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08 隔離病棟


 民家がほとんど見当たらない山中の、精神科病院の診察室。

 丸い椅子に腰掛けた医者が、神妙な面持ちで向かいに座るオーガスタに問う。


「ご自分の名前が分かりますか?」

「オーガスタ・クレートです」

「では、家族構成は?」

「父と私……それから兄がふたりいます。母は他界しました」

「家族との関係は良好ですか?」

「はい。私の家系はみんな剣術に熱心でとても仲が良く、一緒によく旅行にも行きます」

「そうですか……。でも、本当はご家族の顔色をうかがって、自分の気持ちを我慢してきたことはなかったですか?」


 王宮での夜会のあと、オーガスタは郊外の精神病院に強制入院させられた。

 吸血鬼に洗脳された可能性があるという理由で、他の患者たちに危害を加えないようにと、鉄合子のついた隔離病棟に収容され、手足を拘束された状態でひと月近く過ごした。


「ありません」


 オーガスタは久しぶりに隔離病棟から出て、医者の診察を受けている。

 診察室内では、吸血鬼に洗脳されたオーガスタが暴れ出しても即座に対応できるように、体格のいい男性たち三人が待機している。


(こんなこと、する必要なんてないのに)


 人々が吸血鬼という存在をどれだけ恐れているのか、否応なく知らしめられ、オーガスタは落胆していた。この強烈な迫害では、吸血鬼であるネフィーテが生きやすくなる時代など、決して来ないだろう。


 医者は質問を続けた。


「では、ここ最近、大きな悩みはありましたか?」


 ふと、元婚約者のサミュエルの顔が浮かぶ。夜会のあと、クレート公爵家からマキシミルア侯爵家に対し、婚約解消の申し入れをした。そして、ふたりの婚約解消はあっさりと成立したのだった。


「元婚約者のことで色々と悩んでいましたが……もう解決したので大丈夫です」

「その悩みについて、もっと詳しくお聞かせいただけますか?」

「お断りします」

「?」


 オーガスタは額を手で押さえて、小さくため息を吐いた。


「どんなに話をしたところで無駄ですよ。私は吸血鬼に洗脳なんてされていないんですから。私はただ、その人を純粋に慕っているだけなんです」


 こちらの頑なな態度に、医者は呆れたような声で言う。


「分かりませんかね……。それを洗脳だと言っているのですよ」

「吸血鬼を好きになるのはおかしいことなんですか? 吸血鬼だって人と同じように心を持ってるのに……」

「おかしいから、あなたはここにいるんでしょう。襲われてからでは遅いんですよ。この傷を見てください。――吸血鬼にやられた傷です」


 医者は前髪を掻き上げ、古傷を見せてきた。幼いころに姉とふたりで森に出かけたとき、吸血鬼に遭遇し、姉は身代わりとなり命を落としたという。痛々しい傷跡に、オーガスタはひゅっと喉の奥を鳴らす。


