1-1
午前10時を告げる鐘がフェネラルの街に響き渡る。
ソフィアは鐘の音に気づき、あまり寝心地の良くないベッドから跳ね起きた。必要なものだけ肩掛け鞄に雑に詰め込んで肩より少し長い栗色の綺麗な髪を後ろで縛る。顔立ちは整ってはいるがまだ美しいよりも愛らしいという表現が似合う17歳の少女。鏡を眺めて見た目を気にしたいところだがそんな余裕はなく、身支度もそこそこに宿を飛び出す。
出掛けに宿の女将から宿代の前金を催促されたが笑ってごまかして、狩竜人協会へと走り出す。金に厳しい女将をごまかせてなどいなかったが、とにかく急がなければとひた走る。
早朝と日暮れ前にはうるさいほどに賑わう狩竜人協会もこの時間は閑散としている。街で最も大きい建物と敷地を誇るだけに人が少ないときの静けさは際立つ。ソフィアは狩竜依頼窓口に見知った協会職員を見つけて声をかけた。
「シロノさんこんにちは。私が受けられそうな依頼って残って……ませんよね?」
言いにくそうに依頼の有無を確認する。シロノと呼ばれた女性はソフィアの顔を見て美しく優しい笑顔を浮かべた。しかし彼女の頼みは難しいとすぐに判断して優しい笑みは申し訳なさそうな顔に変わった。
「こんにちはソフィアちゃん、うーん相変わらず1人でってことよね?ごめんね、それだと今頼める依頼はないわね。2人以上ならあるんだけど」
「ですよね。こっちこそ、こんな時間に来てごめんなさい」
予想通りの言葉とはいえ少し肩を落とす。フェネラルの街に来てから協会職員のシロノに出会い、以来ソフィアは彼女に助けられながら狩竜人として生活してきた。その頼れるお姉さんであるシロノに申し訳なさそうな顔をさせてしまったことで、ソフィアは自分の情けなさが身に染みた。
元来陽気で良くも悪くも考えなしな性格。しかし寝坊という自分以外に責めようのない失敗で行き詰まりさすがに頭を抱えたくなる。普段寝坊なんてしたことないのに稼がないとまずい今日に限ってなんで、といったことがソフィアの頭の中をぐるぐる回る。
「この時間からだとあまり期待できないけど、一応依頼待ちの番号札渡しておく?」
「はい、お願いします」
低段位のひよっこ狩竜人が1人で受けられる依頼なんて緊急性の低いものしかない。待っても依頼が回ってくることはまずないが、それでも他に稼ぐ方法を知らない。無駄と分かりつつ待つしかなかった。
1、と書かれた番号札を受け取り協会の長イスに腰を下ろしがっくりとうなだれる。彼女は元々フェネラルには縁も所縁もなかったので親しい知り合いはいないが、街に来て2ヶ月が経ち挨拶程度はする顔見知りはできた。協会内にいると目立つ容姿もあって、誰かしらに話しかけられ軽口を叩かれていたが、今日はそれもない。協会内に人が少ないせいもあるが、明らかにいつもと違う雰囲気の彼女をからかうのは誰もがためらった。
ソフィアの次に協会内の静寂を破りきしむ扉を開けて入ってきたのは小振りのボウガンと長剣を背負った若い男。話したことはなく名前も知らないが、その男の顔にソフィアは見覚えがあった。
若い狩竜人は複数の狩竜人たちで組む狩竜戦団に所属するか、そうでなければ熟練の狩竜人と師弟関係のような形で一緒に行動することが多い。常に誰もが戦団の仲間と一緒に、ということはないがいつも1人でというのは珍しい。誰かと話をしている姿を見たことがなく、どうやらソフィアと同じく常に1人で行動しているらしいその男は目に付いたのだ。
男はシロノの元へ向かい困ったような情けないような表情で何やら話をしている。その様子をなんとなく見ていたソフィアは、まさかあいつも寝坊した馬鹿なのか、などと思う。しかし予想は外れ男は依頼の報酬と思われる銀貨を数枚受け取っていた。まあそんな馬鹿は私くらいか、と柄にもなく自己嫌悪に陥っていたソフィアにシロノが声をかけた。
「ソフィアちゃん、ちょっと来てくれる?」
すぐに返事をして依頼窓口へ向かう。依頼が回ってきたのかと一瞬思うが、若い男がまだシロノの前におりソフィアは嫌な予感がする。そしてその予感は見事に当たった。
「えっとね、こちらはエル君。ソフィアちゃんと同い年で段も同じ3段の狩竜人なの」
