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少人数でのルヴィリスイール狩竜。銀の鍵という名の知られた戦団との共闘。それらは協会からの信頼を一気に勝ち取る結果となり、白緋の女神は南の地で、順調な滑りだしをしたと言えた。
まだ2月だというのに徐々に増してくる暑さにも慣れ、3人は日々押し寄せてくる竜との戦いに明け暮れている。
たが問題はあった。ソフィアの様子がおかしかったのだ。
理力が漏れないという、半ば反則的とも言える体質。それは付加理力と放出理力を全く使ないとしても、その欠点を補って余りある長所。疲れを知らず息が切れない。それは竜を相手に常に緊張を強いられる狩竜人にとって、とても有利な要素となる。体の疲れは思考を鈍らせ、集中力を奪う。
それがソフィアの場合は高い集中力を保ったまま、長時間竜と対峙できる。ソフィアは生まれ持った理力量も高く、反射神経も常人離れしている。目と耳も良い。まだまだ経験が足りないとしても、それだけで充分ハイウェスラルで通用するはずだった。
それがルヴィリスイール戦以降、出足が鈍り思いきりが悪くなっている。疲れというわけではない。ソフィアが疲れるような狩竜なら、ガイツはその前に倒れている。エルもソフィアに比べれば、全力で動き回れる時間はずっと短い。
しかし男2人は元気で、ソフィアだけがおかしかった。そしてそれは、日を追うごとに良くないほうへと向かっていた。
「ソフィア退くな! 回りこまれるぞ」
白緋の女神はこの日、ハイウェスラル以南でしか見かけない竜と遭遇していた。尖鱗竜ドギルトン。細かく針のように尖った鱗で覆われた2足歩行の竜だ。
ドギルトンは2足の竜種の中では大きめの体を持つ。人の背丈の3倍近い体高があり、頭の位置だけならレイダークより高い。細かい鱗は触れただけで出血をまぬがれないほど鋭く尖り、近づくことも恐ろしい。銀糸竜ほどではないにしろ、ボウガンの矢が通りにくいのも厄介な点だ。ただ白緋の女神のように、あまり麻痺矢に頼らない戦団とは相性が良いはずだった。
相手が硬かろうが大きかろうが自分の光球で視界を奪い、どんな相手でも近づくことを恐れないソフィアとエルに攻撃を任せる。ドギルトンに遭遇した際にガイツはそう考えた。しかし考えた通りにことは運ばない。
「ソフィア下がって! 僕に任せて」
「駄目だエル。1人で行くな!」
ソフィアが前に出るのをためらっているのを見て、エルが2頭に突っ込んでいく。しかし1頭を狙うと、もう1頭が守るように動きだす。尖った鱗で体当たりをしてくるドギルトン。エルはなんとかかわしたものの、攻撃を諦め距離を取るしかなかった。
ドギルトンは群れを形成することはないが、常に雌雄のつがいで行動する。仲睦まじい竜の夫婦は、互いを絶対に見捨てたりはしない。その性質は弱点でもあり、厄介でもあった。相手の動きが予測しやすく、片方を狩ってしまえばもう片方も狩りやすくなる。しかしその片方を狩るまでに2頭が連動して動くので、1頭だけを狙った攻撃をさせてもらえないのだ。
「いったん2人ともこっちに来い! まとめて一気にいくぞ」
ソフィアとエルが走ってガイツに近づく。2頭の視線は重なったところでガイツは光球を放ち、まとめて目を潰した。エルが飛びだし、黒藍の剣がドギルトンの脚を切り落とした。しかしいつもならここで来るはずの、白緋の追撃がない。普段なら誰よりも素早く反応しているはずのソフィアは、エルよりも若干遅れて飛びだしていた。それはほんのわずかな遅れだ。しかしその少しのずれが、2人の連携に支障をきたす。
結局エルがその場に留まり、ドギルトンに止めを刺す。それを見たもう1頭が怒り狂い、エルは慌てて逃げだした。ただ残り1頭になってしまえば問題はない。
ガイツは冷静に鱗の薄い脚の付け根を狙い、ボウガンを放って動きを止める。エルは逃げるのを止めて反転し、残りの1頭に切りかかった。そしてガイツもボウガンは投げ捨て、ドギルトンの後ろから片手剣で切りつける。尖った鱗が切り裂かれ、おびただしい量の血が流れだす。2頭のドギルトンは最後まで寄り添うように離れず、そのまま動かなくなった。