「あなたのお姉さんを殺した吸血鬼と、あの方は同じじゃありません。同じじゃ……っ」 


 そのとき、診察室の扉の向こうから、激しい物音と患者の叫び声が響いてきた。


「うあああっ……っ、吸血鬼だっ、助けてくれ……! お、襲われる……っ」

「大丈夫ですよ、ここに吸血鬼はいませんからね。落ち着いてください」

「嫌だっ、ひっ……ぅ、うわあああっ!」


 患者と看護師の声を聞いた医者が、沈痛な面持ちで言った。


「ここには、吸血鬼に襲われたことがトラウマになり、心の傷を負った方が来られます。あなたにそうなってはほしくありません」

「…………っ」


 何を言ったところで、医者を説得することは不可能だろうと悟った。吸血鬼への恐怖は、人間の意識の奥深くに刻まれているのだ。

 吸血鬼は寿命があるものの、不死の存在である。どんなに傷を与えても、致命傷にはならない。彼らには苦手なものもあるが、今のところ命を奪う方法は見つかっていないのだ。


 しかし、オーガスタの記憶にはネフィーテの微笑みも刻まれている。


「それでもやっぱり、私は信じたいです」


 拳をぎゅっと握り締め、椅子から立ち上がろうとするオーガスタを見て、医者は男性スタッフたちと目配せを交わす。


「彼女には治療が必要なようだ。病室に連れて行ってください」

「「はい」」


 オーガスタは男性ふたりに腕を拘束され、引きずられるように隔離病棟へ戻された。

 そして再び、手足を拘束され、寝台に寝かされてるのである。




 ◇◇◇




 この隔離病棟で天井を眺める生活も、もうひと月になろうとしている。

 吸血鬼を憎むようになるまで、隔離は終わらないのだろう。しばらく剣の稽古もできていないから、身体も鈍ってきている。早く家に帰りたいが、その目処は立ちそうにない。


 オーガスタのわがままのせいで、家族や周りを振り回してしまった。だが、治療を続けたところで、ネフィーテを慕う気持ちを抑えることなどできないだろう。


(ネフィーテ様は、どうしてるんだろう)


 この独房のような病室でできることと言えば、天井のシミを数えるか、彼の心配をするくらいだった。


 ネフィーテは王子という肩書きを与えられてから、長らく王宮に縛られてきた。人間の血を分けてもらう代わりに、王家に危難が訪れた際には力を貸して、平和な国家運営の一助となってきた。

 オーガスタがノエとして生きていた時代、ネリア王国は隣国と領土をめぐって戦争の真っ只中だった。ちょうど戦に駆り出されていたネフィーテに、オーガスタは拾われた。


 戦争においてのネフィーテの活躍は素晴らしいものだった。

 けれど彼の献身は誰にも評価されず、怪物呼ばわりされたまま。そしてネフィーテも、吸血鬼としての自分が疎まれるのが当たり前だと思っている。ノエは彼に、『あなたは愛されるべき存在だ』と、伝えたかったが、最後まで伝えられなかった。ノエはネフィーテを愛していた。


 ぼんやりと天井を見つめていると、病室の重厚な扉がゆっくりと開き始めた。そちらに視線を向け、目を見開く。


 病室に入ってきたのは、元婚約者のサミュエルだった。


「情けない姿だな、オーガスタ嬢」

「……! どうしてここに……」


 隔離病棟の患者は面会が禁じられているし、部屋は外鍵がかかっているため、簡単に立ち入ることができないはず。


「なに、看護師を買収しただけだ」


 サミュエルはそう言ってからこちらに歩み寄り、オーガスタの腕の拘束具のみを外した。そして、寝台の横の椅子に座り、足を組む。

 オーガスタは自由になった半身を起こして、彼の方を見た。


「吸血鬼に洗脳されたと聞いたが、本当か?」

「違っ、洗脳なんて……」


 されていないと、断言することができなかった。

 もし、父が言うようにオーガスタの中にあるノエとしての記憶が、全て吸血鬼の洗脳で作られたものだったとしたら。オーガスタの胸の中に根付く温かな感情さえも、嘘だというのだろうか。


(もし、ノエとしての記憶が全部、偽物だったら)


 父や医者に洗脳されていると言われ続けているせいで、オーガスタは自信を失っていた。しかし、首を横に振る。


(信じよう。泣いている私にハンカチを貸してくれたネフィーテ様のことを)


 そう自分に言い聞かせて、唇を引き結ぶ。


「まともに話ができるなら、なんでもいい。第四王子……いや、あの怪物のことが、気になるか?」

「!」


 第四王子の正体が吸血鬼であることは、公式には秘密だ。

 だが、サミュエルは王女と交際していた際に、王子の正体をひそかに聞かされたそうだ。


「……サミュエル様に話す義理はない」

「まぁ、構わん。王家の者たちは吸血鬼を恐れている。どうして君は、あの吸血鬼にこだわる?」

「そんなことを、わざわざ聞きに来たの?」

「いや、取引のためだ」

「――取引?」


 サミュエルは頬杖をつき、不敵に口角を持ち上げる。


「君がどうして吸血鬼にこだわるのか、俺は知らないし興味もない。だが、もしあの吸血鬼のところに行きたいなら、力を貸してやろうか」


 彼から告げられた言葉に、オーガスタは思わずごくんと唾を飲んだ。


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