29 百年越しの探し物(最終話)
オーガスタと婚約してから、半年が過ぎた。結婚式を三ヶ月後に控え、ふたりの関係は良好だが、どうにもここ最近気になっていることがある。
「一本!」
「参りましたっ! 次もまた、手合わせ願います」
ネフィーテは婚約期間中、クレート公爵邸に住まいを移した。王宮にいたころのような完全隔離ではなく、公爵邸の騎士たちの育成を手伝い、領地で野盗被害が出れば深夜に巡回することも。
普通の人間のような生活を送れているのは、オーガスタの父であるダクラスの配慮のおかげだ。彼もオーガスタに似てお人好しで、オーガスタのふたりの兄も最初は警戒心を抱いていたが、ネフィーテを受け入れてくれている。
公爵家の人たちはみんな――温かくて優しい人たちだった。オーガスタのことを心から慕い、大切にしているのが伝わってくる。そして、異形であるネフィーテにも向き合おうとしてくれた。まるで、暗い塔の生活が夢だったのではないかと思うほど、穏やかで幸せな日々……。
「はい。いつでも付き合いますよ」
「あ、あの……ネフィーテ様、血が必要になったときは、いつでも言ってください! 自分は、昔からやたらと蚊が留まるんで、結構美味いんじゃないかと思います」
「ふ。ありがとうございます」
今日は、公爵邸の室内修練場で稽古に付き合っていた。陽の光に当たると体調を崩してしまうので、室内を選んだのだ。腕の立つ騎士が多く、訓練は楽しかった。もっとも、驚異的な身体能力を誇る吸血鬼からすれば、子どもと戯れているようなものだったが。
「お疲れ様です、ネフィーテ様。これ、タオルです」
訓練後、オーガスタがネフィーテの元に駆け寄ってきて、タオルを差し出した。
「ありがとうございます。君も一戦交えますか?」
タオルで汗を拭いながら微笑みかける。いつものオーガスタなら、ネフィーテの誘いはなんでも喜んで受け入れる。しかし彼女は、いたたまれなそうな顔を浮かべた。
「ありがたいお誘いですが……すみません。今日はこれからやることがあるので」
「探し物、ですか?」
「えと、その……はい」
「…………」
いぶかしげにネフィーテが見つめると、オーガスタは気まずそうに目を逸らす。
彼女はネフィーテや他の騎士たちに挨拶してから修練場を出て行った。
『探し物をしに行ってきます』
百年前、最後にノエと交わした言葉を思い出す。最近のオーガスタは、あの時のノエと同じように、探し物をしにどこかに出かけ、日が暮れるころに帰ってくるのだ。時には、服に土や葉がついていることも。きっとまた、あの森に行っているに違いない。
ネフィーテは、騎士のひとりに尋ねた。
「すみません。オーガスタが最近、森で何をしているか知っていますか? 君は確か、先日彼女の護衛として行ってましたね」
「ネフィーテ様! そ、それはその……あなたには秘密です。お嬢様にそう申し付けられておりますので」
なぜノエとオーガスタが森に固執するのか、ネフィーテにはさっぱり理解できなかった。
(ノエはあの森で吸血鬼に襲われて死んだ。もしオーガスタに万が一のことがあれば、私は……)
オーガスタのことが心配で、背筋がぞわりと泡立つ。
いても立ってもいられなくなり、ネフィーテは日除けのローブを羽織り、オーガスタの後を追うことにした。
彼女が向かった先は、まさにノエが死んだ森だった。
森の奥深くで、オーガスタの後ろ姿を見つけた瞬間、動揺したネフィーテの目が泳ぐ。
尾行がバレたら信頼を裏切ってしまうかもしれない。それでも、声をかけずにはいられなかった。
「――探し物は見つかりましたか?」
「ネ、ネフィーテ様……!? どうしてここに……」
びくっと肩を跳ねさせてからこちら振り返ったオーガスタは、気まずそうに目を逸らした。そして、頬を掻きながら言う。
「ええと……それは、その……」
彼女の頬には土が付いていて、爪の間にも土が詰まっている。ネフィーテは服の袖でオーガスタの頬を拭う。
「ああもう、こんなに汚して……。こんな森に一体何があるというんです? 前世で君が、ここでどんな目に遭ったか忘れてはいませんよね。君が出かける度、私がどれほど心配していたか分かりますか!?」
「すみません」