「あの……ごめんなさい」
狩竜の後始末をしながら、ソフィアはうつむき加減で謝る。そこに普段の明るさはなかった。
「別に謝ることはない。2人とも初めての相手だろうが。言っとくけどな、お前ら初めて見た相手でも平気で突っ込んでくが、そっちのがおかしいんだぞ。慎重すぎるくらいでちょうど良い」
ガイツはわざとぶっきらぼうな言い方で、ソフィアを慰める。しかし内心では、明らかにいつもと違うソフィアを心配していた。確かにソフィアは普段、傍から見たら無謀に思えるような攻撃をする。しかしそれが、彼女にとっては充分見極めて上での行動であることをガイツは知っていた。高い集中力を保ったまま、息も切らさず全力で動き続けられるソフィア。ガイツは彼女を、他の狩竜人と同じ基準で考えたりはしていない。
ルヴィリスイール戦以降、ソフィアが調子を落としていることをガイツは薄々感じていた。ただ元々の能力が高いので、気にするほどではないと思っていた。若干落ちた程度では問題にならないくらい、ソフィアは元々の動きがずば抜けているのだ。
「明日は休むぞ。まだ2月だってのに暑いしな、さすがに俺も疲れがたまってきた」
ソフィアもエルも体力と理力が優れているだけに、自分たちから休みたいとは言いださない。ソフィアを休ませたいという気持ちが強かったが、ガイツは自分がさも、そうしたいという言い方をした。いくら素質に優れていてもまだ2年目。体は大丈夫でも、心が緊張の連続で疲弊するということもある。ガイツはさすがに無理をさせすぎたのかと、反省していた。
そしてガイツですら気づいている、ソフィアの調子の悪さ。当然エルも気づいている。
「エル、明日どうする? まだ全然行ってないところもあるし、一緒に色々見て回らない?」
「うん、そうしよう。港のほうとか、まだ全然行ってないもんね」
狩竜を終えて街に戻ってきたソフィアは、いつも通り明るい表情に戻っていた。しかしエルからすると、普段とは違うように見えてしまう。どこがどうと言われても、言葉にはできない程度の違い。ただ暇さえあればソフィアの顔を眺めているエルには、はっきりとした違いだった。
ソフィアとは逆に、エルは自分でも分かるほどに調子が良かった。そしてそれは調子だけではなく、実力の底上げからくる結果でもある。成長期が終わり、縦に大きくなっていたものが、今度は横に大きくなっていく。元々優れていた腕力は、さらに力強さを増していた。王立研究所で学んだ知識も狩竜にしっかり活かされている。そしてなにより、ソフィアとの関係が変わったことが、エルをより一層強くさせていた。
「ソフィア、入っていい?」
この日は珍しく、エルからソフィアの部屋を訪ねる。
「どうぞー。別に私の部屋に入るのに、遠慮しなくていいじゃない」
笑顔で迎え入れるソフィアに、エルは苦笑する。男として色々と自制しなければならないので、なるべくソフィアの部屋に入るのは避けているのだ。それを分かってほしかったが、ソフィアのほうは遠慮してくれない。ベッドに腰かけると甘えるようにすり添ってくる、我慢という言葉を繰り返し心の中で唱えながら、部屋に入ってきたエル。しかし腕と腕が少しふれただけで、その言葉は霧散してしまう。エルはソフィアの手を取り、軽く握った。
ぎゅっと手を握りかえして、嬉しそうに、恥ずかしそうにソフィアが笑う。2人の額がコツンとぶつかる。唇と唇が重なりあう。
パスラルの協会で初めてして以来、もう何度目か数え切れないくらいした、軽い口づけ。ソフィアの顔はもっと嬉しそうになり、もっと恥ずかしそうに笑う。これ以上は駄目だと思い、エルは距離を取ろうとした。しかし自分の意思とは裏腹に、ついソフィアの腰に両手を回してしまう。少しだけ抱き寄せ、少しだけ深い口づけ。甘く柔らかい唇が、エルの理性をこなごなにする。
「ん……あっ……」
