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27 もう決して離さない


 ダクラスは王家の封蝋が押された封筒を掲げた。それはまさに、第四王子の花嫁候補――オーガスタ・クレート宛のものだった。


「本来、この手紙は夜会前にオーガスタの元に届くはずだった。だが、アデラ王女が隠していたのだ。想い合うふたりが結ばれるのを、邪魔するために」


 その言葉に、広間はざわめく。そして、アデラが顔を真っ青にした。


「そ、そのようなこと、わたくしがするはずありませんわ……っ。誤解です、ダクラス様」

「これはあなたの私室から見つかったものです。公爵邸のメイドを脅して、手紙がオーガスタに渡る前に取り上げた。本人の証言を得ております。あなたの思い通りにはさせませんよ。公爵邸の使用人たちはみんな、娘を慕っておりますからね」


 公爵邸の使用人たちは、オーガスタの心強い味方だ。オーガスタが精神病院に隔離されたときも、オーガスタの話を聞いてほしいとダクラスに訴えてくれた。


(そういえば前に、封筒を持って逃げていったメイドがいたような)


 公爵邸での出来事を回想するオーガスタ。アデラは眉間にしわを寄せ、わなわなと震えている。すると、ダクラスはアデラから視線をオーガスタに移して言った。


「近衛騎士になると言ったかと思えば、次は駆け落ちかい?」


 穏やかな微笑みを浮かべているが、目の奥は全く笑っていない。

 ネフィーテは、オーガスタの腰から手を離さず、ダクラスと国王のことを威圧するように見据えた。


「ち、父上……これは、その……」


 オーガスタはいたたまれなくなって、言葉に詰まる。


「ごめんなさい、父上。また迷惑をかけて……」

「近ごろのお前の無鉄砲には驚かされるよ。……手紙は確かにここにある。けれどひとつ確認だ。もしネフィーテ王子が理性を失い、人間を傷つけることがあれば、私は王国騎士団長として、お前を保護し、ネフィーテ王子を排除するために戦わなくてはならない。そんな過酷な運命さえ、お前は受け入れる覚悟があるかい?」


 ネフィーテと王宮を離れて生きていくことが、現実ではないことくらいよく分かっている。それでも、塔の中でひとりぼっちで暮らしてきたネフィーテを外の世界に連れ出したかった。


「あります」


 オーガスタはダクラスの目をまっすぐ見つめて、即答した。たとえどんな未来が待ち受けていたとしても、オーガスタにできるのは、ネフィーテと過ごせる毎瞬毎瞬を大切にしていくことだけだ。


 すると、ネフィーテがオーガスタを抱き寄せる力を強めた。


「私が危険でないことは、三百年に渡る記録が証明しているはずです。私は戦場を除き、本能で人を傷つけたことはありません。もう、解放を望みます。私は華やかな社交界で生きていきたい訳ではありません。ただ、好きな場所を訪れ、花を愛で、川の流れを聞き、穏やかに生きたいだけです。その自由を許していただきたい」


 今度は、国王がネフィーテを見据えて言う。


「そなたの思いはしかと受け止めた。私が此度の結婚を命じたのは、厄介払いがしたかったからではない。王家の存続に尽力してきたそなたを不幸にしたかったわけでもない。そなたが王宮のしがらみから解放され、自由になることを望んでのことだった。そなたがオーガスタ嬢を妻として迎えること、承諾しよう」

「………」

「そなたが最も望む相手と結婚するがよい。……これまで、物分かりがいいそなたに甘え、向き合うことを避け、自由を奪ってきたことを詫びる」

「お心遣い、感謝申し上げます。陛下」

「あとの手続きは、ダクラスに任せておる」


 そして、ダクラスはネフィーテに告げた。


「そういうわけだ。今後は我が一族の一員として暮らしてもらうよ。異形だからといって特別扱いするつもりはない。あなたのできる範囲で、一族に貢献してもらうが……いいね?」

「もちろんです。必ずお役に立ってみせましょう」


 オーガストとネフィーテの結婚の話が進んでいく中、国王が「――さて」と話を切り、アデラを見下ろした。


「次はそなたの処遇を決める」

「処遇……ですか?」

「そなたは幼いころから病弱だったゆえ、甘やかし過ぎたのだ。このような公の場で処断することは、余にとっての贖罪でもある。オーガスタ嬢の婚約者と不貞を働いた上に、王家からの大切な手紙が届くのを阻んだ。そして今日――参加資格もないこの会に勝手に参加し、掻き乱そうとした。罪は重いぞ」


 アデラはオーガスタに、自分にもネフィーテの花嫁候補の資格があると語っていた。だがそれは、嘘だったらしい。


「そなたには半年――謹慎してもらう。そして、彼女に謝罪しなさい」

「そんな……っ。そんな、嫌ですわ……っ!」


 アデラの声が広間中に響き渡る。


「どうして……どうして、オーガスタ様ばかり幸せになるのです? オーガスタ様は、わたくしが欲しかったものを最初から持っていらっしゃった。剣を振るっても耐えられる健康で頑丈な身体も、ダクラス様も、サミュエル様も……何もかも……っ。オーガスタ様ばかり幸せで、ずるい……!」


 アデラの悲痛な叫びに、オーガスタの心が揺れる。


(いくら私に意地悪をしたって、アデラ様が幸せになれるわけじゃないのに。どうして気づかないんだろう)


