第0話「孤独な悪役令嬢【シャロット視点】」
4月1日
「レトナーク家に恥じぬ活躍を期待する」
アルスター魔法学園への入学を控えた娘に、両親が向けた言葉はたった一言だけ。
「お父様、お母様、どうかお元気でお過ごしください」
父は腕を組み、母は冷ややかな視線を投げかけてくる。
素っ気ない表情を浮かべた両親は私を見送ることもなく、侍女は淡々と出発の準備を整えていく。
(必ず、必ず誇らしい娘として帰ってきます)
心が切なく締めつけられるなんて、気のせい。
アルスター魔法学園で輝かしい成果を上げることで、きっと私は両親に認めてもらえる。
4月2日
(どんなに努力しても、認めてもらえない……)
アルスター王国に住む平民は魔力を持たず、貴族の血筋を引き継ぐ者だけが魔力を持っている。
私が産まれたレトナーク家は生まれながらの特権を利用し、魔力を持たない政治家に魔法の力を売りつけることで成り上がってきた家系。
(魔法学園に通ったところで、私は愛情を得られるようになるの……?)
輝かしい歴史を誇るレトナーク家に生まれた私は、幼い頃から家族の期待に応えるために懸命に努力を重ねてきた。
どれだけ優秀な炎魔法の使い手だとしても、どれだけ社交の場で優雅に振る舞っても、家族から認めてもらえることはなかった。
(怖い……)
レトナーク家では、資産的に価値のある人間だけが認めてもらえる。
それを知っていたからこそ、アルスター魔法学園で優秀な成績を収められるかどうかを不安に思っていた。
(家族の愛が欲しいだけなの……)
これまでに経験した挫折。
家族の期待に応えようとするたびに、自らの限界を感じる瞬間がいくつもあった。
それでも諦めず努力を続けてきたのは、家族に愛されたかったから。
でも、その愛情が手に入るか分からない。
見えない未来を歩むことが、こんなにも怖いことだと思ってもみなかった。
4月3日
「お嬢様。明日には、アルスター魔法学園へと到着します」
「ありがとう」
緊張と不安で、日に日に落ちていく食事量。
学園に通う前から、こんな弱い精神では駄目だと自身を叱咤する。
けれど、どんなに自分を叱りつけても、美味しそうな食事を目の前に味を感じることができない。
「ねえ、一緒に食事をしてくれない?」
切実な想いで、侍女へと声をかけた。
孤独に押し潰されてしまったら、魔法学園を卒業するどころの話ではなくなってしまう。
縋るような想いで侍女を頼ったけれど、彼女の答えはこうだった。
「申し訳ございません。私のような者が、貴族と同席して食事をすることはできません」
身分をわきまえている彼女はできた侍女かもしれないけど、私が求めていることに気づきもしない彼女に心が一層重くなるのを感じた。
「そうね、もう行ってもいいわ」
「失礼いたします」
主の命令だと言って、無理矢理に席に着いてもらうこともできた。
でも、それでは意味がないということは私が誰よりも知っている。
「……ただ、美味しい食事を摂りたいだけなのに」
口にする食事は、今日も味がしない。
食事の席で言葉を交わし合う相手は、今日も存在しない。
(いつになったら、欲しいものを手にできるようになるの……?)
何もない空間を見つめ、食器が触れる音だけを耳にしながら、私は何もない空間を見つめた。
4月5日
「あなたが新入生のカレンね、噂に聞いているわ」
玄関ホールに入ると、高い天井に飾られたシャンデリアの輝きと古代の魔法使いたちの肖像画が、魔法学園に通うご子息ご令嬢を出迎えた。
そこで力強い声を響かせ、一年間を共にするライバルに挨拶をした。
「あなたは……」
「私はシャロット・レトナーク。この学園で、最も優れた魔法使い」
入学初日はほとんどの生徒が不安と緊張に包まれているはずなのに、私はレトナーク家の誇りを強調するために誇らしげに胸を張る。
「あなたがどれだけ努力しても、私には敵わないわ」
レトナーク家の誇り。
レトナーク家の誇り。
レトナーク家の誇りって……?