唇が少しだけ離れた瞬間に、ソフィアの口から甘い声が漏れだす。もう1度、顔と顔の距離をなくした2人。軽く、次は深く、そしてもっと深く、舌と舌が絡みあう。吸い寄せられて離れない。離れられなかった。ソフィアの両手がエルの首に回る。もっと欲しいという言葉の代わりに、エルの頭を抱え込む。そしてエルの両手が腰をさらに抱き寄せると、ソフィアは力なくベッドに倒れこんだ。
鍛えられた分厚い体がのしかかる。ソフィアの体が圧迫され、呼吸が苦しくなる。重たいだろうと気を遣ったエルが、両肘をついて体を起こそうとする。でもソフィアはそれを拒んだ。広い背中に両手を回し、2人の隙間はまたなくなる。その重みを感じることが、ソフィアはとても好きだった。息ができないくらい、潰れそうなくらいに、ぎゅっと抱きめてほしかった。
エルはそれに応えてしまう。ぎゅっと抱え込んで、もう今日だけで何度目か分からない口づけを交わす。長い長い口づけ。そして今度はソフィアの唇ではなく、その少し下をエルの唇が這う。あご、首、鎖骨。それはだんだんと下に向かっていく。これ以上は駄目だとソフィアは思うが、頭も体もしびれたように動かない。全てを受け入れたくなってしまう。
まだ2月でも、ハイウェスラルは暖かい。鎖骨の下までエルの唇が達し、薄いソフィアの服が少しだけずれてしまう。日焼けしていない白く柔らかい部分が、少しだけ露になる。
「あっ……エル、待って……だめ、だよ」
その言葉にようやく理性を取り戻したエル。慌てて体を起こす。
「ごごご、ごめん! あ、いや……その、そんなつもじゃ……いや、そんな……つもりでも、あるんだけど」
つい正直な気持ちが言葉に出てしまう。起き上がった2人は、ベッドに並んで座りなおした。もうこれ以上は我慢できそうにないと、エルはわざと少しだけ距離を空ける。
「ごめん、我慢……させちゃってるよね?」
我慢という言葉では足りないくらい、頭も体も熱くなったままだ。エルはソフィアに隠れて自分の太ももを強くつねる。
「いや。大丈夫、大丈夫だから」
2人は以前に少しだけ話し合ったことがある。今はまだ我慢しなければいけないと。1度でもそうなってしまえば、もう2度と歯止めは効かなくなりそうだった。一緒に南方遠征団に選ばれるという夢がある以上、万が一の可能性も許されない。
「あのね、エル。えっと……そのね。できにくい日ってのが、女の人にはあるの。だから、その日なら……」
顔を真っ赤にして、ソフィアはそんなことを言う。エルは慌てて首を横に振った。
「だ、だめだよ! そういうことはちゃんとしないと! えっと……本当に大丈夫だから。ソフィアのこと好き……だから、大事にしたい」
ただでさえ我慢の限界が近いのだ。ソフィアのほうからそんなことを言われると、理性は音を経てて崩れ落ちそうになる。
幼い頃は娼婦に世話になっていたおかげで、実践はなくとも知識だけはあったのだ。健康な自分と健康なソフィア。して、できない理由がない。我慢しているのは確かだが、大事にしたい想いも確かだ。エルは大きく深呼吸を繰り返し、ソフィアの部屋を訪ねた理由を思いだす。押し倒しにきたわけではないのだ。
「あ、えっとさソフィア。もしかして最近、体調が良くないとかある? ほら、この前まで冬だったのに、急に暑いところにきたじゃない」
一瞬だけソフィアは黙り、またすぐに笑顔に戻る。
「え? 全然そんなことないよ。むしろ絶好調よ。まあ今日はちょっと失敗しちゃったけど、ドギルトンは初めてだったしね。無理に突っ込んだりしないようにって考えてたら、出遅れちゃったわ。でもドギルトンって、本当に仲が良い夫婦だったわね」
ソフィアは嘘をつかない。自分でも上手く嘘をつくのは無理だと思っているので、つかないというより、つけないが正しいかもしれない。ソフィアは隠しごとをしない。嬉しくても悲しくても、すぐに表情に出てしまうので、しないというよりは、やはりできないだけかもしれない。
「そっか、ならいいんだけど。変なこと言ってごめん。明日、どうしようか。やっぱりまずは港のほうへ行ってみる?」
