9-5
ハイウェスラルの西側にある港は、大雨でも降らないかぎり毎日大勢の人で賑わっている。人も物も次から次へ、巨大な帆船で出たり入ったり。
「すっごいねえ。というかこれ、どこ行っていいか全然分からない」
「うん、ちょっとこれは……ソフィア、迷子にならないでね」
「失礼ね。子どもじゃないんだから、そんなことにはならないわよ」
そう言われても心配なエルは、ソフィアの手を取って歩きだす。
イリシア大陸の西は遠浅の海が広がっており、大きな船が着けられる港は貴重だ。その中でハイウェスラルは王都周辺と並び、喫水の深い船でも安全に入れる良港として栄えている。
港を出ていく大きな帆船には竜の素材が満載され、何日もかけて西の諸大陸に向かう。そして帰りには、竜の代わりに穀物などの積荷を一杯に載せてくるのだ。この交易がなければ、農地の少ないハイウェスラルに人を集めることなどできない。またそういう天然の良港があったからこそ、人が集められたとも言えた。
どこを見ても人、人。しかし過ぎたるほどの喧騒が、狩竜に明け暮れる日々から、しばし2人を遠ざけてくれる。西から入ってきた珍しい服や飾り物。王都とはまた違った、色鮮やかな魚介の数々。有力な狩竜人が常に多数在籍し、安全を保障してくれるこの土地は、竜の脅威に近くとも活気にあふれていた。
この日は汗ばむほどの陽気。暑いからと2人が少しだけ手を離した瞬間、ソフィアはやはり迷子になりそうになる。おかげで人混みの中を、エルが大声を出して探すはめになった。引っ込み思案だったエルの性格は、そんなソフィアのおかげで日々否応なく改善されていく。
「ねえエル、なんかこっちの海って色が緑っぽくない? 王都辺りの海と色が違う気がする」
「あ、えっとね。ハイウェスラルと王都だと、海の流れが違うんだって。潮流って呼ぶらしいんだけど」
「潮流?」
「うん、海の水って大きい流れがあるんだ。それを潮流って呼ぶらしいよ。王都の辺りは北から来る流れと南から来る流れが、ちょうどぶつかる場所なんだって。それで北の魚も南の魚もたくさん獲れて、種類も豊富だって聞いた。でもハイウェスラルだと南からの潮流だけだから、獲れる魚も王都に比べると少ないんだ。その代わりに冬でも暖かいし、色が緑っぽくて綺麗なのもそれが原因らしいよ。らしいってのは、僕もちょっとチャビレット先生に聞いただけだから、そんな細かく知ってるわけじゃないんだけどね」
こういうことを話すとき、エルはとても楽しそうな顔をするとソフィアは思っていた。
「エルってさ、たまに狩竜人に向いてなんじゃないかと思うことがある」
「え、向いてないって……駄目かな?」
「あ、ごめん。えっと駄目とかじゃなくて……なんていうのかな、狩竜人に向いてないっていうか、学者さんとかのほうが向いてたんじゃないかって思ったりするの。勉強好きそうだし、実は結構頭良いし」
今では全くそんなことを思ってはいないが、出会った当初のエルはどうにも頼りなさそうだった。理力や体力がどうこうではなく、まず命を賭ける戦いに向いていない。エルの第一印象でそう感じたことをソフィアは思いだした。
「僕の知識なんて、ほとんどが最近になってチャビレット先生に教わったものばっかりだよ。学者の人と比べたら失礼なくらい、付け焼刃なものばっかりだ」
「そうかもしれないけどさ。例えばもしエルが狩竜人になってなかったら、なんとなく学者になってでも南方遠征団に入りたいって。そんなふうに考えてた気がする。エルだったら勉強すれば、そういうのもなれちゃうんじゃないかなって。私じゃそうもいかないけど」
