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07 王子の近衛騎士

 

「こ、近衛騎士ですか? お嬢さんが……?」


 オーガスタがネフィーテの近衛騎士になりたいと懇願すると、彼は困った顔を浮かべた。

 視線をやや上に向けて思案しながら、頬を掻く。


「はい。お願いします。これでも、剣の腕には自信があります。きっと、役に立ってみせますから……!」

「困りましたね……。第一君、私が誰なのか分かっているんですか?」


 今のオーガスタの能力が及ぶ範囲で、ネフィーテの傍にいるためには近衛騎士になるのが一番だと考えた。前世のノエはたまたま彼の同情を引いて拾ってもらえたが、オーガスタは恵まれた家庭環境にいるため、同じ方法は使えない。


「ネフィーテ・フェルシス王子殿下ですよね。あの塔で療養されていると聞いたことがあります。公用語の発音も綺麗ですし、高貴な方の装いをなさっていたので、そうかと」

「ご明察です。ではなぜ、私の近衛騎士になりたいんですか?」


 オーガスタはその問いに、目を泳がせる。


 前世の自分は、ずっとネフィーテと一緒にいると心に誓っておきながら、吸血鬼に殺されて死んでしまった。同じ種族であるネフィーテが心を痛めてほしくないし、そもそも彼がノエのことを覚えているかも分からないので、すぐに打ち明けるかどうか判断することはできない。


 では、どうやって近衛騎士になる理由を説得しようか。

 底抜けにお人好しなネフィーテが王宮暮らしで不自由していないか心配だ。どうしても、傍に置いてもらいたい。


 必死に思案を巡らせ、頭に思い浮かんだのはサミュエルのことだった。


「じ、実は、私の実家が多額の借金を抱えておりまして。婚約者と結婚後、私が生涯尽くす代わりに、支度金として借金を相手の実家に肩代わりしてもらうはずでした。それがなくなった今、働き先を見つけなくては私の家は困窮してしまうんです……」

「なるほど、気の毒に。それで泣いているのですね」


 全てオーガスタではなく、サミュエルの話だ。オーガスタがこくこくと頷くと、ネフィーテは愁眉を寄せ、オーガスタの苦境に同情している。彼は優しい。だから、その優しさにつけ込むしかないと思った。


(う……胸が痛い)


 つい先ほど婚約者に嘘を吐かれて腹立たしく思ったばかりなのに、ネフィーテの優しさを利用して騙そうとしていることで、自責の念と罪悪感に苛まれていく。


 少しの沈黙のあと、上から「顔を上げなさい」という優しい声が降ってきた。ネフィーテは目の前にしゃがみ、オーガスタの濡れた瞳をハンカチで慎重に拭った。


「分かりました。なら、借金を返す方法を考えておきましょう。ですが、近衛騎士になるという申し出はお断りします」

「そんな……どうして……っ。近衛騎士が無理なら、メイドでも、小間使いでも構いません!」


 塔に閉じ込められている第四王子に、一貴族令嬢では易々と面会できない。

 それを考えると、ここで引き下がったらもう二度と会うことが叶わない気がして、全身の血の気が引いていく。どんな形でもいいから、もう一度一緒に過ごしていたいのだ。


「そもそも私には騎士やメイドを決定する権限がありませんし、君のような若者の貴重な時間を、私ごときのために無駄にしてほしくないんですよ。もっと価値のあることに使ってください」

「私にとって価値のあることは自分で決めます。それより……そうやって、ご自分のことを卑下しないでください。あなたは泣いている私にハンカチを貸してくれた、優しい人です」


 オーガスタは愛おしげに微笑みかける。


「…………」


 すると、ネフィーテは瞳の奥を揺らした。オーガスタははっと我に返って慌てて謝罪する。


「も、申し訳ありません。出過ぎたことを言いました」

「いいえ、気にしないでください。ありがとう。……でも、すみません。私はただ、怖いんです。大切な存在を作って、また失ってしまうのがね。それにきっと君も、私の正体を知ったら……」


 そう言ってネフィーテは、とても寂しそうな顔をした。彼が言いかけた言葉の先は、オーガスタにもなんとなく想像がついた。


(私は離れたりしませんよ、ネフィーテ様)


 そっと、心の中で答える。


 ネフィーテは吸血鬼であることに負い目を感じ、昔から諦めたような顔をする人だった。本当は人と関わりたいくせに、自分や相手が傷つくことを恐れてひとりで生きる道を選んだのだ。


 直後、医務室の扉の向こうから足音がした。


(誰か来た)


 扉の方に視線を向けたのと、扉が開いて父ダクラスが医務室に飛び込んできたのは、ほぼ同時だった。急いで駆けつけたらしく、額に汗を滲ませている。


「オーガスタ! 倒れたと聞いたが、大丈夫かい?」

「はい、平気です。実は第四王子殿下が介抱してくださって……」


 父にネフィーテのことを紹介しようとするが、室内に彼の姿はなかった。代わりに窓が開け放たれていて、白いカーテンがゆらゆらと風に揺れている。ここは三階だが、頑丈な肉体を持つ吸血鬼の彼なら飛び降りても無事だろう。