そんな疑問が浮かんでくるのすら打ち消して、私は平民出身のカレンの目を真っ直ぐに見つめ返す。
「私も、負けないように頑張ります」
「面白いわね、あなたがどれだけの魔力を秘めているというの?」
平民出身の彼女が貴族だらけの学園で圧力を感じずに、勉学に励むことができるように環境を整えていく。
善きライバルという関係性が、彼女の力になればと思って話しかけていたときのことだった。
「君は他人を見下すことでしか、自分の価値を確認できないのか」
ここでランデ家のご子息であるジェフリーがカレンの元へと歩み寄って、彼女を守るように立ちはだかった。
(昔から、私を悪人に仕立て上げるのが好きね)
彼の家系は、魔道具と呼ばれる道具を一般市民に普及させることを生業としている。
「魔法の本質は魔力だけじゃなく、その過程や心の在り方にあるはずだ」
魔法を使うことができない一般市民も、魔道具を通して炎や水の恩恵を受けられるようにという心構えは素晴らしいものだと思う。
けれど、魔力を持たない人間に魔法の力を与えることで成り上がってきたレトナーク家とは反りが合わないのは事実。
「私は、学友のカレンに挨拶しただけよ」
背筋をまっすぐ伸ばして胸を張り、真剣な声を発するように心がけた。
「魔力を見下すような発言をした……」
「私はカレンを見下したのではないわ。事実を述べただけでしょう」
品行方正な秀才タイプのジェフリーは、ここで言葉を詰まらせて動きを止めた。
「学園の入学試験で、私の力が最も優れていると証明された」
「シャロットの成績が良かったのは、偶然の可能性も……」
「ランデ家のご子息が、伝統ある魔法学園の在り方に文句をつけるのかしら」
手のひらに爪を食いこませるジェフリーを見て、彼を相手にするのも面倒に思えてきた。
「あなたたち二人がかりで立ち向かっても、私には敵わないってことを覚えておきなさい」
毅然とした態度で言い放ち、すべての見せ場を華やかに演出していくのがレトナーク家に課せられた使命。
後退りした彼の格好悪さに口角を上げ、私はこの場を立ち去った。
「入学式が、もう何年も前の出来事みたい……」
重厚な家具と高価な装飾品で満たされた学生寮は、間違いなく自分に与えられた個室。
周囲を見渡し、家具の類を確かめるように触れるというありふれた動作には、もう飽きてしまった。
「はぁ」
日記のページを一枚一枚捲っていくけれど、そのたびに溜め息が漏れ出る。
日記の中に記された過去の出来事や感情に思いを馳せたところで、現実は何も進展しないと知っているから。
「何度、繰り返すのかしら」
ペン先を滑らかに紙の上を走らせ、その思いを文字として形に残していく。
(2月28日午後3時……侍女とは、別行動)
ベッドに横たわっている彼女に気を遣って、重いカーテンを引いて部屋の中を暗くした。
外の喧騒から離れた静かな空間の中で文字を書くことができるのを幸福だと感じても、光の差し込まない部屋は体に悪いような気がしてくる。
「ん……」
侍女は顔色が悪く、瞼を閉じて静かに息を整えている。
彼女の額には汗が滲み、苦しそうな表情が浮かんでいるのが分かるけど、彼女の苦しみを取り除くための治癒魔法は発動しない。
(病気ではないってことよね)
彼女が少しでも楽になるように、冷たい布で彼女の汗を拭う。
「暖かい飲み物を用意しようかしら」
時間が経つにつれて、彼女の息遣いが少しずつ安定していく。
彼女の顔に浮かんでいた苦痛の表情が和らぎ、安らかな眠りに落ちていく様子を見て、自分の手で看病することの意味を知っていく。