エルと呼ばれた狩竜人はソフィアと向かい合うものの目線が泳ぎまくっており、彼女のほうをまっすぐは見ない。ボサボサにだらしなく伸びた黒髪の頭を無言でぎこちなく下げる。初めまして、とソフィアも軽く頭を下げるとそれに対して小声で噛みながら、どうも、と挨拶をするエル。
伸びた髪から覗く目はまだ少年っぽさが残るが日焼けした肌にがっちりとした体格でいかにも狩竜人らしい風貌だ。しかし見た目に反し、あんたどんだけ人見知りなんだ、どうも、の一言のどこに噛む要素があるのかとソフィアが言いたくなるような目線の泳ぎっぷりと酷い挨拶だった。
「でこっちはソフィアちゃん。私の中で一番推しの女性狩竜人さんなの。可愛いでしょ」
シロノに一番推しなどと紹介されてお世辞だとしても嬉しく思うが、その後に続く言葉が容易に想像できてソフィアは困ってしまった。
「でねソフィアちゃん、やっぱり1人だと依頼回すの難しいの。それで今回はエル君と組んでみないかなと思って……」
「あのシロノさん、ごめんなさい。誰かと組むってのはまだしたくなくて」
シロノの言葉をさえぎるようにソフィアはとっさに断りの言葉を口にする。ソフィアは相手が誰であれ関係なく断るつもりだった。目の前の男が頼りなさそうだとか人見知りにも程がありそうだとか、そう思ってはいたが本当にそれとは関係なく。ソフィアの心の内など知る由もないエルは、ちらりと自分に目線をくれただけであっさりと断られたことにそれなりに傷ついてはいたが。
「ソフィアちゃんあなたのお財布、実はかなり切羽詰ってるんじゃないの?」
「やっ、あの、それはそうなんですが……」
日々舞い込む依頼を多数の狩竜人相手に的確に割り振る、経験豊富な協会職員のシロノ。10時になって慌てて依頼はないかと駆け込んでくるソフィアの金銭事情など彼女には容易に想像がついた。シロノは魅力的な笑みは崩さないままに、しかしいつもよりも少しだけ強い口調で話し始める。
「あのねソフィアちゃん、私はあなたの事情を知ってるし誰とも組みたがらない理由も理解してるつもりよ。でもね、いくら腕が立つとしても低段位で1人でってなると、なかなか依頼は回しにくいの。狩竜の失敗は狩竜人の命だけじゃない、他の人まで大きな危険に晒すことになるのはソフィアちゃんも知ってるわよね。だから安全面を考えると単独行動の狩竜人に回せる依頼は少ないの。狩竜の依頼は次から次へと舞い込むし、困ってる人や竜に怯えて暮らしている人はたくさんいるのに。ね、だからちょっとでもいいから、そろそろ誰かと組むことを考えてみてくれないかしら」
ソフィアはシロノの言葉を受け、口を真一文字にぐっと結び考え込む。
「例えばずっと誰かとじゃなくて1回ずつの約束で組んでみるとかも、まあ本当はお勧めしないけど悪いことではないわ。ソフィアちゃんのこと個人的にすごく応援してて私も力になってあげたいの。でもこのままじゃ昇段もままならないし、私ももどかしいのよ。あっ個人的に応援してるってのは皆には内緒ね。職員がそんなことしてたら怒られちゃうから」
最後は人差し指を口に当てて悪戯っぽく、ねっお願い、と男の大半はころっといきそうな笑顔を見せる。
言われたとおり懐具合は切羽詰っているし、まだ出会って2ヶ月だがシロノのことを心底信頼していた。言葉だけではなく実際贔屓にしてくれていることは薄々ソフィアも勘付いていた。
怒られちゃうから内緒ね。などとシロノは軽く言ったが、協会職員が特定の狩竜人に便宜を図ることは重大な協会規則違反でありクビが飛んでもおかしくない。出会って間もないソフィアになぜそこまでしてくれるのかは分からなかったが、それに応えずに平気でいられるような性格ではなかった。女のソフィアから見ても魅力的な笑顔で諭されて覚悟を決める。
ソフィアは相変わらず所在さなげに目線を泳がせているエルの方に向き直った。
「エルって言ったわね。私はソフィア、ソフィア・ワイスよ。1回断ろうとしといて悪いんだけど、一緒に依頼の受注をお願いできるかしら?」
「えっ、あのはい。えっと……よ、よろしくお願いします」
挨拶だけでしどろもどろになるエルを見て、本当にこいつは認可を受けた狩竜人なのかとソフィアは心配になった。シロノはそんなソフィアの心配をよそに、2人が取りあえずでも組んでくれたことに満足気な表情を浮かべる。