「どうだろ。狩竜人になってよかった、としか思ってないや。もしまた小さい頃に戻って、例えば今度は勉強させてもらえるような家に生まれてても、やっぱり狩竜人になりたかったと思う」
「そうなの、なんで?」
エルは恥ずかしそうに笑い、少しだけ左手に力をこめる。言葉の意味がなんとなく分かった彼女も、少しだけ右手で強く握りかえす。
「ソフィア、船見にいこう。大きいのが入ってきた!」
「うん!」
海の近くで育ったソフィアには、大きな船など珍しくもなかった。ただエルにつられて、ソフィアも嬉しそうに桟橋に向かう。エルは巨大な物が好きらしいとソフィアは最近知った。特に人の手で造られた建物や船は、エルのなにかをくすぐるらしいと。
ハイウェスラルの港には西の諸大陸とを行き来する船だけではなく、王都周辺からやってくる船も多い。ソフィアとエルが見ていた船も、王都からやってきた船だった。そして王都からやってくる船の積荷は、主に人だ。降りてくる乗客の中に、2人は偶然知った顔を見つける。
「え、あれもしかして……チャビレット先生!」
「あ、ほんとだ! イーラさんも」
目の良い2人は、遠くの人混みの中でも知り合いの顔を見逃さない。王立研究所の学者2人が、大きな荷物を抱えて港に着いたところだったのだ。
「ソフィアさんにエルさん! 早速お会いできましたね」
いつもは大人しく、うつむき加減なイーラ。しかしこの日の彼女は、初めての船旅を終えて新たな地への1歩を踏み出した興奮で、いつもより明るい表情だった。
「おお……エル君とソフィアさんではないですか……これはこれは……偶然ですね」
いつもはしゃきしゃきと甲高い声で喋り、異様なほどに元気なチャビレット。しかしこの日は真っ青な顔で、まるで覇気がない。ソフィアとエルの顔を見つけても、力なく笑うだけだった。
「だ、大丈夫ですかチャビレット先生。どこか体の具合でも悪いんですか?」
ふらふらと倒れそうなチャビレットに、エルが慌てて駆けよる。
「はは……どうも私は船に弱くてですね。ただの船酔いですので、ご心配なく」
「あの、荷物くらい持ちますよ。そんなにふらついてちゃ危ないですよ先生」
「いえ、大丈夫……と言いたいところですが、お願いできますか? ハイウェスラルは広いですからね。協会近くに研究所の宿舎がありますから、すみませんがそちらまで。あなた方に偶然にも会えたことは幸運でした……」
「イーラさんも、荷物持ちましょうか?」
エルがチャビレットから大荷物を受け取ると、イーラの大荷物を見てソフィアが申し出る。
「いえ、お気遣いなく。私これでも鍛えてるんです。これくらいでへこたれてたら、とても遠征団なんて選ばれませんから」
そう答えるイーラは、とても前向きな顔をしていた。まっすぐに南を夢見る女性。多分、少し前の自分はこうだったはず。そんなことを考えてしまったソフィアは、少しだけイーラに嫉妬のような感情を覚える。そしてその感情が自分勝手なものだと気づき、今度は自己嫌悪のような暗い感情がわいてきた。
偶然にも再会した知り合い。せっかくの休日。楽しい時間に自分はなにを考えているのだと、ソフィアはその感情を必死に頭から振り払う。
「申し訳ない……ちょっと私は休みます。イーラ君、先に協会に顔を出しておいて下さい。ノウィールさんという女性職員がおりますので、その方にイーラさんがどこの戦団にお世話になるか、教えてもらえるはずです。あとは今日のところは自由にしてもらって構いません」
宿についたチャビレットは、部屋に入るなり倒れこむように横になる。
「はい、ノウィールさんですね。分かりました。ではチャビレット先生はお休みください」
船旅のあいだ、何日も眠っていなかったチャビレット。言われるまでもなく、目を閉じるとすぐにいびきをかきはじめる。不眠不休でも働けると言われる学者も、船だけにはどうしても弱かった。
