第11話 言葉としての歌(2)
私が会談の場で歌を歌うことを承諾すると、エドガーはそれに応えるようにひとつ頷いた。
「シレーヌ侯国は今でこそ特別友好的な国という印象はないけれど、100年前にはそれぞれの国の市民たちが協力して一つの砦を築き、かつての大国に力を合わせて戦ったっていう昔話もあるんだよ」
「確かに、聞いたことがあるわ」
いつか小さい頃にお兄様に本を読んでもらったことを思い出す。国にまつわる昔話をまとめた本に、シレーヌ侯国との物語も語られていた。
「シレーヌ侯国は資源。僕たちの国は技術を持っている。今この時代にまたこの二つの国が手を取り合えば、きっと素晴らしいことが起きる……君の歌なら、相手国の大臣や大使を、きっと希望に満ちた気持ちにさせてくれる」
私の歌が、二つの国を繋ぐきっかけになるかもしれない。そう思うとさらに気持ちが引き締まるような心地がして、私は膝の上で手を握りしめる。
「会談の前日、つまり6日後に大使と大臣をヴァレンシュタイン家に招いて食事会を行う予定なんだ。大丈夫かな?」
「もちろん」
「ありがとう! ああ、今から楽しみになってきた! どの歌を歌う? 『暁の約束』? それとも『千の鐘が鳴るとき』なんかがいいかな」
エドガーの言葉に私は首を振る。そして、一つの決意を口に出す。
「いいえ。想いを込めた、たった一つの新しい歌を作りたいの」
過去にも歌ったことのある曲を歌った方が、芸術としての完成度を考えるならば確実だろう。けれども、私が今回歌うべきなのはただ美しいだけの歌ではない。相手の心を動かすための歌だ。
「えっ?! そんな今から?」
「想いをきちんと伝えるためには、既存の歌では不十分だから」
伝えたい言葉を、相手の国の言葉で紡ぐ。そんな歌が作れたなら、既存の歌に想いを乗せるより、もっと強く、まっすぐ届くはずだ。
しかし、エドガーはなぜか浮かない顔をする。
「君のお兄様にでも、頼むのかな……」
「私が既存の曲に新しい詩をつけようと思ってるの。流石に作曲するには時間的にも難しいから」
「……なるほど」
私がそう言うと、エドガーは安心したような表情を浮かべた。彼にとって、私と兄の関係はまだ心配の種なのだろう。
私は空気を変えようと、あえて明るい声で言った。
「エドガー。良かったら、シレーヌ侯国のこと、もっと教えてくれない? さっき言っていた昔話のこととか、国の成り立ちとか。色々知ってから歌詞を考えたいの」
「もちろん、いくらでも! 昨日、兄上の書斎を見たから分かると思うけど、うちには売るほど外国の本や資料が山ほどあるんだ。めぼしいものを持ってこさせて、今から読もう」
すると、エドガーははにかむように笑った。そういえば、彼に頼みごとをするのはこれが初めてだ。どうやらエドガーは頼られるのが好きなタイプなのかもしれない。
私の発言に一喜一憂する彼が妙に愛らしくて、思わず微笑んでしまう。すると、エドガーは急に私から目を逸らす。
「どうしたの?」
「いや……今さらながらこんなに長くリディアと話したのは初めてだと思ったら……動悸が……」
「……おかしな人」
よく見ると、彼の耳が少し赤くなっている気がした。少し顔を伏せているその姿が、かえって正面から気持ちを伝えてくるようだった。私はその様子がなんだかさらにおかしくて、ついに声を立てて笑ってしまった。
私はエドガーとともに場所を彼の書斎へ移した。
書斎に入ると、先ほどの陽だまりとは対照的に、背の高い本棚と分厚いカーテンに囲まれた空気がひんやりと肌を撫でた。
エドガーは慣れた手つきで資料を数冊選び、机にそっと並べてくれる。
シレーヌ侯国の資料に目を通しながら、外交上知っておくべきことや二つの国の歴史について教えてもらった。
このときの私はまだ知らなかった。
『会談のために作詞をする』という決断が、思わぬ試練を呼び込むことを――。




