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ヘビのような姿でヘビのように動く、しかし人はそれを竜と呼ぶ。
翼を持ち羽が生えトリのように飛ぶ、しかし人はそれも竜と呼ぶ。
竜と他の生物で最も異なるのは『理力』を扱うということ。生きとし生けるもの全てに理力は備わっているとされるが、ほとんどの生物の有する理力量はとても小さい。
大きな理力を扱う生物は人。そして竜種だけである。
人は他の生物に比べれば比較にならないほどの理力を備えているが、竜種は人とは比較にならないほどの理力を備えている。人は理力を操り自らの肉体の能力を高め、手に持つ武器に理力を流し込み威力を高め、放つ矢に理力を纏わせ貫く力を高める。竜種との圧倒的な力の差を埋めるために知恵を絞り、肉体と、そして理力を鍛えて狩竜人は竜に挑む。
竜種の持つ圧倒的な理力を人が一番体感できる瞬間、それは修復能力を目にしたときだろう。内臓まで達する深い切り込みを入れても、竜の理力は僅かな時間で傷を塞ぎきる。それは表面上の傷だけではなく傷ついた内臓まで完全に修復してしまう。ボウガンの矢を深く突き刺しても次の瞬間には矢が刺さった部分の肉が盛り上がり、矢が押し出された上で傷は塞がってしまう。人間が放つ矢など体躯の大きい竜にしてみれば、すぐに痛みの無くなる小さな棘が刺さった程度のものだろう。
瞬時に傷を修復する能力は人には到底真似のできない特徴だ。細やかな理力操作が得意で理力量も多い一部の人が、回復を早めるために理力を使った治療を施すことはある。それは1ヶ月かかる大怪我を1週間で完治させる、1週間かかる傷を1日で治す。それくらいが限界だ。人が大型竜の攻撃をまともにもらえば運が良くて重体、普通は死ぬ。骨の1、2本で済むとしたら、それはきっと日々鍛えた狩竜人だけだ。そして動けなくなるほどに傷を負ってしまえば、あとは竜の餌となるだけ。
イリシア大陸の人々は誰であれ竜に食わることを最も恐れる。死生観や宗教の問題ではなく、竜種だけが持つ特徴のせいだ。
人を食った竜は、元々高い理力が何倍にも膨れ上がる。何倍にも、といっても正確に理力を測ることはできないので人々の経験に基づく推測でしかないが、人食い竜は疑いようのないほどに明らかに強くなる。それまで鉄剣で切れていた鱗が硬化して全く刃が通らなくなる。今までは刺さっていた矢が弾かれるようになる。放置された人食い竜が大きい体をさらに何回りも大きくして、人里に何度も現れ人を食う。人食い竜は食っていない同種に比べて危険度が跳ね上がってしまう。
狩竜人協会が狩竜の人選に最大限の注意を払うのはそのためだ。確実に倒すか、もしくは無理と判断して逃げることができる狩竜人にしか依頼はしない。逃げることは不名誉ではない。狩竜人にとって不名誉とは竜の人食いを止められないこと、そして何より自らが竜に食われることなのだ。狩竜人ではない普通の人々でもそうだ。自分が食われたせいで危険な人食い竜を生み出し、大切な家族や友人が犠牲になる。そのことを思えば崖から飛び降りてでも食われない道を探す。そういった考えもイリシアでは普通だ。
「あーもう、治っちゃったじゃないの」
ハルバードを構えなおすソフィアは、エルとのわずかなやりとりの間に完全に回復したネスアルドを見て愚痴をこぼす。
「や、まさかソフィアさんがそんなに強いとは……」
「話はあとっ、今度は邪魔しないで」
そういって大地を蹴ったソフィアは再び真正面からネスアルドに飛びかかる。今度は自分の胴で半円を描き、回り込むように彼女の動きを封じようとするネスアルド。ソフィアは回り込まれても意に介さず、柔らかい森の地面をえぐるほどの蹴り足で進む。ハルバードを大きく振りかぶり、胴に比べればかなり細い尻尾を断ち切った。完全に切り落とされた尻尾の部分から血が噴き出すよりも早く、彼女は次の動きに入る。
怯むことなくソフィアに牙を向けるネスアルドに、今度は走り抜けざまに左目の部分を切りつけ、そして横から短い左前肢を狙ってこれを切り落とす。さらに胴を突き刺しハルバードを振り上げると、そのまま同じところに振り下ろす。寸分違わず同じところを、というわけにはいかず若干狙いは逸れるが、ネスアルドの胴体は皮一枚がかろうじて繋いでいる状態だ。いくら闘争本能の高い竜種でも、皮一枚繋がっているだけの状態ではまともに動けない。尻尾と左前肢を切り落とされたネスアルドは逃げることもできず、それでもまだ絶命せずに緩やかだが動きを止めないようとはしない。切り落とされた部分に薄皮が張り大量に流れていた血が止まる。動けないままに皮一枚繋がっていた部分の修復が始まるが、ソフィアは再びハルバードを振り下ろして止めを刺した。
真っ二つに切り分けられたネスアルドは完全に動きを止める。それでもソフィアは、そして見ていただけのエルも警戒は解かない。完全に動きを止めたはずのネスアルドの頭部に、彼女は軽くハルバードを突き刺す。そこに残酷だとか可哀想だとかいう甘い感情は一切ない。竜種の、特に体の大きな竜の生命力は尋常ではない。首を落とすか修復が始まらないことを確認するまで完全に殺しきる。そこまでやって初めて狩竜の完了なのだ。万が一でも生きていましたは許されない。頭部についた傷が修復しないことを確認してようやく彼女は竜から視線を外した。そしてどうだと言わんばかりの得意気な笑みでエルのほうに向き直る。
「どうだっ、私に任せておきなさいって言ったでしょ」
どうだと言わんばかりの得意気な顔。しかし実際どうだと口にする人は珍しいかもしれない。
「は、はいっ本当にすごかった。あのえっと……すごくて、色々と」
エルは相変わらずのすさまじい口下手っぷりだが、ソフィアは気を悪くしたりはしなかった。エルが笑顔だったからだ。
そして気づき始めてもいた。狩竜の最中に危ない邪魔、と怒鳴った。全力で飛ぶように走った彼女が、邪魔に思うほどの距離を保ってエルも動いたのだ。フェズの村までの移動で理力と体力は半端じゃないと分かっていたが、前後左右に跳ね回る彼女に引っ付いていられるほどの身軽さまで持っている。ソフィアはシロノの言葉を思い返す。ネスアルドもあなたたちなら問題ないと言ったのだ。ソフィアなら、ではなく。
エルの方はといえば必死に言葉を考えている。彼は口下手であっても無口ではない。無口に見えるのはいちいち言葉を探して台詞を考えて話そうとするせいで、話し始める機会を失ってしまうからだ。そして頭も悪くない。ただ極端に他人と話した経験が少ないだけなのだ。彼女と話をしたい、話をしないと。そんなふうに考えていると、男性の悲鳴が上がった。
「助けてくれえっ、蛇竜だっ」
2人は同時に地面を蹴った。