進だった。


 西の地平線に陽が触れそうになる頃、4人の周囲に竜の姿は一切見えなくなる。血と臓物のきつい匂いが立ち込め、竜だったものが無造作に転がっているだけだった。


「ご苦労様です。陽もそろそろ暮れますので、野営の準備をしましょう」


 途中からは竜が近づいてきても、チャビレットは顔を上げることすらせずに草と土を調べていた。


「はい、先生……それで、調査のほうがどうでしたか?」


 エルもさすがに疲労の色が濃い。話す声にも力がなかった。ガイツは死んだように動かないが、死んではいないし怪我1つしてない。陽が暮れてしまえば竜は動かなくなるので、最後の最後に全力を出してしまい疲れで倒れただけだ。


「おかげさまで、色々と分かりました。火山活動は、残念ながら私が思っていたよりも早く始まっていますね。時間の猶予はなさそうです」


 チャビレットは何本も細長い草を集めていた。それは成長の早い植物で、この時期の草原なら無数に見られるはずのもの。しかしその珍しくもない植物が、ある長さのものだけほとんど発見できなかった。それは2ヶ月ほど前に火山の灰が舞い、その植物の成長を妨げていることを証明していた。


 そしてただ1人。ほとんど疲れていないソフィアが、決定的なものを見つける。


「あ……あれ、もしかして」


 西日が強く差す中で、小型竜がソフィアの目に止まる。緑一色の草原に紛れるように、緑の鱗を持つ竜だった。1頭見つけるとコツをつかんだかのように、ソフィアは何頭もその姿を発見できてしまった。


「エル、あっち。あっちになんかいる。あれ……レマカブルじゃない? 先生! さっきの絵、見せてください」


「本当だ、なんかいる」


 チャビレットが慌ててレマカブルの絵も見せると、ソフィアとエルは間違いないと確信した。


「あの、私には全く見えないのですが……どこにいるんでしょうか?」


「あっちです。ほらあっちにも」


 2人が指差す方角に目を凝らしても、チャビレットには確認できない。もどかしくなったソフィアが、レマカブルに向かって駆けだす。チャビレットは2人が嘘をついているとは思っていない。なので別に実物を確認する必要はなかったのだが。


「あ、ちょっとソフィアさん! レマカブルだとしたら逃げ足が速いですから、狩竜は無理ですよ」


 しかし竜学者の言葉は簡単に覆されてしまった。ソフィアがレマカブルを捕まえて引きずってくる。殺してはおらず、ハルバードの先端に引っかけている形だ。


「これ、レマカブルですよね?」


 チャビレットに見せるとその役目は終わったので、ソフィアはレマカブルを解放する。鋭い穂先で引っかけていたので血は流れているが、小さくとも竜は竜。すぐに修復が始まり、一目散に逃げだした。


「失礼、訂正します。普通の狩竜人には無理、でしたね。どうやって捕まえたのでしょうか……いや、その話は置いておきましょう。どうやら急がねばならないようです。申し訳ないが野営の準備ではなく、今から街に戻ります。かなり無茶な移動となりますので、疲労で無理だと思ったら遠慮なく言ってください……あ、いや。ガイツ君は無理そうですね。やはりここは安全に、一晩は休みましょうか」


 無理だと思うから無理。冬のあいだ散々に言われたウィクラスの言葉を思い出し、ガイツは気力で立ち上がる。


「チャビレット先生。例の薬はまだありますか?」


「ええ、ありますが……しかし疲労を回復するとか、理力が回復するとかいう薬ではありませんので、使ってもどうかなと」


「いえ、俺ならまだ大丈夫です。急ぐに越したことはないのでしょう。こんなところで放置されても死ぬだけですので、絶対についていきますよ。さあ、薬を」


 ガイツの意地と気迫に負けたチャビレットは、塗り薬を差し出した。


 今度は西に向かって、暗闇の中を4人が走りはじめる。


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