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28 祝福 ※ネフィーテ視点

 

 三百年前、ネフィーテがフェルシス王家の王子として生まれたころ、ネリア王国と隣国との間で激しい戦争が起こっていた。


 成長したネフィーテは、騎士団の司令官として戦地に赴いていた。戦況は悪化し、市民が暮らす街も戦場となり、多くの一般市民が敵兵に殺害され、民衆は疲弊していった。


 追い詰められた人間は、最後に神のような超越した存在に縋ることがある。


 ある日、ネフィーテは教会に人の気配を感じ、敵兵の隠れ場所かもしれないと考えて忍び込んだ。だが、教会の地下で行われていたのは、吸血鬼崇拝の儀式だった。吸血鬼は、大勢の人間の心臓を捧げることで、気まぐれに人間を吸血鬼に変えてくれるという。人々は永遠の命を求め、命懸けで危険な儀式に挑んでいたのだ。


 鼻を刺すような血の匂いに、ネフィーテは顔をしかめる。


(なんて恐ろしいことを……っ)


 人々は祭壇の前で膝を突き、祈りを捧げている。そして、黒いローブをまとった男が、床に描かれた陣の上で呪文のような言葉を呟いていた。


 ネフィーテは陣の上まで走り、儀式を止めようと叫んだ。


「今すぐに儀式をやめなさい!」

「なんの真似だっ、離せ……っ」

「人間には人間の理が、吸血鬼には吸血鬼の理があります。それを捻じ曲げるなど言語道断です。生命への冒涜だ」


 それに、もし人間が吸血鬼になれば、『死ねない』という苦しみを背負うことになる。


「君たちは不死の意味を理解しているんですか!? 大切な人が死んでも、自分は喪失を抱えながら生きていかなければならない。元人間にはとても、その苦しみに耐えられないでしょう。人として生まれたなら、人間の理の中で生きるべきです!」


 ネフィーテが必死に訴えかけるが、信者たちの心には届かない。儀式に参加していた者たちが、ネフィーテを陣の外に引きずり出そうと身体を引っ張った。


「黙れ! 吸血鬼になれば、死を恐れることがなくなる。戦争に恐怖するのはもううんざりだ!」

「私は息子とずっと一緒に生きていたいのよっ! 邪魔しないで……!」

「俺たちは不死の身体を手に入れるんだ。――退け!」


 ネフィーテが抵抗していると、陣が淡く紫色に輝き、やがて強い光を放ち始める。辺りに離散した。その光の中で、吸血鬼の声を聞いた。



『気に入った、人間。お前を――吸血鬼にしてやる』



 光の中で、吸血鬼の赤い瞳が、ネフィーテに向けられていた。

 吸血鬼が選んだのは、ネフィーテだった。ネフィーテに意地悪をしたかったのか、単なる気まぐれかは分からない。けれどこの瞬間、ネフィーテは途方もない絶望を味わった。


 陣の光が収まったあと、礼拝室の人間は全員息絶えていた。ネフィーテの黒髪は銀髪に、青い瞳は赤色に変わっていた。ネフィーテは、吸血鬼になってしまったのだ。


 悠久の命など、欲しくなかった。

 普通に生き、普通に死にたかった。


 しかし、人間の理から外れてしまったネフィーテは、普通の人生が許されなくなった。


 ネフィーテの貢献により、戦争はネリア王国の勝利に終わった。


 あの時、教会に近づかなければ。

 あの時、陣に入らなければ。

 何度も何度も、後悔し、恨んだ。しかし、それらの感情は時間とともに薄れていき、諦めだけが心の中で暗く広がっていった。


 ネフィーテは自分を憎み、誰も傷つけないために、塔に閉じこもった。そして、病弱な王子のフリをして孤独に二百年近くを過ごしたのである。長い年月を経て、自分の年齢すら数えなくなっていた。何も求めず、何も願わず、何もせず、ただ年齢だけ重ねていった。


(私は、生まれてこなければよかった)




 ◇◇◇




「先生!」


 二百年ひとりで生きていネフィーテは、ある時ノエという子どもを拾った。ノエは性別を偽っていたが、八年ともに過ごす中で愛らしい娘に成長していた。


「誕生日、おめでとうございます」

「誕生日……ですか?」


 ノエは不器用に作った誕生日ケーキを持ってきて、屈託のない笑みを浮かべた。ネフィーテは自分の誕生日を覚えていない。長い時間を生きる中で、年齢というものを意識しなくなっていたからだ。ネフィーテが不思議に思って尋ねると、ノエはにっこりと頷いた。


「はい! ネフィーテ様は誕生日を覚えていないとおっしゃっていたので、僕たちが初めて出会った日を誕生日にしました。嫌……でしたか? いつも僕ばっかり祝ってもらうのは、なんだか申し訳なくて」

