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第8話 試練の扉

 廊下での会話のあと、私たちはその足でジークフリートの元へと向かった。王城からヴァレンシュタイン邸に向かう馬車の中、私とエドガーは特に何も話さなかったが……その沈黙がなぜか、私は嫌に感じなかった。


 ヴァレンシュタインの屋敷に到着すると、エドガーは私の手を引いて迷いなく進む。たどり着いたのは屋敷の奥にある重厚な扉の前だった。


 エドガーはノックをした後、返事を待たずにその扉を開く。書斎に足を踏み入れた瞬間、乾いた羊皮紙の匂いとインクの香りが鼻をかすめた。高く積まれた書類の山はまるで城壁のようで、彼の築いてきた知と権威の象徴に思えた。


「兄上。失礼します」

「エドガー……それにリディア嬢か。何の用だ?」


 遅くまで書類仕事をしていたのだろうか。ジークフリートは手にしていた片眼鏡モノクルと書類をデスクに置き、鋭い視線を私たちに向ける。

 対するエドガーもジークフリートを迎え撃つかのように、珍しく厳しい表情をしていた。


「兄上。私に黙ってアルブレヒト家にリディアとの婚約破棄を申し入れたと聞きました。それは本当ですか」

「事実だ」


 ジークフリートは宣言するように短く、しかし威厳を持って告げた。しかしエドガーは全くひるむ様子もなく、むしろジークフリートの方へ一歩進み出る。


「私は婚約破棄など認めない。勝手に話を進めないで頂きたい」


 改めてエドガーが婚約破棄を否定してくれて、胸が熱くなるのを感じる。

 しかし、当のジークフリートは深くため息をつきさらに眉間にしわを寄せ、言った。


「次期家長として当然のことをしたまでだ。お前が何と言おうと、方針を変えるつもりはない」

「私も22です。兄上に婚姻のことをどうこう言われる筋合いはありません」

「……いい加減にしろ。公務も満足にこなせない者に発言権はない」


 ジークフリートは怒りを堪えるように、机の上でグッと拳を握った。


「お前がそこのリディア嬢に入れ込み、今までどれだけ家の務めをないがしろにしてきたか。その上、近頃は職権を乱用し公費を使って近隣諸国の大使たちに彼女の歌の宣伝をする始末……。挙句の果てにはこの醜聞だ」


 彼はそこで一旦言葉を切り、私に視線を向ける。


「社交界の偶像、銀のフィロメラだと持て囃されているようだが……。そんなものは一時のことだ。エドガー、お前には別の婚約者を探してやるから、彼女のことは忘れて堅実に生きなさい」

「リディアのことを悪く言うのは止めて下さい! 彼女の歌は本物です。芸術としての価値があります。昨今の情勢を鑑みても近隣の国々と友好を深めていくことは必須。彼女の歌は大きな武器になるでしょう」


 ジークフリートの言葉に、エドガーは身を乗り出して反論する。

 その声は感情に任せた叫びではなかった。空気が張り詰める中、彼の確信に満ちた声が凛と響いた。


 重厚な書斎の空気が、一瞬だけ別の色に染まった気がした。


(先ほど公費で私の歌を宣伝していた、と聞いたときには驚いたけど……まさか、私の歌をそんな想いで広めようとしてくれていたなんて)


 彼の熱意がただの好意でないと知った瞬間、胸の奥に静かな決意が灯る。この婚約はエドガーと私のもの。彼だけに任せてはいられないと、私もエドガーに倣い一歩進み出る。


「ジークフリート様。私が至らないばかりに色々とご心配をおかけして申し訳ありません。醜聞についてはなるべく早く収束できるよう努力します。ですから、どうか婚約破棄については取りやめて頂けませんか」

「リディア……」


 感動したような表情でエドガーは私を見るが、一方でジークフリートの眼差しは氷のように冷ややかだ。


「君の意見は聞いていない。ヴァレンシュタイン家の問題だ」

「私とエドガーの婚約です。エドガーが信じてくれるなら、きっと私の歌を国のために役立てて見せます」


 ジークフリートの圧を受けて、手のひらに汗がにじむのを感じる。私はまっすぐに、彼の厳しい瞳を見返した。その視線の奥に、逃げないという意志を込めて。


 部屋に長い沈黙が流れる。風が窓を揺らす微かな音が、部屋に響く。


 ――沈黙を破ったのはジークフリートだった。


「そこまで言うのなら、君とエドガー、二人で成果を出してみろ。……近々、近隣の小国と鉄の輸入に関する会談を行うことになっている」


 ジークフリートはテーブルに積まれた書類から数枚の書類を取り出し、エドガーに差し出す。エドガーはすぐさまそれに目を通し、頷く。


「分かりました」

「我が国の利益を最大にするような条件で交渉をまとめろ。……ちょうど、その国の大使から、大臣がリディア嬢の歌を所望していると聞いている」


 ジークフリートは眼光を強め、まるで判決を告げるような、冷静で容赦のない声音で言った。


「エドガー。これは『試験』だ。君たち二人の婚姻がヴァレンシュタイン家に利するものになるか──私が見極めよう」

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