ネフィーテが迫ると、彼女は叱られた子どものようにしゅんと項垂れた。しかしすぐに、笑顔を取り戻し、噛み締めるように呟く。
「でも……前世では、こうしてあなたを外に連れ出すのが夢でした。幸せだな……」
彼女があまりに嬉しそうに呟くので、ネフィーテはすっかり毒気を抜かれてしまう。
ネフィーテは、人を傷つけたくないという恐れから王宮の敷地外に踏み出すことを躊躇していたが、こうして自分が立っていることを改めて認識した。
それはとても、小さな一歩で。けれど、彼女がいなければ、踏み出すことができなかった、尊い一歩だ。
周囲を見渡してみても、木々が鬱蒼と生い茂るばかり。少なくとも、若い娘が興味を惹かれるものは見当たらなかった。
「探し物はもう、見つかりました。ネフィーテ様に見せたいものがあるので、付いて来てくれますか? ――お前たちはここで待っていなさい」
「「はっ」」
オーガスタの護衛騎士たち五人が敬礼する。彼らの手も、土で汚れていた。
彼女に促され、更に森の奥へと入っていく。彼女はためらいなく歩き続け、ある場所で立ち止まった。足元には、崖が広がっていた。
オーガスタはくるりとこちらを振り向き、優しげに目を細めた。
「ネフィーテ様。この下を見てください」
「下……ですか?」
崖下に何があるのかと気になりながら、一歩、二歩と歩みを進め、崖の端ぎりぎりに立って視線を落とす。
そこに広がる光景に、思わずはっと息を呑んだ。
「花畑……」
崖下には――広大な紫色の花畑が広がっていた。地平線まで花が咲いている。ところどころに佇む木は、青々と生い茂っていた。
豊かな花の絨毯に感嘆し、しばらく言葉を失っていた。ネフィーテがまだ人間だったころに、花畑を何度か見たことはある。しかし、これほどまでに見事な光景は初めてだった。
すると、隣に立つオーガスタは懐から何かを取り出し、花畑に向けてパラパラと撒き始めた。
「ノエだったころ、いただいたお小遣いを全部使って、花の種を撒いていたんです。ネフィーテ様に与えてもらうばかりの私は、一体何をあげられるだろうって……ずっと――探し続けていました。私は、絵の中だけじゃなく、本物の花畑をあなたに見せたかったんです。もちろん、ノエにはこんな立派な花畑を作ることなんて無理でしたけどね。だから再挑戦しました。……ほら、すごく綺麗でしょ?」
そう言って屈託なく笑った彼女の顔は、まるで一輪の花が綻ぶかのように美しく見えた。
ずっとノエは、花畑の絵を描いては空想に耽けるネフィーテを傍で見てきた。だから、ネフィーテの夢を叶えようとしたのだ。
「ネフィーテ様の近衛騎士としていただいた報酬を使いつつ、最近は公爵家のみんなにも手伝ってもらっていたんです。肥料を混ぜたり、違う場所から土を運んできたり、すごく手間がかかったんですけど、何もなかった場所がこんなに立派に……」
ネフィーテはその場に、がくんと膝を突いた。そして、縋るようにオーガスタを掻き抱き、その腹部に頬をすり寄せた。
ネフィーテの心は、オーガスタの愛情ですっかり溢れてしまった。与えられていたのはいつだって、ネフィーテの方で。
どんな言葉も、この込み上げる思いを表現するには陳腐だろう。それでも、強いて言うなら――『生まれてきてよかった』という言葉しかない。ずっと生を憎んでいたネフィーテにとって、最上級の幸福を示す言葉だ。
抱きつきながら肩を震わせていると、オーガスタはネフィーテの頭を優しく撫でた。
(きっと、この景色を私は永遠に忘れないだろう。生命の終わりがいつか訪れるとしても、そうでないとしても。今はただ、君とともに生きているこの瞬間を噛み締めるよ。この束の間の奇跡を、大切に生きよう)
◇◇◇
ノエだった前世からこっそり作っていた花畑が、とうとうネフィーテに見つかってしまった。
前世では運悪く吸血鬼に襲われ、花畑を完成させる前に死んでしまった。
けれど、オーガスタはどうしても、ノエがやりかけたことを成し遂げたかったのだ。そして、婚約を結んで近衛騎士を辞めてから、公爵家の使用人や騎士の助力を得ながら、せっせと森に足を運んでいたのである。