「……!」


 その言葉に、ネフィーテの心が温かくなるのを感じた。

 歳を重ねることを祝ってくれる人がいるのが、ネフィーテにとって新鮮だった。自分が生きていることを、許されているような気がした。


「来年もまた、一緒にお祝いしましょう」


 ひとつひとつ、傷が癒えていく。渇望していた何かが満たされていく。


「ええ。きっと」


 ノエを失ったときの辛さや寂しさ、苦しさは、どれも胸の深くに刻まれている。

 しかし、ノエと一緒に過ごした時間が、幸福の欠片として、ネフィーテの心に雪のように降り積っていたのもまた事実だった。




 ◇◇◇




「ネフィーテ様!」


 ノエを失ってから百年が経った。寂しさに押し潰されそうになりながらも、ノエとの思い出に浸って心を慰め、同時にノエを守れなかったふがいない自分を責めてきた。


 そして今、ノエの生まれ変わりであるオーガスタが、自分の婚約者として目の前で微笑んでいる。


 ネフィーテとオーガスタは正式に婚約を結んだ。クレート公爵家は、ネフィーテを屋敷に迎える準備をしてくれている。塔で過ごす日も、残りわずかだ。三百年も暮らしてきてそれなりに愛着はあったが、離れることが惜しくはなかった。


 オーガスタは居間のテーブルに、ご馳走を用意していた。皿に載った大きなホールケーキをこちらに差し出し、優しく微笑む。


「誕生日、おめでとうございます。ネフィーテ様が生まれてきてくれて嬉しいです。今日は、ネフィーテ様が頑張って生きてきた――大切な記念日ですね」


 彼女の笑顔に、心が満たされていく。


(ああ……なんて眩しい)


 それは、よく晴れた日の太陽のような輝きだった。ネフィーテがここに生きていることを、喜んでくれる人がいる。それはとても、幸せなことだ。


「ありがとう。誕生日……覚えていてくれたんですね」

「はい。ノエにとって、一番大切な日だったので。ああもちろん、私にとっても二番目に大切な日ですよ?」

「一番目はなんですか?」

「ふふ、これです」


 オーガスタはいたずらっぽく笑い、ケーキをテーブルに置いてから、左手をかざした。その薬指に、ネフィーテが贈った婚約指輪が輝いている。


「婚約記念日が、今の私にとって一番大事な日です」


 そう言って目を細める彼女があまりにも愛おしくて、必死に堪えていなければ、とっくに動きを止めたはずのネフィーテの心臓が口から飛び出してしまいそうだった。


 ネフィーテはオーガスタの左手を包み込み、囁いた。


「一番大事な日を、これから更新していきましょう」

「はい。ネフィーテ様」


 数秒ほど互いに見つめ合うと、オーガスタは一瞬目を泳がせてから、遠慮がちに目を閉じる。今が、口付けするのにうってつけのタイミングだと感じたのだろう。オーガスタはなんとなく良い雰囲気なのを察して、キスを受け止める準備をした。


 婚約してから、時々キスを交わしている。だが、彼女はまだ慣れないようで、唇がわずかに震えている。いじらしい婚約者の仕草に、またしても存在しないはずの心臓を撃ち抜かれた気分になった。


 キスをしないでいたらどんな反応をするかと思って、目を閉じたオーガスタを眺めてみる。すると、瞼を少しだけ開き、頬を赤くしたオーガスタが言う。


「…………しないんですか?」

「いえ、しますよ。ほら、目を閉じて」


 少し期待の滲んだ目が、ネフィーテを見上げていた。


 囁きかけるように促すと、オーガスタは真っ赤になりなから、きゅっと唇をすぼめる。ふっくらとしていて形の良い唇に、自分の唇をそっと押し当てる。触れるだけの口付けのあと、オーガスタは落ち着かない様子で深呼吸を何度かしていた。


「あ、あの……ケーキ、食べましょうか」

「はい」


 ふたりでテーブルを挟んで、たわいもない話をしながらケーキを食べた。ささやかなひと時が、ネフィーテの宝物だった。


「私の誕生日の時は、いつも家族で旅行に行くんです」

「オーガスタはご家族と仲がいいんですね」

「はい。去年は海を見に港町に行ったんですけど、そこにすごく綺麗な花が咲いていて……」


 オーガスタはフォークの先を下唇に押し当てながら、「ネフィーテ様にも見せたかったな」と呟いた。 

 居間には、ネフィーテが描いた花畑の絵が飾ってある。彼女と見る花は、どんなに綺麗だろうと想像してみた。


 ケーキを食べ、ネフィーテの誕生日を十分に祝ったオーガスタは、朝になって帰る準備をし出した。玄関まで見送り、別れの挨拶をする。


「気をつけて帰ってください。お義父様によろしく伝えてください」

「はい」

「昼は何か予定があるんですか?」

「ああ。――探し物をしに行ってきます」


 探し物、という単語に、ネフィーテの眉がぴくりと上がる。ノエは探し物とやらをしに行って、森の奥で吸血鬼に襲われて死んだ。ノエを失ったときの壮絶な悲しみが蘇り、背筋に冷たいものが流れる。


「何を、探しに行くんですか。またあの森に行くつもりですか?」

「ノエがオーガスタとして生まれ変わった意味を、見つけに。ノエの死に決着をつけてきます。心配は無用です。護衛は付けますし、吸血鬼が活動する夜までには、ちゃんと帰りますから。それでは、また」


 オーガスタは玄関から出て行く。「待って」と手を伸ばしかけた時には、扉は閉まっていた。吸血鬼はどんな森にも潜んでいる。普通に活動していても、出会ってしまう時は出会ってしまうので、運とも言える。だが、オーガスタが残した『探し物』という言葉が、ネフィーテの胸に引っかかって離れなかった。



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