第一話
――「またあの夢か……」
男は目が覚めると、そうぼやきながら起き上った。しかしまだ起ききらないのか、目が半開きで口を大きく開けてあくびをしている。
男の名前はマティアス・エディンベル。一応家は伯爵の爵位をもっているが、三男という気楽な立場なため、家を出て王宮勤めをしている。
マティアスがいまいるのは、王宮に勤めている者の住む寮である。宰相や大臣になると王宮に部屋が与えられるが、マティアスのような下っ端にはまだまだ先の話である。
ようやく目が覚め、食堂に行くと、もう友人たちがテーブルについていた。
「マシュー、おまえ今日も寝坊か?」
席につくなり話しかけてきたのは、アイザック・ターナー。マティアスの同僚であり、学生時代からの友人でもある。
ちなみにマシューとはマティアスのあだ名である。
「おはよ。仕方ないだろ、夢見が悪かったんだから」
マティアスは不機嫌そうに言い返す。じつは、それほど夢見は悪くなかったのだが、ここ数日寝坊が多かったので、あまり言われたくないのである。
「なぁ、きいたか? キールのやつまたふられたんだってよ」
こいつは人の噂話が大好きで、どこから仕入れているのかマティアスの知らない情報――それほど重要なものではないが――をいつも教えてくる。
「本当? 今度こそ成功させるって息巻いてなかったっけ」
キールというのは彼らの同僚で、恋多き男である。一見女にだらしがないようにきこえるが、単に彼が恋する女性がことごとく別の男にとられているだけである。
「花屋のメアリーだっけ? キールもこりないね。」
「そう! ふられた理由は好きな人がいるからっていわれたらしい。その好きな人っていうのがまたあのテオドールだって! すげーよなぁ、城下の女の子みんなあいつに惚れてんじゃない?」
テオドールというのは、一年ほど前からこの国に出入りしている行商人で、城下の女性に大変人気のある男である。
噂にうといマティアスもその男のことはきいたことがあるらしい。
「そのテオドールだっけ? そんなにいい男なのか?」
「あー何回かみたことあるけど、おれ女じゃねーしわかんね。それより今日仕事終わったら飲みにいこーぜ。うまい店みつけたんだ」
アイザックはテオドールの魅力については興味がなさそうだ。マティアスもそれほど興味があるわけではなかったようで、そのままふたりの話題は別のものに移っていった。
マティアスは朝食を食べた後、アイザックとわかれ、ため息をつきながら出勤した。彼はこの春に財務大臣のもとへ配属されたばかりで、やっと仕事に慣れてきたところなのである。仕事自体は下っ端の雑用でそう難しいものでもないが、上司である財務大臣や先輩方、ほかの同僚に貴族が多く、貴族ではあるもののどちらかというと平民の考えを好むマティアスはあまり馴染めないのである。
「エディンベル、これやっといて」
仕事場につくなり先にきていた同僚に仕事を押し付けられてしまった。部屋にはマティアスとその同僚だけで、大臣や先輩方はきていない。いつもと同じだ。同僚は目上である上司や先輩のいるときだけまじめに仕事をし、それ以外はマティアスにまかせっきりである。立場は一応同じなのだが、最初に一回断ったときに理不尽な切れ方をされ面倒だったので言うこときくことにしている。面倒なことや目立つことを嫌うマティアスの悪いクセである。
「はいはい、わかりましたよ」
マティアスは文句を言われる前にすばやく自分の席につく。同僚はなにか言いかけていたが、ちょうど先輩や大臣が出勤してきたので口をつぐんだ。
「今日はそれほど大きな仕事はない。各自自分の仕事に取りかかってくれ。」
一日の始めには大臣補佐が今日の予定を述べる。今日は大きな仕事はないそうなので、マティアスも一安心である。先月の予算会議のときは死ぬほど大変だったのだ。アイザックとの約束は守れそうだ、とマティアスはほっと息をつく。予算会議の後始末でずっと断ってきたので、そろそろアイザックの機嫌が悪くなりそうだったからちょうどいい。
あまり楽しいとはいえない仕事だが、今日の約束のためさっさと終わらせようとマティアスは書類に向き直った。