「……第四王子!? まさか、ネフィーテ様と――会ったのか!?」


 ダクラスは今までに見たことがないくらい、切羽詰まった顔をした。狼狽えながらつかつかとこちらに歩んできて、床に座り込んでいるオーガスタの腕を掴む。


「父上、顔が真っ青です。何をそんなに焦っているんです?」

「いいから質問に答えなさい! 今、彼に会ったのかい!?」

「会いましたけど……とにかく、少し落ち着いてください」

「あ、ああ。……そうだな」


 オーガスタは目の前に落ちているネフィーテのハンカチを大事そうに拾い上げてから、その場に立ち上がった。そして、寝台に腰掛ける。


「何かひどいことをされたり、言われたりしなかったかい?」


 なぜそんなことを疑うのだろうか、とオーガスタは不思議に思った。


「いいえ。倒れているところを運んでいただき、ずっと親切にしてくださいました。このハンカチも貸してくださったんです。それよりあの……父上に、お願いがあります」

「お前から頼み事なんて珍しいね。言ってみなさい」


 ネフィーテの話が挙がったから、そのついでに近衛騎士のことを相談しよう。ダクラスは何やらネフィーテのことをよく思っていない様子で若干の不安はあるが、いつもオーガスタの思いを尊重してくれる人だ。娘のやりたいことを、応援してくれるはず。……そんな甘えが、オーガスタの中にあった。


 オーガスタはハンカチをぎゅっと握り締めながら、真剣な眼差しでダクラスのことを見上げた。そして、切々と訴える。


「サミュエル様と王女様はやはり浮気していました。彼とは婚約を解消をします。それで、婚約解消が成立したあとですが……やりたいことが見つかりました。その……第四王子殿下の近衛騎士に志願させてほしいんです」

「だめだ」


 しかし、オーガスタの切願は、にべもなく跳ね除けられてしまった。ダクラスの眉間に、徐々にしわが寄っていく。


「それだけはだめだよ、オーガスタ」

「なぜですか……?」

「彼はとても危険だからだ。王国騎士団はネフィーテ様に、護衛ではなく――監視の者を付けるようにと王家から仰せつかっているし、実際にそうしてきた。表面的には優しいかもしれないが、惑わされてはいけないよ。世間で病弱と噂されているが、彼は人に危害を加える恐ろしい存在なんだ」


 オーガスタを諭すように、父は説明する。オーガスタはゆっくりと立ち、彼のことを見据えた。


「知っていたんですね。ネフィーテ様の正体が――吸血鬼だと」

「……!? どうしてお前がそれを……」

「理由は言えません。でも知っています」


 そして、ダクラスよりも深く彼のことを知っているだろう。


「ああ、そうだよ。あれは人の顔を被った人の生き血をすする――怪物だ。王族の地位を与え、塔の中に閉じ込めているのは、人間に危害を加えさせないため。何代も前から王家は国民を、恐ろしい怪物から守ってきたんだ」

「…………違う」


 オーガスタはぎゅっとハンカチを握り締める。

 確かに吸血鬼はとても恐ろしい存在だ。実際に、簡単に人の命を奪って血を吸う。前世で吸血鬼に命を奪われたオーガスタは、彼らの恐ろしさをよく理解している。それでも……。


 それでも、全員が危険というわけではないのではないか。人間にも良い人と悪い人がいるように、吸血鬼の中にも崇高な心を持った存在がひとりくらいいてもおかしくないではないか。


「違うっ、ネフィーテ様は、怪物なんかじゃない! 父上は一度でもあの方と話したことがありますか? 何も知らないのに憶測だけで決めつけているのでしょう……っ!?」

「吸血鬼に関わることが危険なのは常識だ。当然、誰も顔を合わせないようにしている。奴には洗脳能力があるのかもしれない。お前が会った王子はきっと幻だろう。あの塔には鍵のかかった重厚な扉と窓があって、彼は塔から一歩も出られないのだから」


 違う。人間の身体能力を超越するネフィーテなら、塔をひとつ破壊して脱走することなど容易いはずだ。それでも彼は、自らの意思で塔に閉じ込められている。現に、初めてネフィーテの姿を見たとき、窓は開いていた。鍵はとっくに壊れているのだろう。


(どうしたら、父上に分かってもらえるんだろう)


 ちらりと塔の方に目を移すと、ひとつだけ明るい窓が見える。ネフィーテがその部屋にずっと閉じ込められてきたことを思うと、胸が締め付けられた。


(もっと冷静に、言葉を探さなくちゃ。私は父上と喧嘩したい訳じゃない)


 けれど、ダクラスの気持ちも理解できる。突然オーガスタが、吸血鬼である王子に仕えたいと言い出すなんて、どう考えても不審だ。


「……突然こんなことを言い出して、驚かせてすみません。父上が心配するのは当然のことです。でも、ネフィーテ様は……吸血鬼の特徴があるだけで、普通の人間と変わりません。洗脳なんてされていません。あの人は誰かを傷つけるような人じゃない。とても優しくて、可哀想な人なんです」


 オーガスタが固く唇を引き結んでいると、ダクラスは強引にハンカチを取り上げて、ごみ箱に投げ捨てる。


 そして、オーガスタを力強く抱き締めた。


「なんと哀れな……。しばらく休みなさい。絶対に吸血鬼なんかに大切な娘は渡さないよ。父上がお前を必ず守ってみせるからね」


 父のことは大好きだ。しかし、ネフィーテのことも愛している。どうしたら誤解を解き、どちらの心も救うことができるのだろう。

 オーガスタは答えが思いつかず、立ち尽くすことしかできなかった……。


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