響け、こいのうた
大学生
カラオケはあまり好きではない。普段そうでもないのにカラオケに行くと皆やたらテンション上がってついていけないし、部屋が狭すぎて息苦しいのも嫌だ。タバコ臭いし、隣の人の歌声聞こえてくるしなんか湿っぽいし、全体的に他人の気配が濃すぎると思う。
それでもこうしていまカラオケに来て、なんだか湿っぽいソファに我慢して座っているのは、それを我慢してでも一緒にいたい奴に誘われてしまったからだ。
「はい、飲み物。俺ウーロンってもう決めてるから」
「…ありがと」
差し出されたメニューの端が折れているのも好ましくないが、差し出して来た奴の笑顔は俺の好きなものの一つだ。
こいつとは、同じ高校で、同じクラスだった。同じグループだったわけではない。俺はおとなしめな奴らとつるんでて、こいつは運動部とか帰宅部の明るい奴らとつるんでた。いわゆるクラスの人気者系の奴だ。そんな奴と完全に地味な俺には一見なんの接点もないが、唯一、交わる部分があった。
それが、音楽。好きなアーティストが結構かぶっていたのだ。
「この人聞いたことある?おまえ好きそうだなって思ってたんだけど」
「あー、うん。アルバム聴いた。これいいよね」
「あ、わかる!」
デンモクをぴこぴこ指で押しながら、にこにこの笑顔が隣にあって、俺はすごくそわそわする。言葉遊びじゃないけど。
高校の頃は、このアーティストの話でちょくちょく会話をしていた。新しいの出たねとか、これもいいよとか、そういう話をぽつぽつとして。俺はあんまり喜怒哀楽が激しく出る方じゃないから、俺と話してて楽しいのかなとよく心配になったけど、こいつはいつも俺と話すときは今日みたいに笑顔で、その度にホッとした。
高校を出て、大学が別々になって、連絡も途絶えた。その頃になって俺はようやく、なんであんなに卒業が嫌だったのか、その理由を理解した。でももう遅い。道は岐れてしまったのだ。
そう思っていた。数日前、今日のこのカラオケに、こいつから誘われるまでは。
「じゃー新曲のカップリングいきます!」
「おー」
「歌詞途中わかんないとこあったら歌ってね!」
「えー」
イントロがかかる。
俺は思い出す。
このメロディーを一人暮らしのアパートで聞きながら、あいつも聞いたかなぁ、と考えていたこと。明日、学校に行ったらあいつがいて、この曲の話を、カップリングの方がいいよなとか、話せたらいいのに、と思ったこと。
だから、夢みたいだと思う。こうしていまこの狭い個室で、そんなにうまくもないこいつの歌声で、あの日切ない想いで聞いた曲を聞けるなんて。もちろん、絶対に、こいつにこの想いを伝えることはないけれど。
俺の番が来た。
重いマイクを掴んで立つと、よっ!とか言って茶化してくる。そういえば、髪の毛も茶色くなっていた。見た目もいいし、きっと大学で早速彼女でも出来たに違いない。
…自分の想像で勝手に哀しくなるなんて、俺は虚しい奴だな。
「なに歌うの?」
「あれ、俺らが高2くらいのときに出たやつ」
「CMに使われたやつ?」
「そう」
ラブソングである。でも歌なんて基本どれもラブソングだし、俺がそれを歌ったところで、まさかこいつも自分に向けて歌われてるとは思うまい。さっきこいつが歌ったのもラブソングだったが、当然俺はそれを自分に向けて歌われているなどと思いはしなかった。いや、そうならいいなとはちょっと思ったけど。
好きだ。
こいつの笑顔が。屈託ないところが、声が、仕草が。
細い繋がりでいいから、ただのカラオケ仲間でいいから、一年に一回しか会えないんでもいいから、繋がっていたい。
絶対に言葉にはしない想いをこめて、でもそれが声に出てしまわないように細心の注意を払って、俺は歌い上げた。歌っている間、そいつの方は向けなかった。
三時間歌ってカラオケを出ると、外はなかなか暗かった。奴はこれからバイトだと言う。俺も電車に乗って帰れば、家に着くのは夕飯過ぎくらいの時間になりそうだ。
別れ際、次回の約束は取り付けられなかった。俺の気持ちが少しも伝わってしまわないように言うにはどうすればいいか、わからなかったのだ。別れの握手、とか言ってそいつが手を取ってきたから、嬉しいけどパニックで、それが表に出ないようにするのに苦労した。
「…じゃ、バイト頑張って」
「ありがと!気をつけてなー」
「うん」
「……」
「……」
「……」
「……なに、いつまで握手すんのこれ」
一向に手を離す気配のない目の前の男に、たまりかねて声をかける。俺は殆ど力を入れていないのだが、こいつが手を離さないのだ。
奴の顔を見ると、真剣に真っ直ぐな目をこちらに向けていた。
驚いて、ノドから変な音がした。
「なぁ、あのさ、俺今日、やっぱバイト休むからさ、もうちょっと一緒にいらんない?」
「は、」
「…ずっと、たぶん一生、言わないつもりだったことがあるんだけど。おまえの歌聞いてたら、もしかしたら、言った方がいいかも、と思って。たぶん、お互いにとって。もうちょっと話そうよ。無理?」
隠そうとしていた想いは歌に乗ってダダ漏れしていて、しかもそれが相手に告白を決意させたという、そんな夢みたいな話。