第1話「悪役令嬢の侍女に転生した日」
(今日も、誰とも喋らなかったなー……)
会社に行って、一人暮らしのアパートに戻ってを繰り返す毎日。
終電間際まで働き続ける日々にも慣れてきたけど、体は連日の残業についていくことができない。
疲れ果てた体を引きずるようにして、ようやくアパートの扉を開く。
私を迎えてくれる人は現れず、静寂だけが私を出迎えた。
(このまま、言葉を忘れちゃうんじゃないかな……)
幼い頃は有菜という可愛らしい名前が好きだったけど、今の私は名前に相応しくないほど枯れ切った人生を送っている。
(せめて、ゲームの中で幸せに……)
靴を脱ぎ、リビングに向かう途中で、ふとカレンダーが目に留まった。
会社から支給されたセンスのない壁掛けカレンダーに、何も予定は書き込まれていない。
けど、《《2月28日》》という数字が、私に何かを訴えかけてくる。
「誕生日……」
すぐに、《《2月28日》》が示す意味を思い出した。
誰も祝ってくれる人がいないまま、自分は三十歳を迎えた。
学生時代の友人たちは結婚や出産で新しい家庭を築いて、学生時代とは違う誕生日を過ごしていく。
一方の独身を貫く私の誕生日を覚えていてくれる人はおらず、家族からのお祝いメッセージすら入っていないことに気づく。
「ゲームに、主人公の誕生日イベントがあったような……」
一人で暮らす部屋には、最低限の明かりだけでいい。
ゲームをプレイするのに支障のない程度の薄暗さの中で、分厚い眼鏡をかけた私は画面と向き合う。
「って、そうだった……」
三十歳手前の代わり映えない日常を彩るために購入した乙女ゲーム『この旋律が届く場所に光があれば』。
平民は魔力を持たずに、貴族の血筋を引き継ぐ者だけが魔力を持っているアルスター王国が舞台の作品。
つまりは、お金持ちのお嬢様やおぼっちゃまだけが、魔法の力を行使することができる。
「2月28日って、悪役令嬢の断罪日……」
現実世界での2月28日は、私の誕生日。
でも、乙女ゲームの中では悪役令嬢の命日だったことを思い出す。
「悪役令嬢が幸せになったっていいのに……」
乙女ゲームは、主人公が攻略対象のイケメンとハッピーエンドを迎えることができるのが売り。
一方の主人公を虐げる役割を担っている悪役令嬢シャロット・レトナークには、断罪エンドしか待っていない。
主人公が幸せになるための踏み台にしかなれない悪役令嬢の人生を想って、自然と涙が溢れ始める。
「シャロットに誕生日を祝ってもらうルート……」
毎日何時間労働させられてるんだっていうくらい働いているっていうのに、評価されるのは私ではない。
手柄を他人に取られるのが当たり前だったこともあって、悪役令嬢として強く生きるシャロットに憧れを抱いた。
「また失敗しちゃった……」
自分の誕生日を悪役令嬢に祝ってもらうために起動させたゲームだけど、自分の誕生日イベントが発生するたびに悪役令嬢は断罪を迎えてしまう。
2月28日を何度もやり直すせいで、悪役令嬢シャロットは既に何度も死を迎えている。
「友情エンドがなかったら、糞ゲー認定してやる」
画面に向かって嘆きを飛ばしたところで、制作陣に私の叫びは届かない。
「みんな、悪役令嬢に冷たすぎ……」
プレイヤー兼主人公は、平民出身なのに魔法を使えるという特別設定。
一方の悪役令嬢は、持って生まれた魔力と努力で道を開いていくタイプ。
魔力保持者の成長と発展を促すために設立された魔法学園の新入生として始まるところは同じなのに、悪役令嬢はどのルートに進んでも断罪されてしまう。
「もう! 主を守れないなんて、侍女失格!」
ゲームの中では、悪役令嬢シャロットに仕える侍女のアリナがモブキャラとして登場する。
自分と同じ名前というところに親近感は湧いたものの、この侍女のアリナがモブキャラすぎて使い物にならない。
主のシャロットを守ることすらできず、何度も断頭台に立たせるという不始末。モブキャラは、所詮モブキャラでしかないと思い知らされる。
(神様は、意地悪だ)
報われない人生を送る悪役令嬢に、自分の人生を重ねた。
最初から幸せになれる人間とそうじゃない人間が決まっているなんて、不公平すぎる。
「せめて、ゲームの中だけでも、シャロットを幸せに……」
そんな私の恨み節を、神様は拾ってしまったのかもしれない。
悪役令嬢がハッピーエンドになれる隠しルートを開拓しようと意気込んだ瞬間、突然の雷鳴が響き渡った。
心臓が跳ね上がると同時に目を伏せ、怒り狂った稲妻が静まるのを待とうと思った。
「いった……」
雷が鳴り響くと同時に、激しい頭痛が襲いかかる。
雷が響くたびに痛みは増し、視界がぼやけて意識が遠のいていくのを感じる。
「っ」
部屋のカーテンを閉めているはずなのに、あまりにも強烈な光が部屋を包み込む。
頭痛に耐え切れなくなった私は意識を失い、その場へと倒れ込んだ。
「ん……」
次に目を開けると、驚くほど体が軽くなって痛みが消え去っていることに気づいた。
「ちょっと働き過ぎたのかも……」
目を覚ますと、雷で停電したのか部屋は薄暗い。
見慣れた天井に目を向けて、体を解すために腕を伸ばしたときのことだった。
(ん……?)
いつもの自分の部屋だと思い込んでいたけれど、視界に入ってきた煌びやかなシャンデリアに心がざわつく。