表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ドラゴン・イェーガー ~狩竜人賛歌~  作者: 井藤 きく
8章 少年と少女は知る
64/94

8-6

 

 ここが協会であるとか人前であるとか、ソフィアはそんなことなど忘れていた。もう我慢ができなかった。ローキットがなにやら言っていたが耳には入らず、ただエルの顔だけを見つめていた。


 突然のことに呆気に取られていた周囲の人たちだが、誰ともなしに拍手を送りはじめる。それは皆の予想を覆し、どうやらパスラルの街で1番もてる男に勝利したらしいエルへの賛辞だった。その状況にいたたまれなくなり、エルはソフィアの手を取り協会を抜けだした。


 小さな右手と大きな左手。指と指が絡み合う。


「ソフィア、なんでここに……いや、あの、えっと」


「えへへ」


 まさか全て聞かれているとは思っていなかった。混乱と困惑と、照れと喜びと。色んな感情が入り混じってエルは言葉が出てこない。しかしもう言葉はいらなかった。ソフィアも相変わらずの緩みきった顔で笑うだけ。あらためて顔を見合わせると、互いにだんだん気恥ずかしさが募ってくる。2人は顔を真っ赤に染めたまま、ゆっくりと家路に着く。絡んだ2人の指と指が、言葉の代わりに会話していた。





 ソフィアは気づいてないようだが、エルはソフィアの家の使用人が協会まで来て様子を見ていたことに勘付いていた。2人が帰ってきてもローキットのことは一切聞かずに笑って迎えたリータフとアマル。その様子から完全に知っているのだとエルは気づいて冷や汗をかいていた。口に出さないで放置してくれる優しいソフィアの祖父母に感謝するしかなかった。


 この日の食卓はこれまで以上に豪華なものが並ぶ。その理由にソフィアだけが気づいてなかった。


「ソフィア、誕生日おめでとう」


 リータフから祝いの言葉をもらってようやくそれに気づく。そしてエルが1人で買い物に行きたがった理由もようやく知る。アマルから誕生日を聞いたエルは贈り物を選ぶため、珍しくソフィアの同行を断ったのだった。ソフィアはあまりにも嬉しいことが続きすぎて、不安になるほど幸せだった。なにかこの先の幸運を全て一気に使い切ってしまったような気分になる。でもそれは幸運ではない。ただ2人の重ねてきた日々が、その場所にたどりついたというだけだ。


 エルは2人になったときを見計らって、両手に1つずつもった包みをソフィアに差し出す。1つは前日に用意したもの。1つはずっと前に渡せなかった白緋鉱の首飾り。少女とは呼べなくなった18歳の女性には、その2つは少し子どもっぽい飾りだった。しかしソフィアはありがとうの言葉につまってしまうほどに喜んで、大事に大事に身につける。


「あのね。エルってもしかして、自分の誕生日知らない?」


 協会で自分の狩竜履歴を出してもらうとき、生まれ年のみで身分を確認してもらったのにソフィアは気づいていた。普通は名前と生まれた場所と生年月日まで言う。


「うん、生まれ年は間違いないとは思うんだけどね。それ以上は知らないんだ」


 イリシアの人別帳はしっかりとした管理をされている。人の数が把握できないと竜種による被害が正確に分からない場合があるから国は絶対にそこを怠ったりはしない。1人1人、生まれた場所と親の名前と生年月日は基本的に記録されている。しかしエルは生年は分かっていても生まれた日付けは届けられておらず自分でも分からないままだった。親が親だっただけに誕生日など忘れられてしまっていたのだ。


「そっか、じゃあ私が決めてあげる。今日……でもいいけど、明日にしよう」


 きっと一緒の誕生日でも嬉しいけど、嬉しい日が2回あったほうがいい。そんな理由だった。


「いや、誕生日ってあとから決めるもんじゃないような」


「いいの、もう決めたわ。この時期なら狩竜に出てることも少ないだろうし、毎年2日続けてお祝いするのよ。いや?」


 エルは笑って首を振る。 


「嫌じゃないよ、ありがとう。でも1日だけだけどソフィアのが年上なのか」


「そうっ、だから私のがお姉さんね」


 誕生日という言葉は、これまでエルにとって関係のないものだった。少なくとも良いものではなく、むしろ暗く濁った親との過去を浮かび上がらせる言葉でしかなかった。それが無邪気に笑うソフィアのおかげで、あっという間に大事な日へと変えられていく。


 