ネフィーテはこれから、クレート公爵家の運営に関わりながら生活していく。オーガスタもそれを手伝うつもりだ。吸血鬼であるネフィーテはなかなか人前に出ることができないだろうが、広大なクレート公爵領なら、きっとできることは多いはずだ。公爵邸で暮らし始めてから、ネフィーテの表情も少し明るくなった気がする。
オーガスタはネフィーテとふたりで花畑の上に寝転び、向かい合って互いの指を絡ませた。
「まさか君が花の種を撒いていたとはね。私がずっと塔から出ない可能性は考えなかったんですか?」
「ただ、花畑を見せたい一心で、それしか頭になかったんです」
「……君がいなくなってから、私は自分を責めていました。ずっと君に聞きたかった。吸血鬼である私を、憎んでいますか?」
心配そうに尋ねてくるネフィーテに、ふっと微笑みかける。
「憎んでなんかないって、あなたが一番分かっているくせに。先生?」
「……」
「あの時はただ、運が悪かっただけです。でも……あなたをまたひとりにすることは忍びなかった」
「本当に、そうですよ。来年も一緒に誕生日を祝おうと約束していたのに、君はいなくなってしまった」
「……ごめんなさい」
オーガスタはネフィーテをじっと見つめる。人間離れした美貌はこの先もずっと、変わらないのだろうか。
オーガスタは年を重ねていく人間。
そしてネフィーテは、悠久の時を生きる吸血鬼。
彼がいつ滅びるのかは、分からない。ひとつ確かなのは、ネフィーテよりも早く自分がこの世を去ることだ。
「いつか必ず、別れの時が来ます。その時が来ても、この花を愛でることで寂しくならないように、少しでも幸せを感じられるように……そんな願いを込めながら種を撒きました」
「私はここに来る度に、花を眺めながら君を思い出すのでしょう。ですが、幾千の花より君と過ごした一秒の思い出の方がずっと、私の生きる力になるんですよ」
「…………!」
愛に満ちた赤の双眸に射抜かれ、オーガスタの胸は甘やかに締めつけられた。彼がくれる言葉は、ここに咲くどんな花の蜜よりも甘くて、オーガスタの心を虜にしてしまう。
もしまた遠い未来で、再びネフィーテが自由を奪われることがあったとしても、何もかも諦めてほしくない。せめてもう一度、花畑を見に行こうという小さな希望の花を胸に咲かせていてほしいのだ。
「こんなに素敵なものをもらってしまって、私は君に……何を与えられますか?」
「もう、一番欲しかったものは与えてもらっています」
そっと目を伏せ、オーガスタとしての人生を振り返る。『男顔令嬢』などと言われ、婚約者に浮気されて、心に傷を負ってきた。
「私……ずっと、欲しかったんです。――異性からの誠実な愛が。私はこれでも、女の子なので」
女の子らしくない、ありのままの自分を好きになってくれる人に、ずっと出会いたかった。
ネフィーテはずっと、オーガスタに誠実だった。それはオーガスタがこの人生で、最も欲していたものだった。
(切なくて温かい、この特別な出会いを大切にしよう。いつまでも、いつまでも)
この人の傍では、自然体の自分でいられる。こんな人と短い人生の中で関われたことは、すごく幸せで、特別なことだ。
「好きです。何よりも、愛しています。ネフィーテ様は昔も今も――私の世界の全てです」
ネフィーテの手を引き寄せて、その指に口づけを落とす。オーガスタは彼よりもずっと早く死んでしまうけれど、この胸に根付く思いはきっと永遠に――不滅だ。
◇◇◇
一度目の人生で吸血鬼に殺された少女は、二度目の人生では長生きし、世界で最も愛する吸血鬼に看取られながら幸せな生涯を全うした。彼女の死後も、彼女が遺した子孫たちが、その愛情を引き継いだかのように、吸血鬼を決して孤独にしなかった。彼の周りにはいつも、いつも誰かがいた。
そして、クレート公爵領にある古びた彼女の墓には常に、吸血鬼がどこかから摘んできた無数の花が供えられている。
供えられていた紫色の花の花言葉は――
『不滅の愛』
〈終〉
ネフィーテの命もいつか必ず終わるのですが、長い人生において、オーガスタと過ごした日々が強く優しい輝きを放つのではないかと思います。
ここまでお付き合いくださり、ありがとうございました!
またどこかでお目にかかれますように。
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