そのソフィアが、下手な隠しごとをした。素直すぎる表情と少しだけ暗い口調から、エルはそれが分かってしまう。なぜ、どうして隠すのだろう。そう思ってしまったエルの心に、少しだけ暗い影が落ちた。
どんなに大切な人でも、どんなに好き合っていても、話したくないことだってある。それはエル自身も経験のあることであり、理解していた。ただ理解していることと、それを嫌だと思う気持ちは、矛盾していても一緒に存在してしまう。ソフィアがなにを思っているのか聞きたかった。ただエルはソフィアのように、なんでも素直に聞ける性格ではない。
「うん! 楽しみだね。ハイウェスラルってすっごい広いもんね、私びっくりしちゃった。王都よりもずっと広い街なのに、それでも人が多く感じるってことは、本当にたっくさん人がいるってことよね」
「そうだね。暑いのって暮らしにくいかと思ってたけど、寒いよりも全然いいかもしれない。だから人が集まるのかも」
「私も暑いのどうかなって思ってたけど、全然気にならないや。まあ夏になったらわからないけどね。でも寒いよりもいいかも。着込まなくていいから動きやすいし」
「寒いと厚着になっちゃうけど、結局狩竜の最中に暑くなって脱ぎたくなるもんね。僕もこれくらいで、最初から薄着のほうがいいや」
いつもと同じ他愛のない2人の会話。いつまでも2人でいたくなるが、少しだけ話が途切れたのを見計らって、エルは腰を上げようとする。
「じゃあ、そろそろ行くね」
「うん、おやすみ。また明日」
立ち上がったエルに、ソフィアが軽く口づけをする。そんなことをすれば名残惜しくなってしまう。2人はまた軽く抱きしめ合った。少しだけ、軽く。そう思っていても離れられなくなってしまう。
2人の肌がしっとりと汗ばむくらいに長く長く抱き合って、それからようやくエルは部屋を出ていった。
大きな背中を見送ったあと、ソフィアは大きな溜め息をついてベッドに倒れこむ。自分の下手な嘘はエルに見抜かれている。それに自分でも気づいていた。ただ、話せなかった。
ガイツも気づきエルも気づいているソフィアの不調。それは当然、ソフィア自身も分かっていることだった。きっかけはルヴィリスイール狩竜の際、思ったよりも足が前に出なかったこと。そこで初めて、自分の心の変化を知ってしまう。
幼い頃から狩竜人になることを夢見て、南に行きたいという思いを持ち続けてきた。そして同じ夢を持つエルと出会い、ますますその思いを強くしていた。そのはずだった。
エルと一緒に南へ。それが想いが通じ合ったことで、エルと一緒に、という部分だけが強調されている。それに気づいてしまったのだ。
南へ行きたいという気持ちは変わってない。しかしもっと大切なことができてしまった。もし南に行くかエルと一緒にいることを選べと言われたら、迷うことなくエルを選ぶ。その2つは並べて比べるようなことではない。しかし不器用なソフィアは、ついそんなことを考えてしまう。
この気持ちを、エルには絶対に知られてはいけない。ソフィアはそう思っていた。もし知られたら、エルは自分のせいだと考えてしまう。そうではないのに、そんなふうに思われたくなかった。逆の立場だったらとソフィアは考える。もし自分の存在が理由でエルが不調に陥ったら。きっと理由の中身に関係なく、自分のせいだと思って落ち込むだろう。そう思うと口にはできなかった。
エルのことが大切で大切で仕方がない。それなのにエルに出会ったことで弱くなっている気がして、ソフィアはそれが嫌で嫌で仕方がなかった。今は熱に浮かれているだけ。きっとまた、心から南に行きたいと思える日がくるはず。そう思って、ソフィアは悩みを1人で抱えこんでいた。
2人でゆっくり暮らせたら。そんな考えが頭を一瞬でもかすめたときから、ソフィアは臆病になっていた。
ソフィアと想いが通じ合ったことで、エルは狩竜人として強くなっている。
そしてエルと想いが通じ合ったことで、ソフィアは狩竜人としては弱くなっていた。