「姉さん久しぶり。相変わらず元気そうで」


 翌日。王立学院も休みに入ったソフィアの弟、コーディが帰ってくる。


「コーディ! お帰りっ、相変わらず生意気そうね。このこのっ」


 コーディはソフィアより頭1つほど背が低い。エルは事前に聞いていなければ、3つだけ年下だとは思わなかっただろう。それくらい小柄な少年だ。


「エルさんですね。初めまして、コーディ・ワイスと言います。いつも姉がお世話になっているそうで」


 ソフィアに頭をぐちゃぐちゃと撫で回されながらも、コーディは姿勢を正したまま冷静な表情でエルに挨拶をする。見た目は完全に子どもだが、まるでソフィアの親かのような態度。エルも失礼があってはいけないと、なんとか丁寧にあいさつを返した。


「こんな姉が狩竜人としてやっていけているのは、エルさんとお仲間のガイツさんのおかげだと家族一同とても感謝しております。僕は姉が家を出るのはとても心配で反対していたのですが本当に……ちょっと姉さん、いい加減にしてくれないかな」


 ソフィアは弟にまとわりつくように撫でたり抱きしめたりを止めない。久しぶりに会ったが姉はこんな人物だったかと弟は呆れてる。人として様子がおかしい。冷静な弟は緩んだ顔の姉を見てそんなことを思った。前日のことに加えて弟との久々の再会。ソフィアの感情は色々と振り切れていた。


「エルさんはとても素晴らしい体格をしておられますね。姉さんの手紙の通りです。さすが、1年目から活躍する狩竜人でいらっしゃる」


 ソフィアは家を出るときに条件として月に最低1度以上は家族宛てに手紙を書くことを義務づけられていた。最初の2ヶ月はそれをしっかり守っていたソフィアだが、4月になってエルに出会ってから手紙の数はおかしくなっていた。条件を提示したソフィアの母親は、なにも家族全員に書けと言ったつもりはなくリータフの元に1通届けばというつもりだった。しかしソフィアは月に1度どころか酷いときには10日に1度の頻度で家族全員に手紙を書いていた。手紙の代金はかなり洒落になっていなかったが、おかげでエルのことはソフィアの家族に全て筒抜けだった。


「あ、ありがとうございます」


 エルは小柄な少年のとても立派な物腰につい敬語になってしまった。顔立ちはそっくりで姉弟なのは疑いようもないはずだが、本当にソフィアの弟なのかと疑問に思ってしまう。


「そういえば先日チャビレット先生の講義を受ける機会がありました。姉さんはチャビレット先生と面識があるそうですね。おかげで声をかけていただき個人的にお話することもできましたよ。あんな著名な竜学者と知り合えるなんて狩竜人である姉さんが初めて羨ましいと思いました」


「へえ、あの人やっぱ有名なんだ。でもちょっと変わってるわよね。話がくどくて無駄に長いのよねえ」


「姉さん……チャビレット先生は偉大な方です。竜学と理力学で違いはありますが、僕らのおじいさまと同じくらい権威のある学者なんです。そんなどこにでもいる人みたいに扱わないで下さい」


 チャビレットのことが話題に出て、エルは王都に行きたいという気持ちを思いだす。ただ行くなら少しでも時間をかけて学びたい。少しだけ未練の残る目でソフィアを見る。ソフィアはそれに目ざとく気づく。


「エル、チャビレット先生のとこに行きたいんでしょ。エルはずっと普通に勉強したかったのよね。行こうよ王都。私も行くから」


「いや、でもソフィアは家族と一緒にいないと」


「お父さんもお母さんもあっちにいるからついでよ。せっかくだしエルは色々教えてもらいなよ。私は勉強嫌だし邪魔にならないようにしてるから」


「姉さんも少しは勉強して下さい。上を目指す狩竜人なら理力と体力だけでは駄目ですよ」


 エルは不思議に思う。なぜソフィアは自分のことをこんなに正しく理解してくれるのだろうと。ただひたすらに感謝しながらエルは王都へと向かうことを決めた。






 フェネラル近くの丘陵地帯。起伏が激しいその一帯はよく狩竜人の鍛錬に利用される。


「おらあっ、さっさと立てや!」


 ダンビスの怒号が飛ぶ中、鋼の扉の若手たちは必死の形相で走り回る。


「ほら、まだ行けますよ。無理だと思うから無理なんです。これくらいで駄目ならどうせ狩竜で死にます。竜に食われるくらいなら今ここで死んで下さい」


 ウィクラスが丁寧な口調で若手を煽る。冬の厳しい日々こそが、フェネラルの街を支える戦団たらしめていた。そして倒れるまで走らされている若手たちの先頭を行くのは、鋼の扉の団員ではなくガイツだった。