「ノウィールさんのところに……エル、ついていってあげたほうがいいんじゃない?」
「え、いや……僕たちは研究所の関係者でもないんだし、迷惑じゃないかな」
イーラは首を傾げた。ノウィールの名前を聞いたエルが、怯えたような表情を見せた気がしたからだ。そしてそれは気のせいではない。
「あら、冷たいわねエル。イーラさん、ハイウェスラルは初めてなんでしょ? だったら案内も必要じゃない。こんな広い街を知らずに歩いたら、私じゃなくても迷子になっちゃうわよ」
「そう……だね。ソフィアの言うとおり、なんだけど……王都では僕がお世話になったんだし、案内くらいしないとね」
エルは決死の覚悟で、イーラを案内することを決断する。
「あ、あの。ありがたいんですけど……私のためにそんな」
「いいですよ、気にしなくて。それにノウィールさんて、ちょっと強烈な人ですから……まあ行く途中で話しますけど、色々と覚悟しといてください」
人見知りで特に男性が苦手なイーラは、会う必要のある職員が女性だということで安心していた。道すがらソフィアとエルがどんな人物か説明するが、イーラは正直信じられない気持ちになる。女性であるかぎり、特に問題はないはず。しかしそんなイーラの思いは残念ながら裏切られた。
「8番。シュブイール、アングイール、テリバトン、レイダーク、全て狩竜完了とのことです」
「さすが紫炎の槍だな、仕事が早い」
「12番でドギルトン発見。すでに終わってるそうです」
「了解だ。そろそろドギルトンも多くなってきたな」
「誰か9番だ! レイダーク2頭、恐らくはつがい。逃げてきた戦団が麻痺矢だけ射ち込んだらしいから、もう麻痺は通用しないと思って行ってくれ」
「なんだその報告は……どこの馬鹿だ! 狩竜人だけが逃げるなら、せめて麻痺矢の使用は控えるのが当然だろうが!」
「えっと……また例の戦団ですね。西海の新風です」
「またかあのクソ野郎ども! もういい加減帰れと言っておけ。その馬鹿たちに2度とハイウェスラルで仕事を与えるんじゃない!」
いつも通り騒がしい協会内に、いつも通りの怒号が飛び交う。その中で最も口の悪い職員が女性であることに気づき、イーラは目を泳がせていた。
「あの……ノウィールさんってもしかして?」
「ああはい、そうです。あそこで怒鳴り散らしてる女の人が、ノウィールさんです。まあ大丈夫ですよ、同じ女性には優しいはずですから……多分」
ソフィアは自信なさそうに答える。しかしその予想は間違っていた。ソフィアは同年代の女性とはなぜか仲良くなれないが、年上の女性には好かれる傾向にある。そしてそれは年上のノウィールも当てはまっていただけだった。
エルがなんとか不機嫌なノウィールに声をかけると、眉間にしわを寄せたままに3人は別室へと案内される。エルは正直ここで別れたくなったが、ソフィアがそれを許さなかった。女友達の少ないソフィアは、友人になってくれそうな女性を見つけると優しいのだ。
「ふむ、貴様が新しくきた王都の学者か。学者のくせに私の気分を害するような見た目をしとるなあ。最近はあれか? そこのソフィアといい学者のお前といい、女は見た目重視で活躍するのが流行りって風潮でもあるのか?」
イーラは地味な服装で女性らしくなく髪の毛も伸ばしたままに整えられていない。しかしその顔立ちの良さに気づいたノウィールは、男に人気がありそうだと思い自分の敵と認定をする。なんと理不尽なとソフィアは思ったが、ノウィール相手に口には出せない。助けてあげられないことに、心の中でだけ謝った。
