第2話「悪役令嬢の未来を切り拓くのは侍女でありたい」
「今日は、侍女らしいことをしてくれるのね」
「私は、シャロット様にお仕えするために生まれてきましたから」
私が転生する前の侍女を再現することよりも、今は重要なことがある。
(断罪の時刻を、少しでも引き伸ばす)
シャロットの罪を晴らすための時間を確保することさえできれば、乙女ゲームの知識を駆使しながら立ち回ることができる。
私にもシャロットにも、今は少しでも多くの時間が必要だった。
「やってみなさい。どうせ、何をやっても無駄よ」
このセリフだけは唯一、弱々しい声に聞こえた。
でも、彼女の凛とした声は私に勇気をくれる。
「シャロットお嬢様の未来を、私が切り拓いてみせます」
悪役令嬢として振る舞うシャロットのような強さに憧れた。
いつもなら騒音にかき消されるほどの小さな声しか出せない自分だけど、なるべく強い声を発してみせた。
「衛兵が私を捕らえにくるまで、あと1時間。どこまで逃げられるかしら」
シャロットと侍女の間には信頼関係というものが築かれておらず、私はシャロットに試されるような目線を向けられた。
「こちらです、お嬢様」
乙女ゲームでは、自分で探索できたり動き回れるマップ仕様だったことが功を奏した。
「っ、こんなところを歩かせて、あなたこそ、断罪されても知らないから」
「申し訳ございません、お嬢さ、っ、きゃ」
とある攻略キャラを攻略すると、魔法学園の隠し通路を使っての逃亡劇という展開が待っている。
私たちは断罪の時間を少しでも延ばすために、隠し通路を利用しての逃走を図っている最中。
「あなたが転んで、どうするの」
「申し訳ございません……」
魔法学園に通うシャロットは光魔法を使って、暗い通路を照らしてくれる。
ほんの少しでも光があることで歩きやすくはなっているけど、問題はシャロットを先導しているのが魔法を使えない私だということ。
「頼りない侍女ね」
「ありがとうございます……申し訳ございません……」
後方から差し伸べられる光を頼りに歩くのは難しく、転びそうになるたびにシャロットに支えてもらうという展開が続いている。
彼女に手を差し伸べてもらうことを幸福に思いながらも、制服姿の彼女を支える侍女になれないところが悔やまれる。
「っ、お嬢様! 近すぎます! 離れてください!」
急に私たちは主従関係であることを意識して、シャロットとの距離を取った。
それは主に仕える者として当然のことだと思ったけど、もちろんシャロットと触れ合えなくなることは寂しい以外の何物でもない。
「今度、あなたが躓いても手を貸さなくてもいいってことね」
「う……」
「少しは、できる侍女になりなさい」
もっと対等な関係に転生したかったと願っても、私はシャロットの侍女にしかなれない。
彼女が言う通り、できる侍女になるために私は気合いを入れ直す。
「お嬢様、もう少しです。頑張ってください」
優しく声をかけながら、シャロットを精いっぱい気遣う。
これこそが侍女の在り方だと理想を再現できる自分を褒めたいけれど、息を切らしている自分は決して褒められない。
ご令嬢であるシャロットは、少しも息を切らしていないのだから。
「生徒でもないあなたが、この隠し通路を知っているなんて……いかにも私を罠にはめようとしているみたいね」
「主の身に危険が及んだとき、どう学園から脱出するか。侍女は考えるものですよ」
シャロットの光魔法以外の光が差し込まない通路は狭く、湿気が漂っている。
こんな環境下を歩くことを気持ち悪いとすら思うのは私だけではなく、通路の先へ行けば行くほど、シャロットの溜め息は増えていく。
「ここは、そのときに見つけた隠し通路です」
私はそれらしいことを述べて、シャロットの足を先へ先へと促す。
「そんなこと言って、通路の出口に衛兵が待ち構えているんでしょう?」
壁に手をつき、足元を確かめながら慎重に進んでいた。
でも、シャロットの一言を受けて、私は足を止めてしまった。
「私に希望を持たせておきながら、また絶望に突き落とす。あなたも、なかなかの悪女ね」
世界を包み込むような明るさのある光が存在しない通路では、私の後ろを付いて歩くシャロットの表情を確認することはできない。
不審な目を向けられているのは間違いないからこそ、言葉を返したい。なのに、それができなくなってしまった。
(ゲームの中では、逃亡に成功してたけど……)
シャロットが口にした可能性を、私は否定することができない。
隠し通路を使った逃亡劇が成功したのは、あくまでゲームの中での出来事。
(出口で待ち伏せされてたら、またシャロットは……)
頭の中には、前世でプレイした乙女ゲームの知識が詰め込まれている。
でも、肝心の悪役令嬢を断罪から救うための知識は、何も備わっていないことに気づかされる。
「……さっきまでの威勢は、どこへいったの」
静かに息を潜めているだけでも心臓に悪いのに、シャロットからの問いかけに心臓がどきりと動きを見せる。脳裏に、不安が過ったことは無視して進む。
「逃げ切る自信がなくなった?」
ハッピーエンドを迎えられるのは、ゲームの中だけなんて思いたくもない。
逃亡生活を続けながら、彼女の罪を晴らすことはできるのかと新たな不安が渦巻いていく。
「それとも、私を守るというのは嘘?」
「自信はあります……お嬢様を守りたいという気持ちに嘘はありません……」
でも、後ろを振り返る回数が減っているのは事実だった。
隠し通路の出口に向かえば向かうほど、シャロットを気遣う余裕がなくなっている。
自分の行動に自信を持つことができなくなっていることを、シャロットに見破られてしまって返す言葉も見つからない。
「私を守ると言ったときのあなたは、随分と勇ましく見えたわ」
心臓は激しく鼓動し、冷や汗が額を伝う。
「ここで声を震えさせるなんて、詰めが甘いわね」
異世界転生してきたばかりのときの記憶が甦ってきて、自分の不甲斐なさに姿勢が悪くなっていく。
せっかくシャロットの侍女に転生したのに、何もできずに終わった一巡目のときの記憶が私の自信を奪っていく。