「ガイツさんのおかげで俺らいい迷惑ですよ。23段の狩竜人が混ざってたら余計に厳しくなるじゃないっすか」


 2年目の狩竜人クライオンは、明らかに昨年よりも厳しい鍛錬になっている原因に批難の目を向ける。多少ヴィスタの恋人という恨みもあったかもしれない。


「すまんクライオン、分かってはいるんだが俺も必死なんだ」


 ガイツは冬の間も精力的に動くと決めていた。あの2人は放っておいても鍛錬は欠かさない。倒れるまで平気で走りまわるのだ。自分を限界まで追い込める努力ができるのも、あの2人の才能だと思っていた。そんな2人と一緒にハイウェスラルに向かう。生半可は覚悟では駄目だと思ったガイツは、自分を厳しく律するためにダンビスに頼み込んで鋼の扉に一時参加させてもらっていた。


「おいおい、そんなへっぴり腰でハイウェスラルに行こうってのか。またすぐに逃げ帰ってくるつもりかっ」


「さすが光球の使い手ですね。この程度でも充分なんでしょう。攻撃はあの2人に任せておけばいいなんて楽なものです」


 ダンビスもウィクラスも非常に優しかった。他の若手と変わらず容赦なくガイツを鍛えてくれる。他の若手たちが冬でも少しだけある依頼と鍛錬、そして休みを繰り返しているのに、ガイツは毎日欠かさず鍛錬に参加して、ぼろぼろになるまで自分を追い込んでいた。





「ガイツ君、毎日頑張ってるみたいね。でもそんなだとヴィスタちゃんに逃げられちゃうわよ。またハイウェスラルに行くんでしょ? 冬の間くらいしっかり構ってあげなさいね」


 この日のガイツは久々に協会待機の依頼が回ってきていた。冬期でも念のため待機組の仕事はある。


「シ、シロノさん。なんでそのことを……」


「この前ソフィアちゃんが来たときに全部喋ってったわよ。ガイツさんとヴィスタがって羨ましそうにね。ここの職員は全員知ってるわ」


 ガイツは協会付きとして何年も働いていたのだ。フェネラルの職員なら当然、全員が顔見知りだ。ヴィスタのことを妹だとしか思っていないと公言していたガイツは、途端に恥ずかしくなってくる。


「くそ……いやまあ喋るなとは言ってなかったが」


「まあそんな噂話が流行るのも平穏無事な証拠ね、いいことだわ。ちなみに最近流行りの噂はソフィアちゃんとエル君のことね。フェネラルだけじゃなくてイリシア中の協会職員が噂してると思うわ」


「まあ1年目からあれだけ目立てば当然ですね。どこでも噂になっておかしくない」


 しかしシロノの言う話題とは残念ながら狩竜の活躍でのことではなかった。


「それもあるんだけどね、違うのよ。ふふっ、あの2人ね、パスラルの協会でとうとう……ああ、私の目に狂いはなかったわっ。なんて素敵な出会いを私は導いてしまったのかしら」


 協会同士は情報のやり取りを頻繁に行っている。それはもちろん基本的に竜種の活動報告であったり、各街の狩竜人の戦力状況を確認するための報告であったりするのだが、中にはどうでもいい情報も混ざってくる。そのどうでもいい情報の中にパスラルの協会で起きたある男女の事件も含まれていた。


「あの、シロノさん。違うってあいつらは一体なにを?」


「それがね。エル君がソフィアちゃんに協会内で堂々と愛の告白をしたらしいの。しかも王都付近じゃ有名な狩竜人にエル君が掴みかかってソフィアちゃんを奪い合ったらしいのよ! あの大人しそうなエル君がそんな情熱的な……そしてエル君が勝利して2人は人目も憚らず熱い想いをぶつけあって……ああ、そんな美味しい場面なら私も絶対見たかったのにっ」


 実際にはただの口論だったのだが、それはかなり誇張された状態でフェネラルに伝わっていた。嬉しそうに語るシロノに、なにをしてくれてるんだとガイツは肩を落とす。


 ガイツはソフィアとエルに4つの注意事項を与えて休暇に送り出した。1、無理な鍛錬はせず体を休めること。特にエルは成長が落ち着くまではあまり体に負担をかけないように。2、もし有名な狩竜人や南方遠征団の選抜に関係するような協会関係者に会ったら、積極的に声をかけて名前を覚えてもらうこと。3、逆に変なことをして悪い意味で名前を売らないように。4、あまり無駄遣いしないこと。


 4番以外は特に心配していなかったし、それも金持ちのソフィアに家に滞在するのだから問題はないだろうと思っていた。冬は王都周辺に狩竜関係者が集まってくるので、ソフィアがあの有名なリータフ・ドナルグの孫ということもあって2番はかなり期待しているくらいだ。そして3番に関しては、普段の素行が悪いわけではないので絶対心配ないだろうと思っていた。


 それがなぜ。有名な狩竜人に挑みかかったとはどういうことだと。だれがそんな形で名前を売れと言ったんだと。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