「しかもおい、ここに来た学者ってことは南方遠征団希望ってことだろ? そんな貧弱そうな体でどうするってんだ。私も女だし遠慮なく言わせてもらうがな、女だからって特別扱いされるような甘い土地じゃないぞ、ここは」
「あ、あの……頑張って鍛えてますので」
王立研究所に所属する学者は、基本的にどこでも丁重にもてなされる。性格的に自分のことを偉い学者などとは思っていないが、想像以上にきつい扱いをされてイーラは怯えるしかなかった。
「誰だって頑張るだけならするだろ? 大事なのは結果だ。そこのソフィアだって顔が良いのは腹立たしいが、きちんと結果を出している。まあいい。お前を狩竜に同行させてもらうよう、紫炎の槍という戦団に頼んである。チャビレット先生はまた別に行動してもらうから、せいぜい1人で頑張って遠征団入りを目指してくれ」
若く世間知らずな学者を、理不尽にいじめているようにしか見えない。実際そういう面もあるが、ノウィールは有名な戦団にイーラの面倒を頼んでいた。学者も過酷な南に行きたいのであれば、実際に狩竜の現場に出で慣れなければならない。チャビレットも戦える力はないにしても、どんな強力な竜が相手でも、平然と近くで狩竜を見るくらいの経験と逃げ足はある。
「紫炎の槍、ですか……ありがとうございます!」
「王立研究所の学者も協会職員も、民の税で飯を食わせてもらってるんだ。死ぬ気で勉強しろ。ただし死ぬなよ、食われたら迷惑だ」
現在最強の戦力を誇ると言われている戦団、紫炎の槍。そこに放り込まれるのは、ひ弱なイーラにとってはどう考えても厳しい。しかしそれを乗り越えられれば、南行きはぐっと近くなる。口がとことん悪い目の前の女性職員に、それでもイーラは感謝した。
「うわ、イーラさん羨ましい。紫炎の槍かあ、私もルミライさんと1度は一緒に戦ってみたいな。イーラさんが慣れた頃に遊びにいきますから、ルミライさんと仲良くなっといてくださいね」
「え、あの……はい、頑張ります」
「なんだ、ソフィアはルミライと知り合いなのか?」
紫炎の槍という戦団は1人1人が強者揃い。その中でもジャイクスという狩竜人と、史上最強の女狩竜人と言われるルミライの2人は、圧倒的に有名だった。普段ソフィアは、自分が女であるということを特に意識して狩竜人をしているわけではない。しかし憧れるのは、やはり同性の狩竜人だった。
「いえいえ、名前知ってて憧れてるだけです」
「そうか、それは残念だ。どうもお前ら白緋の女神は扱いづらくてな。個々の能力が高いのは認めるが、3人というのは中途半端でいかん。どうせなら全員ばらばらにして、どこか適当な戦団にぶっこんでやろうか考えてたんだ。紫炎の槍と知り合いだというなら、ちょうどいいと思ったんだが……」
ノウィールは真剣な顔でそんなことを言う。狩竜人同士が組む組まないは、緊急事態を除き自由だ。しかしこの人なら強引にやりかねないと、エルが慌てて首を横に振る。
しかしソフィアは少しだけ、ノウィールの言葉に考えるような表情を見せた。今のままでは駄目だという気持ちが、彼女の心に強く浮かんでくる。しかしどうしたらいいのか、それがソフィアには分からない。迷いはさらに深まっていくばかりだった。
「ああ、そうそう。言い忘れてたが白緋の女神の3人とも昇段だ、全員1段ずつな。ガイツにも言っておけ」
ノウィールはどうでもいいような言い方をしたが、2人にとっては重要な伝達事項だった。これでソフィアとエルは20段。南方遠征団の選抜は25段以上が目安なので、まだ届いてはいない。しかし過去の例からして、20段あれば選ばれる可能性がある。そのことを2人はガイツから聞いて知っていた。
いよいよ、夢がただの夢でなくなっていく。