 オーガスタにひどい仕打ちをしたことで、アデラは自分の価値を損なった。半年間の謹慎は、若者にとって大きな罰になるだろう。

 国王はぐすぐすとすすり泣くアデラを冷たく見据えて、促す。


「みっともなく泣くのは止めなさい。それ以上恥を晒す気か?」

「……っう、うぅ……」


 涙を流すアデラは痛々しくて、どうしようもなく哀れで、オーガスタの同情を誘った。


「国王陛下、彼女はもう充分罰を受けたと思います。謝罪は結構ですから」

「そうはいかない。自分の行動には責任を持ち、けじめをつけなくてはならない」


 オーガスタの気遣いは、国王に撥ね除けられる。

 誰かを羨む気持ちは、オーガスタにもよく分かる。オーガスタもずっと、女の子らしくてかわいいアデラに、憧れていた。彼女と比較して、劣等感に苛まれることになった。


(隣の芝生は青く見えるものだ。自分にないものは受け入れて生きていかなくちゃいけない。それでも、きっと自分にしかない特別なものだって、数え切れないほどあるはず)


 アデラを慕っていた人々が、彼女のために泣いている声がどこかから聞こえてくる。オーガスタが持っていなくて、彼女が持っているものが沢山あるのではないか。


(それに、もしアデラ王女が不貞を働いていなかったら、今の私はいない)


 サミュエルとの婚約関係が続いていたまま、ネフィーテと出会っていたら、果たして自分は恋心に蓋をすることができただろうか。婚約者に誠実でいられただろうか。様々な偶然が重なって、ネフィーテと結婚が決まろうとしている今、過去を責める気持ちはなかった。


 アデラは葛藤と逡巡を繰り返したあと、ようやくオーガスタに頭を下げた。


「これまで、ひどいことをしてしまい、申し訳ありませんでした」

「……はい、あなたを許します」


 プライドを傷つけられたアデラはその場に崩れ落ち、声を上げて泣き始めた。

 そして、広間にしばらく、その泣き声が響き渡った。




 ◇◇◇




 夜会が終わり、塔に戻る途中でオーガスタは立ち止まった。

 外は静かで、人の気配はなく、頭上高くに神秘的に輝く月が、ふたりを照らしている。オーガスタが足を止めると、ネフィーテも立ち止まり、振り向いて問いかけた。


「どうしましたか?」

「…………」


 夜風がネフィーテの美しい金髪のなびかせ、月明かりが彼の白い肌を照らす。艶やかな彼の美貌に魅入ってしまう自分を諌めつつ、口を開く。


「私……まだネフィーテ様に、隠してることがあるんです」

「……」


 ネフィーテは穏やかな表情で、オーガスタが次の言葉を紡ぐのを待っている。


「私の前世はノエです。でもノエは……本当は――女だったんです。誘拐されたり売られたりするのを避けるため、性別を偽っていました。ネフィーテ様に話そうと思っていたんですけど、タイミングが見つからず、なかなか言い出せなくて……ごめんなさい」


 今世では貴族令嬢として生まれ、性別を偽らなくてもよかった。それでも、まるで前世の癖が染みついているかのように、髪を短くし、男のような格好をしていた。おまけに、『男顔令嬢』などと言われる始末。


「私、生まれ変わっても全然、女の子っぽくなれなくて……。本当に……こんな私を、好きになってくれたんですか?」


 そう遠慮がちに尋ねるも、ネフィーテはこちらに一歩近づいて、口を開いた。


「気づいていましたよ。――君が少年ではないと」

「!」

「君が秘密を打ち明けてくれたので、私もいいですか?」

「は、はい。もちろんです」

「私は君を、子どもとしても、男としても見ていませんでした。凛とした大人に成長していく君を――ひとりの女性として愛していたんです」


 ネフィーテは驚愕するオーガスタの短い髪をひと束すくい上げ、囁きかける。


「私も隠し事をしていたので、これでおあいこですね。こんな気持ちを知ったら嫌われてしまうだろう思って、隠していたんです」

「そんなことありません! 私も、先生が好きでしたし……」

「……」


 その瞬間、ネフィーテが瞳の奥を揺らす。


「先生?」

「ふ。こんな時に先生と呼ばれると、なんだか背徳的な気分になりますね」


 つい昔の感覚で『先生』と呼んでいたことに気づく。

 こちらを見つめる瞳に熱のようなものが垣間見えて、胸の奥がきゅうと甘く締め付けられる。


「ノエがいなくなってからは、まるで自分の半身を失ったような気分でした。君が子どもであろうと、老人であろうと、女であろうと男であろうと、私には些細なことです。私はこの百年間ずっと、ただ……」


 彼はもう片方の手も伸ばしてきて、両手でオーガスタの頬を包み込んだ。そして、まるで壊れものでも扱うかのように、きわめて優しく撫でながら告げる。


「ただ君に、伝えたかった。――ありがとう、と」

「…………はい」


 オーガスタは心の中で思った。お礼を言うべきなのはむしろノエの方だ。しかし、ノエの存在がネフィーテの傷を癒せていたなら。彼にとって自分が、ほんの少しでも価値のある人間だったのなら、それ以上の幸せはない。


 熱を帯びた眼差しに射抜かれ、鈍いオーガスタでも彼がしようとしていることを理解する。

 オーガスタが目を閉じたのと、ネフィーテが優しく口づけたのはほぼ同時だった。百年分の孤独を埋め合うように、何度も角度を変えながら唇を重ねていく。


 時々オーガスタを見つめる視線に、オーガスタは心臓の鼓動を加速させた。

 遠慮がちにネフィーテの胸に手を添えると、彼の唇の温かさに胸を焦がされ、どうにかなってしまいそうだった。


 何度目かの口づけのあと、ネフィーテはオーガスタの額に自身の額をくっつけて、今日一番甘やかに呟いた。


「――もう決して、君を手放しません」


 手放すも何も、オーガスタの心は最初からこの人だけのものだ。オーガスタは幸せすぎて、泣き出しそうな気分だった。きっと、この時のことは生涯忘れないだろう。


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